「9月入学」の荒唐無稽な議論 「教育」が政治のおもちゃにされている

文=カネコアキラ
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GettyImagesより

 新型コロナウイルスの感染拡大にともない全国で休校措置が取られたが、全国知事会が「新型コロナウイルス感染症対策に係る緊急提言」として、9月入学の国民的な骨太の議論を提言した。日本PTA全国協議会や日本教育学会が拙速な導入を危惧する声明を発表するなど反対の声も多い中、政府は21年度以降の導入検討の議論を始めている。

 突如として現れた印象を与える「9月入学」の議論。この議論は、コロナ以前にどこまで進んでいたものなのか。どのような問題があるのか。そして懸念されている教育格差を埋めるための方法は他にもあるのか。教育行政学者の村上祐介氏に聞いた。(5月16日収録)

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村上祐介
専門分野は教育行政学・行政学。国・自治体の教育行政制度の実証的な研究を主に行っている。1976年愛媛県生まれ。1999年東京大学教育学部卒業。2004年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、愛媛大学法文学部講師、准教授、日本女子大学人間社会学部准教授を経て、2012年より東京大学大学院教育学研究科准教授。博士(教育学)(東京大学)著書に『教育行政の政治学―教育委員会制度の改革と実態に関する実証的研究―』(単著)(木鐸社、2011年)、『教育委員会改革5つのポイント』(編著)(学事出版、2014年)、『新訂 教育行政と学校経営』(共著)放送大学教育振興会、2020年)『教育の行政・政治・経営』(分担執筆)(放送大学教育振興会、2019年)など。

ーー新型コロナウイルスにともなう休校措置の影響か、全国知事会は4月末、「9月入学」について国民的な骨太の議論を求めました。その後、21年度以降の導入を検討する方向での話が出てくるなど、現在も議論は続いています。こうした議論は突如として現れた印象なのですが、コロナ以前からこうした話は出ていたのでしょうか?

村上:議論自体がなかったわけではありませんが、本格的には行われていませんでした。広義の「教育関係者」の中で「いずれ9月入学もありえるかもしれない」と考えている人がいたくらいだと思います。

熱心なのは、教育の外にいる人たち、例えば経済界の人たちなんだと思います。経済界の人たちはグローバルスタンダードのことをすごく考えている人たちです。教育の世界は、えてして利益や制度ではなく、イデオロギーで動いてしまいます。「9月入学にすればグローバル化できる。グローバル化できればグローバル競争において有利になれる」そんな思い込みが経済界の人たちにはあるのかもしれません。

しかしそもそも本当に9月入学がグローバルなものなのか。欧米では秋入学のケースが多いですが、その他の地域は必ずしもそうだとは限らないんですね。

ーーすでに様々な指摘がありますが、関連する様々な制度の調整が必要になるはずですから、すぐに9月入学に変更するのはデメリットのほうが大きいのではないでしょうか。

村上:様々な制度が密接に関連していて互いに支え合っていることを、社会科学の世界では「制度的補完性」といいます。特定の制度を変更したとき、どの制度と関連していたか事前に全てを把握することはできず、事後的にわかるものなんですね。制度を変えてみたら想定外の影響が出てしまうことが考えられるわけです。それによって被害を被る人も出てくる。でもそのことすら誰も気がつくことができない場合もあるんです。

例えば新卒一括採用をとっている日本の場合、9月入学と就職活動は馴染みが悪いでしょう。たとえば、もし目論見通りに日本人の海外留学が増えたとしたら、新卒一括採用の就職活動は留学組はまだ海外で勉強している時期になるでしょう。留学すると就職活動に支障をきたす、休学・留年は必須ということにあれば、9月入学にしても(経済界の慣行があるために)結局留学は増えなかったということもあり得ます。卒業を半年伸ばしたとき、移行した年の半年間をどうするのかという問題が生まれてきます。ある年度に就活する学生が1.5倍になると、それだけでも混乱が予想されます。介護職員が半年間足らなくなるといった、高齢者福祉への影響も出てくるかもしれません。会計年度は多くの企業が4月スタートをとっていますし、ありとあらゆる制度、それこそ森羅万象に近いくらい影響が及ぶ可能性があるわけです。

もちろん他国と入学時期が合うことで留学生を受け入れやすくなるといったメリットもあるかもしれません。しかし個人的には、入学時期よりも日本の大学が英語での修学に対応できていない問題が大きいと思いますし、日本への留学にそれほど需要があるのだろうかという疑問もあるのですが……。

たとえ諸外国にあわせるメリットがあったとしても、いまこの議論をすることはあまりに拙速すぎます。それこそ、まだ生まれていない子供が小学校に入学するくらいの時間、10年近い年月をかけて議論しながら様々な制度の調整が必要な問題なんです。

