日本の「慰安婦」をめぐる議論はなぜ後退したのか/池田恵理子さんインタビュー

文=wezzy編集部
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池田恵理子氏

 韓国人の「慰安婦」被害者・李玉善(イ・オクソン)さんの半生を描いた漫画『草 日本軍「慰安婦」のリビング・ヒストリー』(キム・ジェンドリ・グムスク・著/ころから)が話題だ。ニューヨーク・タイムズ「ベスト・コミック・2019」や、イギリス・ガーディアン紙「ベスト・グラフィックノベル2019」に選出されるなど、世界的にも高い評価を受けている。

 『草 日本軍「慰安婦」のリビング・ヒストリー』は、幼少期から現在にいたるまでのイ・オクソンさんの人生を追うことで、「慰安婦」被害の実態を伝えると同時に、「慰安婦」問題を考えるうえで最も重要なことを示唆する。それは、「慰安婦」問題を単なる政治問題として矮小化せず、「女性の人権」に関わる人類共通の課題と捉えることである。

 しかし残念ながら現在の日本では、「慰安婦」について考える際、国家間、特に日本と韓国の政治問題としての議論ばかりになってしまう傾向がある。

 なぜこのような状況になってしまったのか。NHKのディレクターとして「慰安婦」関連の番組を多数制作してきた池田恵理子氏に、日本における「慰安婦」に関する議論の変遷、そして問題点について話を聞いた。

(3月12日収録)

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池田恵理子
1973年、NHKに入局。ディレクターとして、人権・教育・エイズ・戦争などをテーマにしたドキュメンタリーやスタジオ番組を制作した。2010年に定年退職。現在は、戦時性暴力、特に日本軍「慰安婦」問題の被害と加害を伝える資料館、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館(wam)」の名誉館長を務める。

かつて女性が性被害を訴えることが出来なかった

──日本における「慰安婦」問題の議論は、どういった経緯ではじまったのでしょうか。

池田恵理子(以下、池田) 本格的に「慰安婦」問題が議論されるようになったのは1991年に金学順(キム・ハクスン)さんが名乗り出て、自らが「慰安婦」被害者であったことを証言してからです。そこから、韓国だけでなくアジア各国の被害者が立ち上がって、日本軍による性暴力を訴えるようになりました。
 でも、その前から「慰安婦」の存在は知られていました。元毎日新聞記者の千田夏光さんの新書『従軍慰安婦』がベストセラーになったのは1970年代ですし、その後も、1980年代には朝日新聞の松井やよりさんがタイに残留する「慰安婦」被害者へ聞き取り調査をしています。だから、伏せられていたわけではないんです。

──では、なぜキム・ハクスンさんの証言は社会にインパクトを与えたのですか。

池田 伊藤詩織さんの場合もそうですが、性暴力の問題では、当事者が自ら名乗り出て被害を訴える…というのが一番影響力を持つのです。だから、キム・ハクスンさんの行動が状況を大きく変えたのだと思います。

──終戦からずいぶん経った「1991年」にキム・ハクスンさんが行動したのはどうしてでしょうか。

池田 それには、2つの要素が考えられます。ひとつは「キーセン観光」反対運動などの女性運動の盛り上がりですね。
 1970年代から1980年代にかけて、日本のサラリーマンが買春目的で韓国を旅行する、いわゆる「キーセン観光」が流行しました。背後には韓国政府の外貨獲得戦略がありましたが、これには韓国の女性たちが怒りをもって立ち上がり、空港でビラを撒くなどの反対運動が起こりました。戦時中のみならず戦後も続いた日本人による性的搾取への憤りがあったわけです。それに呼応して、日本の女性たちも抗議運動を起こしました。ただ、これだけではなく、1980年代に起きた韓国の民主化運動が大きな役割を果たしています。

──民主化運動ですか。

池田 韓国の民主化が本格的に進んだのは1987年からですが、そこに至るまでには軍事独裁政権を倒すための民主化運動のなかで、反性暴力の運動も広がっていました。警察官らが捜査の過程で女子大生などに性的暴行を加えるという事件がいくつも起こっていたからです。有名な権仁淑性拷問事件を告発して、多くの女性団体が結成されたのは1987年でした。
 官憲による強かんや性拷問などの被害を訴える女性たちによって、事件は可視化されました。これは女性たちには大変勇気のいることでした。儒教の伝統が強い韓国社会では、女性に責任がなくても性被害を受けたことを恥じ、自己責任を問われてしまいます。それによって、結婚できなくなることもありました。
 でも、彼女たちは、「性暴力で罰せられるべきは加害者であり、被害者は謝罪や賠償を求め、加害者の処罰を訴える権利がある」という姿勢を貫き通しました。そうした女性たちの動きがあって、キム・ハクスンさんも自らの被害を名乗り出ることができるようになったのではないかと思います。

