現金給付「留学生は上位3割のみ」にみる差別と不平等・不公正の再生産

文=ケイン樹里安
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膨れ上がっていく「困難」

 ゴールデンウィーク明けから、多くの大学でオンライン講義が本格的に始まった。学生も、講師も、職員も、それぞれにあわただしく過ごし始めている。「大学で学ぶ」ことそれ自体が、慣れないアプリやwebサービスの仕様や挙動、アクセスが集中すれば落ちたり重くなるサーバー、変更されたシラバスや成績評価の設定などに翻弄されながら、ギリギリのラインで乗り切るべく悪戦苦闘しているように思われる。

 なにより問題は疲労だ。講義を受ける側も、準備する側も、マニュアルづくりや問い合わせに応対をする職員側も、それぞれにただならぬ疲労を感じながらも、なんとか慣れない状況における「困難」への「適応」を試みている。

 学生が直面する「困難」や「適応」のありようは、コロナ(COVIC-19)感染拡大リスクによる自粛とオンライン講義への移行が始まる前段階によって左右されている。要するに、経済的な資源や家庭環境、社会的な属性によって直面させられる不利益や不平等によって、その具体的な様相は異なる。

 たとえば、「オンライン講義を受けている大学生」とひと口にいっても、感染のリスクを肌身で感じながら人々の往来が絶えないコンビニで日夜バイトをしているのか、休業を選択せざるをえなかったバイト先と共に経済状況に直接的に打撃を受けているのか、バイト探し中に自粛期間へと突入したのか。実家にひとまず戻ってはいるが下宿の家賃を支払い続けているのか、個人所有のPCやタブレット端末はあるのか、スマートフォンしかないのか、1人で落ち着いて講義を受けられる家庭環境なのか、経済的資源の持続がある程度見込める家庭環境なのかによって、「困難」の質や「適応」の可否は大きく異なる。

 ここに、メディア・リテラシー(デジタル機器やwebサービスの習熟など)や言語の障壁、頼れる人々との出会いや関係性の維持を自粛やキャンパス内立ち入り禁止によって奪われているかどうか、自分の社会的属性(たとえば、留学生や外国人であること)によって差別的な取り扱いを受けていないか、といった要因がさらに折り重なってくる。

 筆者の場合は、学生の情報環境がわからないままに各講義がスタートしたため、オンライン講義の初回で「どのような情報環境にいますか」と尋ねることにした。ある程度の返答はあるものの、全てではない。履修はしているが、未回答のままの学生も複数人いる。こうした状況は全国で生じているのではないだろうか。そして、そのなかに、留学生もいるはずだ。

 そもそも余裕のない状況に立たされている学生からすれば、その質問が届く環境にないため、回答することはできない。それどころか、そうした質問がなされたことすら気づかないままに、いたずらに時間だけが過ぎている場合もあるだろう。

 問題のある状況にいればいるほど、「困難」を抱えた学生はその声を上げづらい。「困難」は多様な形態をとる。絶対的な経済的困窮である場合もあれば、「友人や知り合いに頼ればなんとかやっていけたはずなのに」という場合もあるだろう。「コロナ時代」におけるオンライン講義への「適応」の「困難」は多様な形態をとりながら、さらなる困難を招き寄せる要因にもなりうる。

 数多くの「困難」が積み重なっているために声をあげることができないのだとしたら、それを自己責任とみなしたり、給付金の要件として設定することは、はたして適切だろうか。そのような状況に追い込んだ社会の問題を、非常時において個人化しているだけではないのだろうか。留学生にのみ課せられた、前年度の成績や「一か月の出席率が8割」といった基準は、社会問題の自己責任化ではないと、言い切れるだろうか。

 「困難」のあらわれと「適応」の可否を左右する前提条件のちがいに、感染拡大のリスクとそれを補償や給付の有無や質が折り重なりながら、それらが具体的な重圧として個人の眼前に立ちはだかる。留学生に限らず、大学生が直面しているのは、そのような事態だ。

差別と不平等・不公平の再生産

 「コロナ時代」と呼ばれる、いつまで続くか不明瞭な状況において、「なんとかやっていける」のは、そもそも、対面講義がなくなる前から、社会的・経済的な資源を多く持っていた学生だけなのかもしれない。現在すでに、オンライン化する大学の状況に「ついていける」学生と「ついていけない」学生があらわれつつあるのであれば、そして、それを強く規定するものが「コロナ時代」以前から有する資源の多寡なのだとすれば、今の状況は、不平等や不公正の再生産であり、今回の文科省の差別的対応もそれに加担している。

 そもそも、給付金の対象が学校教育法における「一条校」と、専修学校で専門課程をおく専門学校に限られ、朝鮮大学校をはじめとする「各種学校」が対象外である段階で、この社会にすでに存在する不平等と不公正を再生産するものだといえる。差別的対応と、不平等と不公正を再生産する仕組みに大学が動員される。しかもその差別的対応・不平等と不公正の再生産が、困窮によって、学生個人の生活と生命を危険にさらすことに容易につながる可能性をもつ。文科省が示した方針と「説明」は、ただの「区別」ではないのだ。よくSNSで飛び交う「差別ではなく財源が限られているなかでの仕方がない区別だ」という言い回しで片付けるには、あまりにも手ごわい、差別と不平等・不公正の再生産だ。

 「日本に将来貢献するような有為な人材に限る」という文言に、「人材」というヒトを消費されるモノに見立てる言葉が含み込まれている。この状況をコロナ時代と呼ぶのであれ、どうにも浮足立ったように聞こえるポストコロナやアフターコロナという言葉を使って別様の社会を夢想するのであれ、求められるのは、個人の生命と生活を捨ておいてよいモノに見立てる社会のありかたへの批判であり、フラットな「区別」にみえる差別・不平等・不公正への批判だ。

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