——LGBTQ+、フェミニズム、家族・友人・同僚との人間関係etc.…悩める若者たちの心にSNSを通して寄り添う臨床心理士が伝えたい、こころの話。
「摂食障害は危険」と伝えるより、届きやすい言葉で
以前、Instagramで「精神疾患について知りたいトピックはありますか?」というアンケートを取った時、「うつ病」や「統合失調症」のほかに目立ったキーワードが「摂食障害」だった。事実、日本における摂食障害の患者数は、90年代後半から急激に増加している(厚生労働省調べ)。
摂食障害は死の危険だけではなく、「症状を悪化させる負のループに陥りやすい」という側面がある。自分の体についての認知の歪みを取り除かない限り、治療者の言葉は相手の心には届きにくく、症状は長引きやすい。
摂食障害は、「痩せて綺麗になりたい」という願望が“原因”になっていることが多い。だからこそ、美しさを求められることが多い“女性”が圧倒的な割合(約90%)を占めているのではないだろうか。
私が出会った患者さんの中にも、「綺麗になりたい」という理由で摂食障害を患っていた方が多くいた。しかし、社会に求められる「美しさ」を追求しているはずなのに、彼女たちの自己評価は低いままだった。
そういった症状を抱える人たちに、いくら「摂食障害は危険ですよ」と伝えたとしても届くはずがない。なぜなら彼女たちにとって「摂食障害」を患っていることよりも、「自分の体が醜い」ことの方が大きな問題になってしまうからである。相手の「目標設定」にどう寄り添いながら、摂食障害へのループを断ち切っていくのか。答えのない問いを考え続けた。
ある時、「吐いているから体重は減るんだけど、顔が痩せない。もっと痩せるために吐いてしまうんです」という人に、「嘔吐の繰り返しは、唾液腺が腫れるので顔がむくみやすくなりますよ。吐かない方法を一緒に考えていきましょう」と、声掛けをしたことがあった。私の返答が果たして正解だったのかはわからない。でもその時の彼女は「知らなかった!」と驚いていた。そこから、摂食障害の危険性と弊害について「届きやすい言葉」で社会に周知されることも重要だと実感した。
医学的には痩せていても
そもそも摂食障害とは、どんな病気なのか。簡単に言えば「食べるという行為についての異常行動」である。摂食障害には、大きく分けると2種類のパターンが存在している。
まずは「神経性やせ症」と言われるもの。痩せるために食事制限をするが、その反動で過食行動を起こすこともある。また下剤や「痩せ薬」と呼ばれるものを乱用したり、嘔吐がみられることもある。
そしてもうひとつは、「神経性過食症」と呼ばれるもの。こちらは、「食べることのコントロール」が効かなくなってしまう状態を指す。食べ始めると止まらなくなってしまったり、むちゃ食いを繰り返しては吐いてしまうなどの行動が見られることもある。大量の食べ物を詰め込むように食べることも特徴だ。
そして両者の総称が、「摂食障害」となる。
何度も言うように、「痩せる」という言葉がポジティブなワードとして捉えられている世の中で、「摂食障害を治しましょうね」という言葉は当事者に響きにくい。また摂食障害まではいかなくても、「自分の身体のここが嫌いだ」という想いを抱えている人は多いと思う。
「シンデレラ体重」という言葉がある。シンデレラ体重とは、BMI「18」を指すものだ。BMI(ボディマス)指数とは、体重(kg)÷(身長(m)×身長(m))の式に自分の体重と身長を当てはめて算出する数字のことである。医学的には「22」が「健康体重」で、「18.5」未満は「低体重」と呼ばれ、身体的・精神的な悪影響を及ぼしやすいと言われている。そんな「低体重」を下回る基準が、美の指標になっているのだ。この状況に私は危機感を覚えた。
世界的に見ても、日本の肥満率は低い。肥満率は低いのにもかかわらず、自分の身体を「好きになれない」人たちは多くいる。そこから見えるのは、『私たちは決して医学的な肥満指標に囚われているのではない』ということだ。だからこそ低体重に限りなく近い「シンデレラ体重」なるものが、持てはやされてしまう現実があるのだ。
「痩せたい」と思う人たちの中には、「低体重」であることに危機感を覚える人は少ないのかもしれない。私たちの身体で起こっていることは全て「健康」に直結しているはずなのに、「美しさの基準」を目の前にすると、全てが霞んで見えてしまう。
摂食障害の主な原因は体重や体型への過度なこだわり、いわゆる「ボディイメージの歪み」だと言われている。「ボディイメージの歪み」というのは、周囲の評価と自分の評価がかけ離れてしまうことだ。周りがどんなに「スリムだ」と評価したとしても、自分にとっては太く醜い体に見えてしまう。しかしその歪みの始まりには、「周囲の評価に対する傷付き」が元になっている場合も多い。「ダイエット」という行為が手放しに褒められてしまう社会において、「自分だけの美しさ」に自信が持てる人はどれだけいるのだろう。
体型に自信のない自分との戦い
私自身、昔は自分の体型が大嫌いだった。今だって「自分の身体が好きか」と言われたら自信はない。衣類をまとわず鏡の前に立った時には、「醜いなぁ」なんて思うこともある。心ない人の「デブ」という言葉にめちゃくちゃ傷ついたこともあるし、太い腕を隠したくて、夏場は長袖が手放せなかった。ダイエットだって、頑張ったところで「まだまだじゃん」という自分の心の囁きが聞こえてくる。「ナイフで自分の肉をはぎ落せたら、どんなに楽だろう」と、何度も何度も考えた。何カ月も炭水化物を口にしなかったことだってあったし、エステやジムに通い詰めていたことだってあった。どんな方法であっても、やれば必ず「成果」は出る。しかし「成果」が出たところで、自分自身の身体が嫌いなことには変わりなかった。