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日本側の当初の反応

──キム・ハクスンさんの証言に対する日本側の反応はどういったものでしたか。

池田 1990年代の前半には、キム・ハクスンさんたち「慰安婦」被害者が日本へ裁判の傍聴や証言集会に来られることが幾度もあって、私も取材に行きましたが、初めて被害体験を直に聞いた時のことは今でも忘れられません。
 200人ぐらいは入る会場でしたが立ち見スペースも通路もすべて埋まってしまい、会場に入れなかった人がロビーの廊下にまで溢れて話を聞いていました。
 すごい熱気でした。被害証言が始まると、会場のあちこちかすすり泣く声や嗚咽が聞こえてきたのをよく覚えています。

──それだけショッキングな話であったわけですよね。

池田 日本兵による性暴力があまりに残酷でショッキングだったこともありましたが、それに加えて、これだけ深刻な戦争犯罪なのに、これまで知らなかったこと…つまり、歴史の授業でも新聞やテレビでも教えられてこなかったことへの衝撃と疑問がありました。
 先ほど申し上げたような被害者への聞き取り調査などはありましたし、戦後に元兵士が書いた回想録にも「慰安婦」や慰安所は出てきますから、全てが隠されていたわけではありませんが、戦後の日本はこの問題に正面から向き合おうとはしなかったし、その結果、大きな戦争犯罪として伝えられてはこなかった。
 だから、証言を聞いた私は「絶対にこの問題を多くの人に伝えて、日本人の常識にしなければならない」と強く思いました。

ターニングポイントは1997年

──池田さんは「慰安婦」を題材にした番組をNHKで何本も制作されました。一方で、日本社会では「本当は『慰安婦』なんていなかった」といったバックラッシュが日を追うごとに強くなっていきます。

池田 漫画家の小林よしのり氏が『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(小学館)で歴史修正主義的な考えを主張したのが1995年、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成されたのは1996年です。そうした動きの結果、バックラッシュが決定的になったと感じたのは1997年でした。

──1997年に、なにが起こったのですか?

池田 この年には、検定に合格したすべての中学校の歴史教科書に「慰安婦」に関する記述が載ることになったのです。これに焦った「慰安婦」否定派の人々が結集して教科書会社攻撃を始めます。「新しい歴史教科書をつくる会」も1997年に発足し、安倍首相が事務局長を務めた議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(現在は「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」)や、日本会議も一斉に動き出しました。
 そして私はこの年を境に「慰安婦」を扱った番組をつくることができなくなりました。1995年は4本、1996年は3本、NHKで「慰安婦」をテーマにした番組をつくれましたが、1997年からは何本提案を出しても、まったく企画が通らなくなったのです。
 もちろんニュースでは「慰安婦」問題を扱います。でも、それらは「慰安婦」問題の実情や被害の実態を取りあげるのではなく、「慰安婦」問題を日本と韓国の政治的な対立として描く傾向がありました。
 そんななか、2001年に起きてしまったのが、1月30日放送『ETV2001 シリーズ「戦争をどう描くか」第2回『問われる戦時性暴力』』をめぐる番組改変問題です。

──番組では、女性国際戦犯法廷を取り上げ、被害女性や元兵士の証言などが流される予定でしたが、放送直前に中川昭一経済産業相(当時)と安倍晋三内閣官房副長官(当時)から「政治的圧力」が入り、放送内容が大きく改変されたと報じられた事件です。

池田 そうです。このような報道への政治介入事件まで起こるようになり、ニュースなどで「慰安婦」問題は報じられるけれども、被害の実態や被害女性たちの人生といったところまで踏み込んだ取材をすることがなくなっていきました。教育の世界でも報道の世界でも、「慰安婦」がタブー視されるようになっていくのです。
 また、「慰安婦」問題は朝鮮半島だけの問題のように捉えている人もいるようですが、実際はアジア全域に被害者がいるわけですよね。きちんと歴史を学ぶ機会がないと、そういった誤解を生む原因にもなってしまいます。
 そういう意味でも、1997年は「慰安婦」に関する議論において、ひとつのターニングポイントになった年だと思っています。

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「慰安婦」は人権の問題

──先ほど話に出た通り、「慰安婦」が話題になると国家間の対立に関する議論になってしまいがちですが、そもそもこれは戦時性暴力の問題であり、「女性の人権」の問題であると捉えるべき問題であると思います。

池田 その通りですね。「これは女性に対する人権侵害の問題である」という共通理解がないがために議論が矮小化されることが繰り返されてきました。
 それを端的に示すのが、政治家やメディアに携わる人間の発言です。
 たとえば、2013年に橋下徹大阪市長(当時)は「「慰安婦」は必要だった」「世界各国も戦場で女性を活用した」と述べて問題になっていますし、2014年にはNHKの籾井勝人会長(当時)が「慰安婦」について「どこの国にもあった」といった発言をしています。
 このように右派の人たちは「慰安婦」の問題について「日本だけの問題ではない」と、国家の責任を免責するような言い方をするわけですが、人類が共通して抱えている問題であれば、「赤信号みんなで渡れば怖くない」といった考え方をするのではなく、どうすればこれからの世界でこのような人権侵害を起こさないで済むか、国を跨いで真摯な反省と検証をしなければならないはずです。

