努力家で優秀なアジア系女性という「人種」ステレオタイプ~『ウォッチメン』分析

文=北村紗衣
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Amazon Primeより

 今回の記事では、アマゾン・プライムで配信されているHBOのドラマ『ウォッチメン』をとりあげ、アジア系女性キャラクターの扱いについて考えたいと思います。

 このドラマはアラン・ムーアによる同名のコミックのスピンオフで、社会批評的な作品として評価が高く、私も第8話までは大変面白く見ていたのですが、正直なところ第9話の展開でかなり幻滅しました。結末の激しいネタバレがありますので、未見の方は注意してください。

テレビドラマ版『ウォッチメン』と人種差別

 『ウォッチメン』は非常に複雑な作品なので基本設定だけ説明します。覆面のスーパーヒーローによる無許可の自警活動が禁止され、そのかわりに警官は身を守るためヒーローばりに覆面をつけて活動をしているアメリカ社会が舞台のディストピア作品です。年代としては我々が生きている現在と同じ時期に設定されていますが、世界観が大きく違っており、一種の歴史改変SFです。

 その一方、差別撤廃への反感で盛り上がる白人至上主義組織の活動など、現代アメリカを強く意識させるような要素が大量に盛り込まれています。直線的な時系列では進まず、登場人物も多いので、一筋縄ではいかない作品です。

 基本的には群像劇ですが、一応主役級のキャラクターと言えるのが、「シスター・ナイト」という名前で覆面の捜査員をつとめているアフリカ系アメリカ人女性アンジェラ(レジーナ・キング)です。この世界線ではヴェトナムはアメリカに併合されていて、アンジェラはヴェトナム出身です。アンジェラの素性が第1シーズンの謎のひとつで、このあたりを中心に歴史上の事件なども織り込みつつ、暴力と人種差別に満ちたアメリカ史を書き直そうとしています。

 過剰に複雑で盛り込みすぎというところは若干ありますが、テレビドラマの『ウォッチメン』が野心的な作品であることには間違いありません。内容がエキサイティングで鋭いばかりではなく、人種差別の扱いについても高い評価を受けています。必要以上にネタバレしたくないので細かく立ち入りませんが、私もこの作品はアフリカ系アメリカ人差別について極めてニュアンスに富んだ描き方をしていると思います。ジョージ・フロイド殺害事件が起こっている現在のアメリカに必要とされているような物語であることは間違いないと思います。

 しかしながら、私が引っかかっているのは、この作品において深く掘り下げられている「人種差別」が、白人からアフリカ系アメリカ人に対する人種差別だけだということです。本作にはヴェトナム系のキャラクターが登場するのですが、アジア系に対する差別は極めて通り一遍に描かれているだけです。私はここが全く気に入りませんでしたし、正直怒りました。それはなぜかということをこれから説明したいと思います。

アジア系は頭が良いのが当たり前

 『ウォッチメン』にはレディ・トリュー(ホン・チャウ)というヴェトナム系の女性が登場します。トリューは才能と努力で大きな富を手に入れた実業家で、野心と将来のヴィジョンに満ち満ちています。何かばかでかい建造物を作っており、終盤まではあまり動機のはっきりしないミステリアスな人物です。

 トリューはマーク・ザッカーバーグ、イーロン・マスク、リチャード・ブランソンのような、ちょっと奇矯な実在の企業家をモデルに作られています。しかしながら、どう見てもヴェトナム女性がオシャレと思うわけなさそうな髪型で出てくるトリューは、表情が読みづらくて何を考えているのかはっきりしない、白人が考えるところの典型的な「謎の東洋人」でもあります。さらにアメリカ社会では、アジア系はガリ勉で出世を目指しているというステレオタイプが存在し、トリューはこのイメージに沿った人物です。

 ここでとりあげておきたいのが、中国文化圏の女性のステレオタイプで、「タイガー・マザー」(虎のような母親)という人物像です。これは子供に立身出世をさせるべく極めて厳しい教育を行う母親を指す言葉ですが、トリューはこの「タイガー・マザー」の娘であり、また本人が一種の「タイガー・マザー」でもあります。トリューは少数民族で女性だという社会で不利なポイントを跳ね返すため超人的な努力をしており、その結果として成功を手にしています。

 この作品のリアルさとしては、そんなトリューの努力に対して誰も注目していないというところがあります。大金持ちで奇妙な巨大建築物を作っているというからには、世間で噂になったり、地元のメディアから取材が来たりしてもおかしくないのですが、このドラマではそこまで大きな注目を受けている気配がありません。アジア系は頭が良くて努力家でちょっと風変わりだからスゴいことができても当たり前、みたいな感じでスルーされてしまうのです。

 これはアメリカ社会ではありがちなことで、たとえば大統領選の民主党候補として台湾系アメリカ人の実業家アンドルー・ヤンが名乗りをあげた時は、この若くして成功し、華々しい経歴を持つ人物が、白人の候補者に比べると報道で無視されがちなのではないかということが議論されていました。これは南アジアなども含めたアジア系アメリカ人全般について言えることで、なぜかいないみたいな扱いをされるし、どんなに頑張ってもどうせアジア系なら当たり前でしょ、みたいな目を向けられるのです。

しかしながら、トリューがけっこう無視されているというこの番組の描写はおそらく意図的ではなく、「天然」です。というのも、この作品じたいがあまりトリューを画面に映さず、人物像を掘り下げていないからです。この番組でみんながトリューの建造物にあまり関心を示していないのは、たぶんそもそも作品自体がトリューにあまり重点を置いていないからだと思われます。

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