『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』におけるフィメール・ゲイズ 視覚が提示する読みの可能性

文=久保豊
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『ミルドレッド・ピアース』との再会

 『ポイズン』(Poison、1991)がサンダンス映画祭でグランプリを受賞したトッド・ヘインズは、同時期に映画批評家B・ルビー・リッチが提唱した新しい波「ニュー・クィア・シネマ」に貢献した映画監督の一人である。ヘインズとカーティス版『ミルドレッド・ピアース』の出会いは、ブラウン大学在学中までさかのぼる。同大学で記号学を学んでいたヘインズは、フェミニスト映画研究者のメアリー・アン・ドーンの授業でカーティス版を観て、ノワール・メロドラマとして議論した経験を記憶している(Taubin 185)。

 ヘインズが『ミルドレッド・ピアース』と再び出会ったのは、『エデンより彼方に』(Far from Heaven、2002年)の製作後、友人のジョン・レイモンドから薦められていたケインの原作を読んだ2008年夏のことであった。

 ヘインズは、カーティス版と原作の間にある大きな齟齬に対してだけでなく、原作が描くミルドレッドのセクシュアリティの豊かさと物語が持つエロスの強度について衝撃を受けた。加えて、カーティス版が舞台設定を1940年以降とぼやかしている一方で、原作が大恐慌時代を時代背景とする点に、2008年8月当時すでにアメリカで高まりつつあったウォール街における経済危機との同時代性を見出したのである(Taubin 186-187)。

 この時期、ヘインズにはHBOからミニシリーズ作品の監督として起用する話がプロデューサーのクリスティーン・ヴェイコンから浮上していた。ヘインズには、シットコムのヒロインに夢中の幼児を描く『ドッティ・ゲッツ・スパンクト』(Dottie Gets Spanked、1993年)ですでにテレビ向け作品の製作経験がある。テレビドラマの熱狂的消費者であると自負するヘインズにとって、長編のテレビドラマ作品を担当することはある目標を達成するうえで魅力的であった。

 その目標とはすなわち、古典的ハリウッド映画として映画学の教材としても引用されるカーティス版を作り直すのではなく、現代の視点からケイン原作の魅力をミルドレッドの視点を通じて探求し直すことである。ヘインズは、大恐慌という遠い過去を生き延びた、ある中流階級女性の経験と欲望を現在の視点から再解釈することを試みた。

 パスティーシュ(作風の模倣)を用いた、様式化され誇張的なストーリーテリングは、『ポイズン』を経て、『SAFE』(Safe、1995年)以降のヘインズ作品において顕著となる美学的特徴である。だが映画理論家のパム・クックが指摘するように、ヘインズは『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』においては誇張を自然主義的アプローチと置換し、ヘイズ・コード期のハリウッドのなかで抑圧されたケイン原作の女性主人公の物語をより原作に近い形で再解釈したのだ(”Beyond Adaptation” 379)。テレビ向けのHBOミニシリーズというプラットフォームは、ヘインズのこのような挑戦を可能にした。

トッド・ヘインズによるフィメール・ゲイズの探求

 トッド・ヘインズが『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』においてミルドレッドに託したフィメール・ゲイズとは一体どのようなものだったのか。この点について考えるために、まずはVanity Fairとのインタビューにおけるケイト・ブランシェットの発言に触れたい。

 レズビアンの恋愛を描く『キャロル』(Carol、2015年)出演にあたり、ブランシェットはヘインズの視覚的言語の特徴を『エデンより彼方に』と『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』を通じて把握していたと語る。しかし、ブランシェットが意義深い経験だったと振り返るのは、ヘインズがルース・オーキンやヴィヴィアン・マイヤーといった1950年代に活躍した前衛写真家たちの作品を彼女とルーニー・マラに共有したことであった。

 ヘインズにとって、パトリシア・ハイスミスが小説で描いた1950年代アメリカにおけるレズビアンの物語を2010年代の視点から再解釈するためには、同時代の女性たちがどのように世界を視ていたのかを知る必要があった。写真撮影とは主体がある対象へ能動的に視線を投げかける実践であり、オーキンやマイヤーの写真が具体的に提示した女性の視線は、ブランシェットに1950年代を全く異なる視点から捉え直すきっかけを与えたという。

 もちろん、『キャロル』の製作自体にたくさんの女性が関わっている。その意味で『キャロル』は複数のフィメール・ゲイズを通じて洗練された作品であると言えるし、またあるいは原作者のハイスミスをはじめ、複数の「クィアな視線 クィア・ゲイズ」(queer gaze)を通じて成立した作品でもある。ここでさらに強調すべきは、フィメール・ゲイズとクィア・ゲイズがともにジェンダー、セクシュアリティ、階級、人種、エスニシティ、年齢といった多層的な交差性と、そのような交差性が表象に与える影響に関心がある点だろう。

 大恐慌を時代背景とする『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』においてジェンダーと階級は二つの大きなテーマである。だが、シングルマザーとして娘たちを飢えさせないよう奮闘するミルドレッドの経験をフィメール・ゲイズの観点から考察するためには、ジェンダーと階級に密接に関わる労働こそが本作において最大のキーワードとなる。

 本作において女性の労働が重要であることは、第1章のファースト・ショットがパイ生地をこねるミルドレッドの手から始まり、パイが完成するまでの過程を描くオープニング・シークエンスに提示される。深夜に鳴り響く銃声や毛皮のコートを着たミルドレッドでもなく(カーティス版)、外で芝刈りをする夫バートの視点から物語が始まるのでもなく(ケイン原作)、ヘインズ版は働く女性の手から始まるのである【図2】。

