『水曜どうでしょう』はなぜホモソーシャルに陥らないのか 栗田隆子×西森路代

文=カネコアキラ
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ホモソーシャルにならない理由

西森 あそこまで曝け出すと、そのことがむしろ「勇敢なこと」とされてホモソっぽくなるのに、『どうでしょう』はそうならないんですよね。

栗田 「曝け出してる自分」を演出しようとしているわけではないからだと思うんです。

西森 わかります。「あのときつらかったけど、あとでこれをネタにして笑いをとれば救われる」みたいな転換ってしんどいけど、『どうでしょう』はつらいときにつらいって言っているから。さっきも栗田さんが言われていたように、人間性をさらけ出すということにも「頑張り」を強要する感じではないんですよね。それって、ものすごく今につなげてしまいますけど、リアリティーショーの問題にもつながるところですね。

栗田 笑かそうとしているんじゃない。それぞれが何か固有のキャラクターを打ち出して演出しているんじゃなくて、あの4人の関係性がそのまま出ているんだと思います。

西森 『どうでしょう』はさっきも触れたようにドキュメンタリーなんですよね。ドキュメンタリーってディレクターやプロデューサーの力がすごく出るんですよ。もし藤村Dが「こういうキャラで面白くして」って指示していたら違う番組になって早く終わっていたかもしれないし、旅に行ったんだから、いっぱい見せ場を作ってねという無言の圧をかけていたら、みんなそれに従っていたのかもしれません。でもそうではなくて、困ったときに困ったままを撮っているから面白くなった。

東海テレビって、今やドキュメンタリーですごく有名なんですが、そのドキュメンタリーをけん引している阿武野勝彦さんてプロデューサーは、ドキュメンタリーというのは「イベント的な、派手なものを繋ぎ合わせてはいけない」と言われてるんですね。イベント的な見せ場が撮れると、メリハリもついてディレクターなら「おいしい」と思ってしまう。でも、人間ドラマって、そういうところにあるんではないってことだと思うんですよ。

あと、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』っていうテレビ東京のドキュメンタリーがあるんですが、プロデューサーでディレクターの上出遼平さんって、たった一日だけしかその人を追いかけていないのに、出会ったばかりの難民の男の子との関係性がものすごく濃密になっていて。他の人が同じことをしても絶対同じ番組にはならないはずです。それだけ人を追うディレクターの人間性って番組に表れるもので、『どうでしょう』も、やっぱりディレクターが出演している人たちと、どう関係性を築くかが番組に表れているなって。

栗田 『どうでしょう』は、ひとネタやらせようみたいなことを抑制している気がします。「面白いことをこいつに言わせよう」みたいなものがないですよね。いわゆる一発芸ではなくて、状況とか、文脈の中で出てくる言葉ややりとりが面白いという。

西森 そうですね。私、大泉さんが「ヨーロッパ20ヵ国完全制覇 ~完結編~」で、渡辺篤史のモノマネで「小林製薬の糸ようじ」を連発する回が大好きなんですけど、あれも一発芸を強要されたんじゃなくて、大泉さんがもう自分で面白くなっちゃって止まらなくなってるんですよね(笑)。ああいう夜中のノリみたいなのの面白さを、そのままテレビの向こう側にまで伝えるのって難しいんですけど、ある種のドキュメンタリーだからこそ伝わるのかなと。

『電波少年』にならない世界観

栗田 『どうでしょう』の面白さにコミュニティができていく点も挙げられると思うんですよね。ハマった人が友達に布教しちゃう。名台詞みたいな独特の言葉を合言葉のように言い合って楽しくなったり。

西森 早くからファンを集めた祭り的なものをやっていましたよね。アーティストやアイドルのファンクラブみたいに、ファンが集まるような場所を作るのは昔からありましたけど、番組、それも地方局が長きに渡ってコンスタントにファンを集めるような仕組みを作っているのは珍しいと思います。だからこそファンダムが出来上がっていく。

