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今回が連載7回目、最終回になります(余談ですが、打ち切りではなく、最初から7回の予定だったのです)。連載の締めは、家庭の外の仕事でも中の仕事でも、もっとラクにするにはどうしたらいいのか、というトピックです。
2020年初頭から流行が始まった新型コロナウィルスの影響で、日本でも3月から本格的に「自粛」「ステイホーム」が要請されることになりました。多くの人の時間の使い方が変わり、ふだんならあまり時間を使わないような活動をするようになった、という変化もあったのではないでしょうか。なかには、その変化に戸惑いを感じている人もいるかも知れません。今回は、生活の中の時間と、そのなかでのやりくりについてちょっとしたヒントになることを書いています。
連載第4回目で、「ワーク・ライフ・バランスの誤解」の話をしました。「ワーク」を仕事、「ライフ」を家庭の家事・育児をあてはめるべきではない、なぜなら家事や育児も立派な仕事だからだ、ということでしたね。「ライフ」とは、ゆとりのある自由な時間で、「ワーク」はそれ以外だと考えたほうがよいのです。
過度な顧客満足が労働時間を増やす
では、どうやったら「ライフ」の時間を増やせるのでしょうか。ライフの時間を増やすためには、ワークの時間を圧縮しなければなりません。まずは「家庭外」の仕事です。リモートワークの人は在宅しながらの勤務ですが、もう少し狭く定義すると、家庭外の何らかの組織から賃金をもらって行う仕事、といってもいいでしょう。
会社で仕事をしている人にとっては、労働時間を自分で決められる範囲が小さいです。ですので、これは決める権限を持っている人たちの問題になります。ただ、なぜ労働時間が全体的に短くならないのかということは、社会全体で考えていくべき問いです。なぜなら、ある程度の共通認識ができないと、世の中は動いていかないからです。
日本人の労働時間が思ったほど減ってこなかった理由の1つは、顧客や取引先の満足度を過度に高めようとしていることにあります。10人の顧客、10の取引先があれば、根性で10まで満足させようとするのです。しかし10人の客がいれば、1人くらいは異常に要求が厳しい人がいます。最近はモンスターカスタマーという言葉がありますが、これは満足の基準が突出して高い顧客を、日本社会が全体として許容してきたことの問題です。
こういった「1割」の顧客や取引先に仕事の水準を合わせると、それこそ作業時間は無限に増えていきます。1割に作業時間の半分を費やしていることさえありえます。これだと、残りの9割の分別のある客が不公平な扱いを受け(「声が大きいものが得をする」という事態)、社会全体としても非効率的です。1割を切り捨て、9割の満足度を維持することで、仕事に余裕が生まれます。切り捨ての決断は、上司や経営者が責任をもってすべきことです。
欧米社会のバランス
ただ、この方向に社会が舵を切ると、部分的に仕事の質が下がって見えることが出てきます。欧米社会で過ごしたことがある人なら、すぐモノが壊れたり、電車やバスが時間通りこなかったり、店員があまり親切ではなかったりすることに気づくでしょう。そのかわりに、働き手は余裕をもっていられるわけです。割りを食うのは消費者ですが、欧米社会はそういうバランスなのです。
日本では、明らかにバランスは消費者有利に傾いています。このブレを、少しだけ働き手の側に動かすだけでも、労働時間は減るのではないでしょうか。仕事は、時間内で仕上げることができる品質でしか提供しないのが「当たり前」です。時間内でできないから残業をするのでしょうが、それは多くの場合、働き手の問題ではなく、単なる経営の問題です。時間外労働を想定してしか経営できないとしたら、その経営者は経営が苦手なのです。
ただ、きつい働き方をさせないと生き残れない企業が日本に多いことは確かです。これは下請けの問題であり、また経営が苦しい中小企業が生き残っていることの問題でもあります。このコラムではこういった問題には触れませんが、関心があれば拙記事(「働き方改革をめぐる議論に欠けている論点」)をごらんください。
家庭内は判断する“上司”がいない