──キム・ハクスンさんの証言から30年もの時間が経ってしまいましたが、解決するどころかどんどんこじれてしまっている「慰安婦」問題。どうすればいいのでしょうか。

池田 被害者からの要求は、1991年からまったく変わっていません。「「慰安婦」について加害事実を認めてほしい」「正式に謝罪してほしい」「謝罪の意を示すために国として賠償をしてほしい。その際、金額は問題ではない」「二度と過ちが繰り返されないように、後世に語り継ぐ歴史教育をしてほしい」、この4点だけです。
 これらがきちんとなされていれば、もうとっくに解決していたはずの問題だと思います。でも、日本政府はたったこれだけのことをまったくやろうとしない。
 2015年には安倍政権と朴槿恵大統領(当時)の間で「慰安婦」問題に関するいわゆる日韓「合意」がありましたけど、その「合意」において安倍首相から直接お詫びの言葉が出ることはありませんでした。
 合同記者発表で岸田文雄外務大臣(当時)は「安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」と語っていますけれども、これはあくまで岸田さんが読み上げた文章です。安倍首相本人の口から出たわけではないこの言葉を謝罪と受け取ることはできないでしょう。
 しかも、この「合意」では公式な合意文書もない。こんなことでは被害者の方たちも納得できないのは当然だし、2017年に文在寅政権が誕生してから見直されることになったのも、当たり前のことだと思うのです。

──文在寅政権が生まれる前年である2016年には、桜田義孝元文部科学副大臣(2018年に五輪担当相として入閣)が、「職業としての売春婦だった。犠牲者だったかのような宣伝工作に惑わされ過ぎだ」との発言をして問題になりました。

池田 こういう暴言が政権与党から出てくれば、日本はなんの反省もしていないし、謝罪の気持ちもないのだということがよく分かりますよね。これでは被害者の方々もたまらないですよ。

──被害者もご高齢になっていますから、残された時間はそう多くありません。

池田 オクソンさんも今年で93歳です。ご本人はいまでも元気いっぱいで、なにかあると「私が話します」と飛んできてくれる。
 でも、時間がないのは確かです。韓国政府が認定した「慰安婦」の被害者は240人いたのですが、この5月にも訃報があって、残りは17人になってしまいました。
 ただ、現実には、いまの政権を変えないと、この問題の解決は難しいでしょうね。安倍晋三氏が政治家になった1993年以降の活動を見ると、要所要所で「慰安婦」の問題を無き物にすることを自分の使命のひとつとして動いてきたところがありますから。

──最後に、「慰安婦」問題を解決するために、私たちはどうすれば良いのでしょうか?

池田 まずは、戦争の歴史をきちんと学び、事実を知ることだと思います。先ほども申し上げた通り、1997年には中学校で使うすべての歴史教科書に「慰安婦」に関する記述がありましたが、大半の教科書から記述は消されてしまいました。いまの若い世代は「慰安婦」を学校で教えられていません。「嫌韓」と称する右派のメディアが、大量のフェイク情報を流しており、それに洗脳される危険にもさらされています。
 これは大きな問題です。アジアの被害国の人々が知っている「慰安婦」問題を、加害国の国民が知らないわけですから。これでは日本が世界の中で孤立してしまう。
 そうした状況を打開するために、今回出版された『草 日本軍「慰安婦」のリビング・ヒストリー』はとても良い役割を果たすのではないかと思います。
 特に、「慰安婦」問題に対して、「鬱陶しそう」「なんだか面倒くさそう」と思っていた人は、是非ともこの作品を手に取って、オクソンさんのパワーに触れてみてほしいと思います。

──『草 日本軍「慰安婦」のリビング・ヒストリー』は、視点がとてもフラットで、日本・韓国の間の「政治問題」に落とし込んでしまうことを注意深く避けている印象があります。

池田 作品でも描かれますが、オクソンさんは「慰安婦」の過去があることで、中国から帰国しても兄弟から交流を拒絶されるなど、つらい体験をしています。
 「慰安婦」に関して真摯な反省も謝罪もできていない日本側から言えることではないかもしれませんが、そういったエピソードは、韓国社会にも乗り越えなくてはならない壁があることを示しています。
 性暴力には、「被害者の立場であるのに女性が責任を問われたり、差別・偏見にさらされる」という問題がありますが、「慰安婦」に関しても同じことが起きている。
 被害を受けた女性が、周囲の反応によってさらに傷つけられる──そのように、性暴力を受けた女性がつらい立場に置かれる状況をなくしていくにはどうしたらいいか。
 これは国境を越えた人類普遍のテーマであり、「慰安婦」について考えることは、いま現在も日々起きている性差別の問題について考えることでもあると思うのです。

(取材、構成、撮影:wezzy編集部)

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キム・ジェンドリ・グムスク『草 日本軍「慰安婦」のリビング・ヒストリー』(ころから)

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