栗田 私たちベビーブーマーの世代は人も多いですもんね。番組のHPでも一生懸命コミュニティの運営をしてましたよね。いまもYouTubeでやってる。

西森 古いテレビマンはやらないようなことをやっているんですよね。

栗田 しかもそれをやっているのがいち地方局の人たちという。

西森 すごいことですよね。なんでもないただの大学生が出ていた番組20年経った今でも何度も何度も放送されている。

『電波少年』(日本テレビ系)は『どうでしょう』に先行していて、当時は爆発的な人気があったけど、あっという間に消費されつくしてしまったじゃないですか。今もし再放送があっても、再度見て、すごいってなるとは思うけれど、するめのように何度も噛むみたいな楽しみではないと思うんですよ。やっぱりあの番組は「事件」と「頑張り」を見る番組だから、見ている方にも緊張感があって、何度も見るには刺激が強い。でも、『どうでしょう』は、これ前に見たなってものをやっていても、やっぱり見て、ふふって笑ってしまえる。消費って一瞬のものと、長く続くものがあるんだなと。

大泉さん自身、消費されることを意識的にコントロールしてると思うんですよね。東京でバラエティのレギュラーは持たないって言われているし、TEAM NACSの舞台も何年かに一回で。それもずっと続けられるということを考えているのかなと。

栗田 いわれてみれば確かにレギュラーで出演してないですね。

西森 バラエティは映画の宣伝で出るだけ。それと東京では『SONGS』(NHK)のレギュラーがあるだけで。

そんな風に、一気に消費されないようにしながらも、一方でアイドルみたいな存在であることも認めている。事務所の『CUE DREAM JAM-BOREE』ってイベントでは歌ったりトロッコにのったりしているわけで。珍しいですよね。いま50歳近くになってまで続いているグループってなかなかないじゃないですか。SMAPさえ解散しちゃいましたし、EXILEも新陳代謝をするわけですし。

栗田 嵐も解散宣言してますしね。私が小さい頃は40を超えたアイドルなんていなかった気がします。

西森 アイドルグループとしては世界中に40歳を超えるまで休止なしで続けてる人たちってそうそういなかったし、そこは本当に日本の独自性だったと思います。どっちかというと40代は再結成の時期ですよね。

栗田 資本主義社会の今、まったく消費されずに生きていくのは難しいと思うんです。その中で、4人は消費についてこれだけ考えさせてくれる。

西森 芸能にかかわっていく以上、消費について考えざるを得ない立場だと思うんですけど、さっきも出てきたように、同じような成り立ちに見える『電波少年』と比べると全然違う。それはやっぱりディレクターの考えの違いもあれば、局としての違いもあるんでしょうね。やっぱり、無名の人ばかりの地方の番組を、DVD化したり、番販してきたってことは、今では当たり前に見えて、ものすごくフロンティアなことだったんだと思います。

栗田 画面から感じる圧力というか、世界観が違うんですよ。

西森 あと『電波少年』の場合、スタッフ側は黒子ですよね。

栗田 私たちの視線だけになってますね。

西森 一方で『どうでしょう』はスタッフとのコミュニケーションがある。ディレクターもカメラマンも出演者のひとりだから、被写体だけに求めすぎることはなくなるのかもしれないですね。支配、被支配の関係性みたいなものもフラットになりやすい。それも、リアリティーショーを考えるときの、重要なポイントかもしれない。

栗田 ディレクター陣も一蓮托生の運命というか、一緒に苦労していますしね。

西森 結局、撮っている側の人間味が左右するんだと思います。

栗田 私たち側も、ただ起きていることを見ているんじゃないと思うんです。ドイツの道端でキャンプする羽目になったときは、なんだかこちらも一緒にキャンプしているような気分になっていて。

西森 そうですね。「画面の中の人」として切り離して、こっちは見ているってだけなのが消費なんだなって思いました。『どうでしょう』のファンとのイベントも含めて、本当に「一緒に」「寄り添いながら」これから年を取っていく感じがありますしね。

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