「死ぬより生きるほうがつらい」と感じているあなたへ——自殺しない方がいい、2つの理由

文=みたらし加奈
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——LGBTQ+、フェミニズム、家族・友人・同僚との人間関係etc.…悩める若者たちの心にSNSを通して寄り添う臨床心理士が伝えたい、こころの話。

1人で痛みを抱えて

 2019年10月、韓国の人気アイドルグループ「f(x)」の元メンバーのソルリさんが、自宅で亡くなっているのが発見された。自殺だった。この訃報は世界中に広がり、インターネット上での悪質な書き込みや誹謗中傷を問題視する声が広がっていった。

 しかしその翌月の11月、再び悲痛なニュースが流れる。日本でも活躍をしていたKARAの元メンバー、ハラさんが亡くなったのだ。彼女とソルリさんは仲の良い友人同士だったために、国内外でもハラさんの心境を心配する声が多く上がっていた。彼女もまた、自死だった。自宅で発見された自筆のメモには1行、「自分を愛せなくてごめんなさい」と書かれていた。

 そして今月23日、女子プロレスラーの木村花さんの訃報が流れた。死因は公表されていないが事件性はないという。彼女に寄せられていたSNSでの誹謗中傷や、22日に更新されていた「愛している。楽しく長生きしてね。ごめんね」というインスタグラムの投稿から、さまざまな憶測がネットを駆け回った。

 第三者による死因の推測は、故人の名誉とプライバシーを守りたい遺族の方々にとって苦痛を極めることかもしれない。どんな死因であっても、彼女が悩み、苦しみを抱えていたのは事実であると思う。

 私は木村花さんのニュースを目にした時、何も手につかなくなってしまうくらいの苦しさを感じた。ソルリさんやハラさんの時も同じだった。だって、おこがましいかもしれないけれど、私には何もできなかったのだった。なんのための「専門家」なんだろうと思った。

 彼女たちや、彼女たちと同じようにひとりで苦しみを抱え込んでしまう人は、本当にたくさんいる。そして信じられないくらいの数の人たちが、自ら命を絶っている。

軽んじられている「自死」の現状

 ネットの書き込みや誹謗中傷は、時には誰かの命さえ奪ってしまうほどの大きな問題だ。しかし、誰かを身体的に傷つければ傷害罪として逮捕をされるのに、なぜか言葉の暴力は問題になりにくい。私たちはもっとそれについての議論を進めていくべきだ。

 「言葉の暴力」というものがきちんと取り締まられることを、私は心から望んでいる。同時に、私は「精神的な問題」が軽んじられてしまう現状も危惧している。彼女たちと同じような、精神的な苦痛を内側に抱え込んでしまう人が1人でも少なくなるような社会であってほしい。

 日本における10〜39歳までの死因の1位は「自殺」である。これは先進国のデータを見ても日本と韓国だけだ。「年間2万人弱死亡してしまうウイルス」に関しては皆が関心を示すのに、「年間2万人弱が死亡してしまう自殺」には関心が向けられにくいことにも疑問を覚える。確かにウイルスは目に見えないし、自分の意図しないところで罹患する恐れがある。しかし心の問題だって目には見えないし、自分が「絶対に自殺をしない」かどうかなんて、病気と同じく、その時になってみなければわからない。

 臨床心理士として歩んできた中で、死にたい人、死にたくない人、死ねなかった人、大切な人が亡くなってしまった人——そんな人たちと多く出会ってきた。病院には毎日のように、自殺をしようとして「死ねなかった人」や「もうすぐ死んでしまうかもしれない人」が運ばれてきていたし、今だってその状況に変わりはないと思う。そして「死」というものを選択しようとする多くの人は、実は「死」よりも「生」にとらわれていたりする。一生懸命に生きているから、死んでしまいたくなってしまう時もあるかもしれない。「死にたい」は「“ちゃんと”生きたい」の裏返しなのかもしれない。

 “ちゃんと”生きなくたっていいのに。人生の正解なんて誰にもわからないのに。あなたはあなたのままで素晴らしいのに——。

「人に話してはいけない箱」

 日本では「自死」が「尊厳死」として扱われていた時代があった。海外ドラマを見ている時に「HARAKIRI(切腹)」という言葉が出てきて驚いたこともある。責任をまっとうする上で、「自死を選ぶこと」が美しかった時代が、確かにあるのだ。