というわけで、働き方がラクになるためには、社会全体でサービスを受ける(消費する)側が期待水準を下げることが大事、という話をしました。こちらはもしかすると、今回の新型コロナウィルス感染拡大の影響で、少し進んでいるかもしれません。実際私たちはいろんなことを我慢するようになったと思います。
さて、次は家の中の話です。こちらは逆に「ステイホーム」によって、これまではっきりと見えてこなかった問題が露呈している可能性もあります。
家の中の仕事は、上司がいないので、自分たち(家族)で決めることができます。夫婦共働きの場合、どうしても家のことをする時間は少なくなりますから、育児はまだしも、家事サービスに過剰な質を求めることはやめるべきです。
ただ、家事については、会社の仕事とは違った難しい部分があります。1つは、「第三者がいない」ということです。会社の仕事であれば、「これはさすがにやりすぎ(時間を取りすぎ)だろう」「いくらなんでも質が低すぎる」といった仕事をした場合、上司の判断、あるいは周囲の緩い共通理解でそれがわかります。しかし夫婦の場合、「どの水準の仕事が適正か」の基準が夫婦間でズレた場合、周囲が「それはさすがに奥さんが正しい」などと言ってくれるわけではありません。
たとえば、「リビングの棚のホコリの掃除の頻度」について、妻は最低週1回、夫は1カ月に1回くらいが「適正」であると考えているとします。それぞれの清潔感の感覚のズレもありますから、すり合わせが難しくなることもあるでしょう。買い物にしても、比較的低価格の野菜や卵といったところまで、商品の質・価格を吟味して時間をかけて買う妻と、「そんな時間があれば、吟味はほどほどにして他の仕事をしたらいい」と考える夫で考え方が分かれる可能性があります。
こういった基準の調整はかなり難しく、すぐにケンカになってしまうこともあるでしょう。なにか対立したらすぐに知人に電話してどちらが正しいか聞くわけにもいきません(知人の意見が偏っている可能性もあります)。
この問題は基本的には解決不可能ですから、互いに思いやりの心を持つくらいしか対処法はありません。ただ、上司がいない・周囲の人がいないというのはそういうものです。「ジャッジはいない」という認識を持つだけでも、「自分が絶対に正しい」という思い込みはある程度押さえることができるのではないでしょうか。
家事育児の時間削減の壁は「仕事の見えくさ」
家事や育児の時間の削減の別の障壁は「仕事の見えくさ」です。特に家事は、会社で言えば庶務のような仕事であり、家での生活を下支えする様々な活動を含みます。食事の準備や掃除といった見えやすい家事は、会社の仕事で言えば営業や経理など、やっていることがわかりやすい活動です。しかし掃除という活動の背後には、掃除のための用具・消耗品の補充、掃除しやすい環境づくり(日々の片付け)など、いくつかの見えにくい作業があります。それは洗濯や食事準備などでも同じです。
こういった作業を意識しないと、効率的な作業分担はできません。男性は特に下支え的な仕事を把握していないことがあるため、食事の準備を任せても、「在庫確認」を怠って余計な食材を買い込んだりしがちです。見えにくい作業を見抜く力がない人は、要するに「仕事能力がない」ということです。お膳立てしてもらわないとできない仕事の価値など、たかが知れています。
見えにくい工程を含めて作業をトータルに把握することができれば、かならず作業効率も上がりますし、協調もスムーズになります。地味な方法ですが、トライしてみる価値はあります。
夫の家事時間が増えているのに妻の負担はなぜ減らないのか?
新型コロナウィルスの影響で夫の家庭参加が増える これまでの連載では、主に「働き方」に焦点を当ててきました。たとえば第2回と第3回の記事では、女性の職…
質の追求を「8割」にするライフスタイル
以上のことに留意しつつも、私は日本の家事は世界標準からすればまだまだ「やりすぎ」だと思います。かつてサラリーマン男性+専業主婦という組み合わせが多かった1970〜80年代では、仕事も家事もそれぞれに専門特化して高品質の結果を出す、ということが可能だったのかもしれません。
しかし時代は変わりました。共働きも増えつつありますし、現役世代のきょうだいの数も減り、介護が誰にとっても負担なものになっています。
育児の手を抜くのは難しいですが、仕事にせよ家事にせよ、質の追求を「8割」くらいに抑えて、自由な時間を作り出す、余った時間を自分のために使う、というライフスタイルを考えてみましょう。