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【図2】生地をこねるミルドレッドの手(第1章)

 このオープニング・シークエンスには、大恐慌で不動産業が立ち行かなくなった夫に代わり、パイやケーキを売って生計を支えている自身のスキルに対するプライドが表れている。だが一方で、彼女の手を映すクロースアップによって作り出されるタイト・フレームは、ミルドレッドがとても狭く閉じられた世界(台所)でしか自身の存在価値を見出せていないことを示す。

 だからこそ、職業斡旋所の女性職員に料理も得意だと弁明しても、「できない。できれば書くはずだ」と見透かされ、「つまりあなたにチャンスはない」という断言は、学歴も職歴もないミルドレッドには台所という閉じられた世界以外に居場所がない現実を突きつける。

 この職員の言葉は、ミルドレッドが大恐慌前は裕福に暮らしていた中流階級家庭の専業主婦として執着するプライドをも露呈させる。今は食料を買うにも手持ちの硬貨を数えなければならないし、労働階級の人々と同じようにバスに乗り、仕事を探すために歩き回り靴擦れにも耐えなければならない。だが、たとえ身体と精神が疲弊しようとも、捨てきれない階級意識がミルドレッドの意思決定の邪魔をする。

 その端的な例が、街中で偶然見つけたウェイトレスの求人を断ってしまう場面である。カフェの様子をガラス越しに伺うミルドレッドの視線の先には、支払い代金を小さなトレーに乗せて運ぶウェイトレスの姿がある。客の多くが気品高く見える女性であり、このカフェがある程度ハイランクな場所であることが分かる。

 ガラス越しのミルドレッドのPOV(point of view)ショットに映るウェイトレスは、ミルドレッドの視線を認識し、鋭い視線をまっすぐミルドレッドに返す【図3】。のちに職業斡旋所の職員に呼び戻される場面で明らかになるように、この時点のミルドレッドは低賃金かつ客からチップをもらうウェイトレスのような仕事を見下していた。画面中央少し右にボヤけて映る窓枠は、階級意識に固執したミルドレッドの視線を拒絶するウェイトレスの感情を表現していると考えられる。このPOVショットにおける視線の力関係において優位なのは、ウェイトレスの方である。

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【図3】ウェイトレスの鋭い視線(第1章)

 その証拠に、次の肩越しのショット【図4】では、ボヤけてはいてもウェイトレスの肩はミルドレッドの体より大きく見える。ミルドレッドもまた視線を逸らすことでしか気まずさを回避することができない。このショットで興味深いのは、ウェイトレスがフレーム内に入る前に、ガラスに反射した彼女の姿がミルドレッドの身体と少しだけ重なる点である。この一瞬の重なりは、ウェイトレスとして働き始める彼女の近い将来を予見させる。だが皮肉にも、彼女が働くのはハイクラスなカフェではなく、労働者の集まる簡易食堂である。

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【図4】ウェイトレスを直視できないミルドレッド(第1章)

 プライドでは腹が満たされないし、生計を立てることもできない事実を突きつけるのが職業斡旋所の職員である。

 大恐慌時代に生きる女性としてミルドレッドの状況に対してある程度の共感を示しつつも、彼女は「失業して、胃袋かプライドか選択に迫られたら、迷わず胃袋を選ぶ」と助言する。彼女の助言通り、ミルドレッドは職探しで空腹となった果てに立ち寄った簡易食堂でウェイトレスとして働き始める。彼女はプライドではなく、胃袋を選んだのだ。

 第2章以降、ミルドレッドはウェイトレスとして生計を立て、レストラン「ミルドレッズ」を開き、三号店まで拡大させる起業家として成功する。そのような成功の背景には厳しい肉体労働があり、女性の肉体労働に真実味を付与したのがケイト・ウィンスレットの演技である。マイケル・ギレンとのインタビューにおいてヘインズは、ウィンスレットがウェイトレスの身のこなしや鶏の捌き方を習得しなければならなかったと明らかにしている(181)【図5】。

 大恐慌により多くの男女が職を失ったなかで、ミルドレッドが起業家として成功していく過程をどのように観客に信じ込ませるのか。没落した中流階級家庭の専業主婦から、肉体労働を通じて起業の目標を叶えていく過程において、彼女はいくつもの障壁を乗り越えていく。

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【図5】手際よく鶏をさばくミルドレッド(第3章)

 その過程において彼女が体験する感情や選択肢の一つ一つは、ウィンスレットの身体を通じた生々しい演技だけでなく、ミルドレッド/ウィンスレットの経験に対して溶けるように同化することを観客へ促すヘインズのフィメール・ゲイズによって感じられる。

 本作に登場する女性はもちろんミルドレッドだけではないし、カーティス版のように善悪二元論で女性が分断されるわけでもない。本作はミルドレッドの視線を通じて、同時代の女性たちが置かれた状況や、彼女の友人たちがどのように互いをライバル視しながらも支え合っていたのかが描かれる。

 メイル・ゲイズによって見世物化された女性身体ではなく、1930年代アメリカ西部における女性たちがどのように生きる術を模索していたのか、またどのように自分たちの身体や欲望を自分たちのものとして主張したのか。様々な女性の経験を「感じさせる」視線を提示することで、ヘインズは本作に対する観客性を拡大させる。それによって、次節で論じるようなクィアな読みも可能になると考えられる。

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