 そして以前も書いたように、日本にはまだまだ精神疾患に対する偏見が根強く残っている。私たちは人間関係の中で、「自分の悩み」にフォーカスを当てて話すことは少なかったりする。人はそれぞれ心の中に「これだけは人に話してはいけない」という“箱”を持って、例えば自分のトラウマや精神疾患、家族や心の問題について、箱の中に入れて蓋を閉じてしまう人は多いのだ。

 生きている限り、身の回りの「状況」は常にアップデートされていく。すると必然的に、「人に話してはいけない箱」は満杯になっていく。あふれ出したものは、あなたの心をより一層しんどくさせるかもしれない。ひとりで「整理整頓」ができなくなってしまった時、あなたには頼れる人がいるだろうか? 手を差し伸べてくれる人はいるだろうか? もしかすると、助けてくれる人は身近にいるかもしれない。でも、あふれ出したもので手いっぱいになってしまっている時、私たちはそれに気づけなくなってしまう。

 そんなループを繰り返していくうちに、ストレスが体に出始めたり、自分を傷つけてしまったり、「自死」を選択肢として考えてしまうことがある。しかし、「自分を傷つけないで」とか「死なないで」と言われるたびに、まるで“あちら側”と“こちら側”にわけられてしまった気がして、より一層孤独を感じてしまう。そんな経験をした人も、いるのではないだろうか。

 事実、私にはある。

 表面的な言葉をかけられるたびに、より一層突き放されている気持ちになって、でもそれが理不尽な怒りだということもわかっていて……。自分について考えるたびに、死に近づいていていくような気がしていた。どんなに止められたとしても、「これは私の体で、あなたには関係ないじゃん」なんて思っていた。体を傷つけるなんてラクちんで、死んじゃうなんてもっとラクそうだった。

なぜ自殺を選ばないほうがいいのか

 高校生の頃からずっと「死にたい」と感じていた私は、臨床心理士の道を歩んでいく中で大きな壁に衝突した。それは「なぜ自殺をしてはいけないのか?」という問いである。メンタルケアの分野で働く人たちにとって、この問いは「必須課題」のような側面がある。臨床心理士として働いていく中でも「自殺を止めなくてはいけない」場面は少なくはない。だからこそ、私たち専門家はそういった危機対応と呼ばれるものの教育も受けるのだ。

 一方で私は「自死を選ぶことも本人の自由である」と考える節があった。だって死んでしまうことよりも、生きていくことのほうがつらいのなんて当たり前で、そんな重荷を背負わせられるほどの力は私にはなかった。「人生を終わらせてしまいたい」という気持ちが痛いくらいにわかるからこそ、私には否定できない。だからこそ軽々しく「死なないで」なんて言えなかったのだ。それは、今だって同じだ。

 あえて「なぜ自殺を選ばないほうがいいのか」について考えてみると、そこにはいくつかの「考慮できる理由」があることに気が付いた。これはあくまで私の個人的な一意見として聞いて欲しい。

 1つは、「自分が思っているよりも“苦しみ”というものは持続性がなくて、ある程度の時間が経てば、自分次第でその苦しみを“続ける”か“ピリオドを打つ”か選択できるようになる」ということ。「苦しみを続ける」というのは、あえて過去のことを思い出そうとしてしまったり、その状況を「放置する」という選択肢をとることだ。対して、「苦しみにピリオドを打つ」というのは、自分の痛みを誰かに共有したり、しかるべき場所に相談に行ったり、ケアを受ける選択をしたりすることだ。人はいつだって「希望のある選択肢」を選べる可能性を持っていて、だからこそ「死」を選んでしまうのはもったいない。

 次に、「あなたを大切に想っているすべての人、そしてあなたに関わる多くの人が、あなたの自死の日を境に、暗くて重たい、想像を絶する痛みを強制的に持たされることになるから」というものだ。それはあなたが想っているよりも遥かに苦しく、それを乗り越えるために血反吐を吐くような努力を強いられることになる。だからこそ、ひとりでもあなたに「親切にしてくれる人」がいるならば、立ち止まって考えてみて欲しい。