そんな私が少しだけ救われたのは、「プラスサイズモデル」について知った時だ。さまざまな体型のモデルさんたちが、颯爽とランウェイを歩いていく。そんな姿を見たときに、心の底から「美しい」と思えた。もちろん、彼女たちの本心は知る由もないが、私から見た彼女たちは自信に満ちていて、「美しい」という評価がおこがましく感じてしまうくらいに、「自分らしく生きている」ように見えた。その美しさとは、何よりも「その人の内面から出る美しさ」だった。そして「世間が決めた基準」なんて全く気にしていないように見えたのだ。彼女たちの身体はまさしく「彼女たちのもの」で、頭のてっぺんから足の指の先まで、丁寧に愛されていることが伝わってきた。私が欲しかった「美しさ」というものは、内面から溢れ出す「自信」そのものだったのだ。
私は自分の身体を愛せていただろうか。私が愛さなきゃ、誰が愛してくれるんだろう。苦しい時も悲しい時も休みなく働き、こうして今日も私が生きていけるのは「私の身体のおかげ」なのに、私はちっとも愛してあげられなかった——。自分の身体を「自分のもの」として大切に出来ていなかった私は、その時に猛烈に反省した。
とはいえ、日々の生活を過ごしていく中ではそんな反省は忘れてしまう。社会が勝手に生み出した「美しさ」を基準にして、懲りずに自分自身をジャッジしてしまうこともあった。そんな時にもう一度、自分の身体について考える機会ができたのは、ハワイに住んだ時だった。
アメリカには「アメリカンサイズ」と呼ばれる洋服のサイズ展開があり、XL以上の洋服が用意されている店は多い。「XXXXXL」の表記を見た時は、さすがに驚いてしまった。身体のサイズは人それぞれで、そのことを「当たり前」のように扱ってもらえる場所にうらやましさすら感じた。自分が「太っている」かどうかは、ハワイにいる時はまったく気にならなかった。日本では履けなかったショートパンツを、自信たっぷりに履くことができた。
その時初めて、「私の自信のなさはすべて、批判を恐れたものだったのだ」と気づいた。地域によって「美しさ」の基準はまったく違う。だからこそ、アメリカにおける「美しさ」に自分が当てはまる時、私は「私らしく」いることができた。私が恐れていたのは「脂肪」ではなく、「他人のジャッジ」だったのだ。
前提として知っておいてもらいたいのだが、私は決して「美容のためのダイエットを頑張っている人たち」を否定したいわけではない。例えば、健康的な食事を摂って運動をしたり、医学的に「痩せすぎ」と言われるBMIではなく「健康体重」を目指すものであれば問題はないと思う。
しかしながら、もしあなたの頑張りが「批判されたくない」と言う気持ちから来ているものだったら、一度立ち止まって考えてみて欲しい。そもそも人間の魅力というものは、外見だけの魅力で完結されるものではない。あなたの視線や仕草や言葉づかい、考え方すべてが「あなた自身」を形成している。
体型に関する価値観は時代とともに移ろいやすく、その「美の基準」自体に脆(ルビ:もろ)さがある。その国の経済状況が「体型の美の基準」に関わっているという俗説も存在する。あなたはあなたのままで充分美しいし、体重の増減によって変動してしまうような人間関係は、真の「信頼関係」ではないかもしれない。あなたがもし、自分の体型について眠れぬ夜を過ごしているなら、ぜひとも私のもとに来て欲しい。あなたの「素敵なところ」を何個だって挙げられる自信がある。
アメリカで覚醒した私は、日本に帰ってきてからは一切「太っている」という言葉に一切耳を貸さなくなった。私が太っていようが痩せていようが、あなたにはまったく関係のない話だから。健康診断で「やや肥満ですね」と言われた時は、健康のためのダイエットを始めた。食生活を見直し、「健康のため」の運動をした。そこまでして健康体を目指すのは、大切な人たちと1秒でも長く過ごしたいからである。
私は決してシンデレラになりたいわけではないから、「シンデレラ体重(BMI18)」は目指さない。ガラスの靴が履けなくたって、裸足で愛する人の元へ会いに行きたい。それこそが「私らしく生きる」ということなのかもしれない。
【自分の体に自信が持てないあなたに伝えたい、心の処方箋】
★無理なダイエットは、あなたの心を満たしてくれても、体への負担が大きくなってしまいます。できるだけ、長期的で健康的なプランに切り替えましょう。
★「美意識を高めたくなるロールモデル」だけでなく、「今の自分を肯定できるロールモデル」を見つけてみましょう。
★「美意識の観点」からあなたの外見に意見をしてくる人とは、一線を引いてみることも大切です。まずは身体のシェイプアップではなく、必要のない悪意や縁を断ち切る「環境ダイエット」をしてみましょう。
★すべての人に、その人にしかないオリジナルの美しさが存在しています。「美の基準」というのは、環境が変われば簡単に揺らいでしまう「蜃気楼」のようなもの。自分の生きやすい環境について、立ち止まって考えてみましょう。
★あなたの身体のラインは、あなたにしかない「宝物」です。世界中どこを探しても、あなたの身体と「同じ」人はいません。あなたはあなたのままで充分美しいのです。どうかそれを忘れないで。
(記事編集:千吉良美樹)