疫病の時代のためのシェイクスピア~パトリック・スチュワートが読むソネットの世界

文=北村紗衣
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ソネットから立ち現れる愛と欲望

 シェイクスピアのソネット集は愛の詩なのですが、ここで扱われているのは牧歌的な恋ではありません。1番から順に読んでいくと、けっこう大変な物語が浮かび上がってきます。大人の愛憎と欲望が詰まった展開で、古くからいろいろな憶測を呼んでいます。

 ソネットの1番から126番までは、名前のわからない若く美しい男性に向けて書かれています。おそらく詩人より身分が高く、年下と思われます。1609年の初版の冒頭にある出版者による献辞には、このソネット集の「ただひとりの生みの親」として「W・H」という男性への感謝の言葉があり、詩の主題となっている美青年のイニシャルではないかとも言われていますが、はっきりしたことは全くわかっていません。「君を夏の日にたとえてみようかな?/君はもっと美しいし、やさしいよ」という一節から始まる18番はおそらくソネット中最も有名なものですが、女性の恋人ではなくこの男性に捧げられたものです。

 この謎の若者は、詩人の言葉を信じるかぎり、とんでもなくゴージャスで美の化身のような青年です。ソネット20番の描写からすると、女と見まがう中性的な魅力を持っているようです。候補としていろいろ人物が取り沙汰されており、有力候補としてはシェイクスピアが長詩『ヴィーナスとアドーニス』や『ルークリース』を献呈したサウサンプトン伯ヘンリー・リズリーと、死後に最初に出た全集のファースト・フォリオを献呈されたペンブルック伯ウィリアム・ハーバートがいます。

 最近公開された映画『シェイクスピアの庭』はサウサンプトン伯説をとり、イアン・マッケランがこの役を演じていました。私としては、ソネット集はあまりにも面白い話が浮かび上がってくるように作られているため、いくぶんかは現実の出来事や人物をヒントにしているにしても、この若者はシェイクスピアの脳内彼氏のようなものでひとりの人間としては実在していないのでは……と疑っていますが、学者としては未発見の史料でも出てこない限りわからないと言うほかありませんん。

 この謎の美青年に対する愛の表現が情熱的であるため、しばしばソネット集の序盤は同性愛の物語なのではないか、シェイクスピアは男性に恋をしていたのではないか、ということが言われています。シェイクスピアの性的指向についてははっきりわかっておらず、妻と子供はいたもののしばらく離れて住んでいたと思われ、私生活は不明です。

 また、シェイクスピアが活躍していた16世紀末から17世紀初め頃のイングランドでは現在、私たちが考える「ゲイ」とか「バイセクシュアル」というような自己認識は明確に存在しておらず、同性愛間の愛とか性交渉に対する考え方が大きく違ったので、たとえシェイクスピアがどれほどこの詩の対象となる若者を愛していたにせよ、それがどういう形の愛なのかははっきりわからないところがあります。

 このソネットを読んでいくと、語り手の詩人(シェイクスピア本人というよりはフィクションの世界の登場人物と考えましょう)は相手の若者に対して強い愛情を爆発させているにもかかわらず、その成就については曖昧な態度をとっているように思えます。少なくとも表向きは、男性同士が愛し合い、セックスして充実した生を共にすることについてはあり得ない選択肢だと否定しているのです。

 語り手の詩人は相手の若者を「恋人」と呼び、相手の美しさを全身全霊で褒めそやす一方、20番では自然の女神が「僕にはさっぱり役に立たないものをひとつとりつけた」(12)ことを悔やんでいます。この「ひとつ」というのはイチモツ、つまり男性器のことです。詩人は若者の男性器に対しては性欲を抱けない(あるいは、抱けないふりをしている)ようで、愛欲に駆り立てられている一方、男性器を持つ男性と愛し合うことはできないのではないかという疑念にも苛まれているように見えます。

 美しい若者に向けたソネット群にはこうした感情の揺れがたくさん出てきて、ドラマティックな愛の物語を紡いでいます。私は比較的エロティックな方向性で解釈しましたが、全体をもっとプラトニックな友愛として解釈することもできるでしょうし、いろいろな視点があります。127番からは新キャラとして女の恋人「黒い女」も登場し、さらにお話がこんがらがるのですが、これはスチュワートがまだ読み始めていないところですので、ネタバレしないようにとっておきましょう。

疫病の時代にソネットが伝えること

 シェイクスピアが生きていた時代には、疫病で何度も劇場が閉鎖されました。そのたびに劇団はロンドンでの公演をやめて地方巡業に出るなど、苦しい中でいろいろな手段をとって生き延びました。ソネットの中にはおそらく劇場閉鎖で芝居ができなかった時に書かれたものもあるのではないかと言われています。もしこの仮定が正しいとすると、ソネットの一部は芝居ができず、時間ばかりあって収入はない時代のシェイクスピアの悩みのたまものだったのかもしれません。1606年の疫病流行はシェイクスピア自身の仕事や作風にも、劇場文化にもかなりの影響を与えただろうと言われています。

 シェイクスピアのソネットでは、愛する若者の生き生きとした美しさを保存することへのこだわりが表現されています。これは疫病にかかった人々が次々と亡くなっていく今の時代には、心に刺さるメッセージだと言えるでしょう。

 パトリック・スチュワートは6番を読んだ時に、最後の2行の「意固地になっちゃダメだ、というのも君は/死に征服され、ウジ虫を相続人にするにはあまりに美しすぎる」という詩句を少し微笑みながら考え深い雰囲気で強調していますが、これは詩人が若者に伝えたかったことである一方、スチュワートが疫病の中、朗読を聞いている若い人に言いたいことであるとも言えるでしょう。

※非常に簡単なものですが、スチュワートが読むソネットについて、私が毎回 #PSSonnetsというハッシュタグで日本語の解説を出していますので、興味がある方はご覧下さい。Togetterにまとめもあります。

※シェイクスピアのソネットの引用はスチュワートが使っているフォルジャー版に拠っています。

参考文献

J. Leeds Barroll, Politics, Plague, and Shakespeare’s Theater: The Stuart Years, Cornell University Press, 1991.
Aaron Kunin, ‘Shakespeare’s Preservation Fantasy’, PMLA, 124 (2009): 92–106.
William Shakespeare, Complete Sonnets and Poems, ed. Colin Burrow, Oxford University Press, 2002.
William Shakespeare, Shakespeare’s Sonnets, ed. Barbara A. Mowat and Paul Werstine, The Folger Shakespeare Library, 2004.
William Shakespeare, Shakespeare’s Sonnets, The Arden Shakespeare Third Series, ed. Katherine Duncan-Jones, Bloomsbury, 2019.
Rebecca Totaro and Ernest B. Gilman, ed., Representing the Plague in Early Modern England, Routledge, 2010.

ウィリアム・シェイクスピア『ソネット集』高松雄一訳、岩波文庫、1997。

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