 この2つは、あくまで今の私の価値観であって、これから先も変わっていくと思う。平たく言ってしまえば、「生きていたら悲しみは消えていくから」とか「残された人が悲しむから」ということである。しかし、根拠なくこの言葉をかけるのは、無責任だろう。だからこそ、根拠を持った上で、私はこの2つを「理由」として挙げさせてもらった。しかし実際にもし「死にたい」と思うあなたが目の前にいて、その思いを知ったならば、私ならこう言うと思う。「明日、会いましょう」と。

 もしかしたら、直近の「約束」がその人を暗闇から引き上げるきっかけになるかもしれない。明日の予定や、明後日の予定が、その人の「生きる意味」になる時があるかもしれない。

 人生というのは大きく捉えれば重たいものだけれど、実際には地続きの「明日」の繰り返しだ。あなたは今日1日、生きているだけで偉いのだ。明日の約束ができれば、それも本当に立派なことだ。そうやって、明日、また明日、と積み重なっていくうちに「生きる」ことにつながっていくのだと思う。「明日の約束」の中では、一緒に明るいドラマを見てもいいし、一緒に専門機関に行ったっていい。難しい言葉をかけなくたって、ただ「受け入れられたい」という思いを聞いたり、ひと言「私はあなたの味方だよ」と言うだけで晴れる気持ちもあるかもしれない。

 もしかすると、「死んでしまいたい」の裏にあるのは、「“ちゃんと”生きたい」なのかもしれない。生きることに真面目すぎる人が、「死」を自分の逃げ場として捉えやすいのかもしれない。だから私は「生きることに真面目になりすぎてしまう人たち」の1番の味方でいたい。「生きる意義」なんて見つけ出さなくていい。あなたがこうやって毎日毎日、息を吸って生きていることが尊い。そして何かのタイミングで「今日はいい日だったな」なんて想ってくれたら、素晴らしいことだ。

 汗が噴き出す、コンクリートに反射された光を眩しく感じる。雨上がりの匂いがする。何かに触れれば、硬さや柔らかさ、そして重みを感じる。目を閉じれば、自分の身体の音や振動を感じる。これが「生」だ。あなたが今している呼吸も「生」だ。私たち専門職にできることは、彼女と同じしんどさを持つ人たちの少しの支えになることだ。そして「“ちゃんと”生きなきゃ」と追い詰められている人たちに、「死」以外の選択肢を指し示すことでもあると思っている。あなたは決して、ひとりではない。

【「生きていることがつらい」と感じたあなたへの処方箋】

★著名人による自殺の報道は、自殺者の増加と関連することがわかっています。ニュースを見て暗い気持ちになったり、胸を痛めてしまうことは当たり前のことです。だからこそ、「しんどさのメーターが上がった」と感じた時は、一旦SNSを閉じて、ほかのことで気を紛らわせてみましょう。明るいドラマや映画、元気になる音楽に触れてみることも大切です。

★自分の「人に話してはいけない箱」の中身を書き出してみましょう。その中にはもう「決着がついていること」もあるかもしれません。箱がいっぱいになりそうであれば、気軽に専門機関に相談してみてください。

★もしもあなたに悩みがあって、少しでもしんどさを抱えているのであれば、気軽に専門家を頼ってみてください。今はオンラインで診療を行っている精神科や専門機関もあります。また、オンラインで受けられるカウンセリングサービスもあるので、積極的にお話ししてみてください。不安があれば、「資格を持った専門家」のいる専門機関のサービスを受けることから始めてみましょう。必ず、守秘義務は守られます。

★もしもあなたの身近な人が悩みを抱えている時は、まずはひと言「話せそうかな?」と聞いてみてください。「話せない」と言われた場合でも、例えば「どんなことがあっても味方だよ」とか「ずっと待っているから、話せる時に話してね」と伝えることで安心する場合もあります。本人にも判断できない場合もあるので、状況が悪化しそうであれば一緒に専門機関へ向かうこともひとつの方法です。また本文にも書いたように、「明日の約束」をすることで気が紛れる場合もあります。

★「何かあったとき」だけではなく、普段からメンタルヘルスについて話してみましょう。もしかすると、それが誰かの「救い」につながることだってあります。無理に「箱」を開けなくても、普段からいろいろな話をすることによって、「箱の中身」が整頓されることもあります。

(記事編集:千吉良美樹)

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