ーー今、9月入学導入の議論の中で言われているのは休校が続くことで教育格差が広がるのではないかという指摘です。

村上:確かに授業ができないことで広がる教育格差は決して小さいものではありません。休校が長引けば長引くほど影響は大きくなっていきます。学年によっても違ってきます。いまはまだデータがないのではっきりしたことは言えませんが、いずれ学力テストの結果などで数字として現れてくるはずです。

端的に言えば家庭環境の差が大きくでます。幼児教育の研究では、社会的に恵まれない子どもは、多様な階層の子どもが混じった環境で教育や保育を受けることの効果が大きいことがよくいわれます。保育園の休園によって、階層格差が生まれてしまう懸念もあります。学校の休校も同じことが言えるでしょう。こうした問題に対する支援は確かに必要です。

ーー9月入学以外に教育格差を埋める方法はあるのでしょうか?

村上:必ずしも9月入学でなければいけないわけではありません。文部科学省がいま打ち出しているのが、数年かけて遅れを解消していくというやり方です。現場の混乱は多少あるかとは思いますが、9月入学よりはこちらのほうがまだ穏当なやり方だと思っています。もっとも後で申し上げるように、教育政策にお金をかけなければ格差を埋めるのは実際には難しいとは思いますが。

少しマニアックな話になりますが、学習指導要領が変更されるとき、変更を発表してから実施までに数年の期間が空けられるんです。例えばゆとり教育のときは、2002年に完全実施されましたが、発表されたのは1998年でした。この4年の間に、新カリキュラムを先取りして徐々にやっていったのです。

そういうノウハウはすでにあるわけですから、9月入学についても「○○年度に入学した生徒については、この単元は来年度に行う」といった対応も可能なはずです。3、4カ月の休校なら、ガラガラポンと制度を変えて9月入学にするよりは、長いスパンでフォローしてくほうが子供の学びへのダメージも少なくなると思います。それでも、小学6年生、中学3年生、高校3年生はどうするのかという問題は残るのですが……。

ーー遅れを解消している期間に引っ越しをして転校する場合も……?

村上:おっしゃる通りです。自治体ごとの対応では、引っ越しをして自治体が変わってしまうと受けていない授業がでてくる可能性があります。ですから、これは賛否両論がありますが、国が学習指導要領で全国一律に調整していかないといけないことです。

ーー9月入学の議論と同様で、やはり長いスパンでみる必要があるんですね。

村上:9月入学の議論をしている人たちもそうですが、これから新型コロナウイルスの第二波、第三波がくる可能性を忘れてはいけないですよね。いますぐ9月入学の議論をして社会的なリソースを割くのではなく、まずはコロナ対応に集中したほうがいいと思います。

今回に限った話ではありませんが、政治主導の弊害がでていると感じます。政治の意向を教育に強く反映しすぎている。9月入学も、あるいは一斉休校も、政治主導の中で突然でてきた話でした。政治が急に決めたことを現場が押し付けられている。巨大な現場を抱えている教育は、政策決定を政治のトップダウンで行った際に、政策の実施をどのように円滑に進めるかが大きな問題となります。現在の政治主導は、教育に限らずコロナウイルス対応でもそうですが、政策実施の難しさを理解していません。決めるのは政治だけれども、実施は現場でなんとかしてください、でも必要なリソースは十分には出せないので、足りない分は現場で手当てしてくださいということがあまりにも多い。

また、教育政策の継続性や安定性が非常に疎かにされています。強い言葉で言うと、教育が政治のおもちゃにされているんです。国民の関心を引き付けるために教育が利用されている。民意を教育に反映することは必要ですが、教育は現在の有権者だけでなく、今回の9月入学の話がそうであるように、選挙権を持たない子どもや今はまだ生まれてすらいない子どもなど、幅広い世代に影響することです。現在の政治家が決めればそれで良いという単純な話ではなく、教育と政治との関係や距離の取り方はもっと深く考える必要があります。

そもそも日本の教育政策はたいしてお金を出さないくせに、現場に丸投げにしているんです。ここが1番のネックです。お金をかけないでなんとかしようとするのが日本の教育政策の特徴なんですね。例外は幼児教育無償化ですが、それ以外はお金をかけないで変えられるところだけ「教育改革」している。これでは教育現場がただただ疲弊していくだけです。

繰り返しになりますが、9月入学については拙速に決定するような問題ではありません。教育格差を埋めるためにはその他の選択肢もありますから、長期的にみて考えなければいけません。いま「10年後に9月入学に変えましょう」と決めるのはひとつのやり方かもしれませんが、この状況下でやることはめちゃくちゃな話です。少なくとも、今ではないと思います。
(取材・構成/カネコアキラ)

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