1980年代末のニューヨークを舞台に、アフリカ系やラテン系など非白人のコミュニティを描いたドラマ『POSE』。ファッション、ダンス、メイクなどを駆使して競り合う「ボールルーム」は現在のドラァグクイーン文化につながる。特にトランスジェンダー女性の生き方が描かれ、演じているのもトランスの当事者という点が画期的で、注目されている。
本作でも触れられる、白人中心的なLGBTQコミュニティからトランスが排除されやすいという問題は、特集に掲げた「Black Trans Lives Matter(黒人トランスの命の問題)」の通り、主流社会で軽視される現在にもつながる。社会的に逸脱するクィアたちが支え合うコミュニティとボールルームで競い合う単位の「ハウス」、そのマザーのあり方とケアや教育、プリテンドとリアル……イラストレーターのオカダミカさん、イラストレーター・コミック作家のカナイフユキさん、フリー編集者の平岩壮悟さんを招き、『POSE』の魅力について座談会を企画した。
※『POSE』シーズン1のネタバレがあります。
Black Trans Lives Matter特集をはじめるにあたって
5月25日、アメリカ・ミネソタ州ミネアポリス警察所属の白人男性から取り調べられている最中に、黒人男性のジョージ・フロイドさんが殺害された。以前から問題視さ…

オカダミカ
雑誌、新聞、装丁等のイラストレーションから、個人作家としてのエキシビション開催まで国内外で活動するアーティスト。村上龍の「ダメな女」装丁イラストから活動を始め、新聞連載小説や文芸誌の挿絵、装画、雑誌、CDジャケット等のイラストレーションなど多方面に活躍。

カナイフユキ
イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。

鈴木みのり
1982年高知県生まれ。ライター。ジェンダー、セクシュアリティ、フェミニズムへの関心から書評、映画評などを執筆。『i-D Japan』『週刊金曜日』(2017年書評委員)『すばる』『ユリイカ』などに寄稿。第50回ギャラクシー賞奨励賞受賞(上期)ドキュメンタリー番組に出演、企画・制作進行協力。利賀演劇人コンクール2016年奨励賞受賞作品に主演、衣装、演出協力などを担当。(写真撮影:竹之内裕幸)

平岩壮悟
1990年岐阜県生まれ。フリー編集者。主にi-D Japan。編集で関わった単行本にケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』など。i-Dの記事「ブラック・ライヴズ・マターを考えるための映画・本10選」も本座談会と併せてご覧ください。
スタンとエンジェルの恋路
オカダ 『POSE』って自分探しの話だと思うんです。トランス女性のブランカやエンジェル、エンジェルに恋するシスヘテロ男性のスタン、そして妻のパティも、みんな自分や居場所を探している。当事者じゃなくてもそれぞれの立場にたてるから、自分の足場を変えられる作品だなって。
私は、スタンが浮気していることを知ったパティがエンジェルと話をするシーンが好きなんです。同じ男を共有した者同士として、「私たちは(スタンの)お人形さんじゃない」とか「養われて生きていくのが幸せだと思っていたけどつまらなかった」って話してて。
平岩 パティはエンジェルと出会ってから目覚めた感じがありますよね。いまのスタンとの生活には幸せを感じているんだけど……
カナイ 閉じ込められている。
平岩 そう。
鈴木 当時のフェミニズムの文脈も感じ取れますよね。エンジェルと出会った後、パティは自立するために大学で修士を取りに行くことを決めます。はっきりとは示されてはいないけど、二人の出会いはお互いの生き方を左右したのかも。
カナイ 僕はスタンのことがすごく気になっていて。物語の中で、スタンはエンジェルもパティも自分のものにできないじゃないですか。「僕は何者でもない」「エンジェルと付き合って本物を手にしたかった」って何度も言っているけど、色々求めながらも本当に何を求めているのかは分かっていない感じがします。僕も同性を性的に求めながら、世間体を気にして異性に戻っていく既婚のシス男性と出会って辛い経験をしたことがあるんですけど、スタンってそういう世間体と同時に秘めた欲望も手にしたがる白人シス男性の典型に見える。でも悪者としてではなくて、自分探しをしている若者みたいに描かれているのが面白い。
オカダ ティーンかよ!っていう。
鈴木 うん(笑)。スタンはトランプタワーで働いているっていう設定で、現在に引き続くトランス排除の政策との関連を示唆していると思います。
平岩 『POSE』の舞台は1987年で、トランプも不動産王として絶頂期にいた頃だから、トランプタワーで働くことってある意味アメリカンドリームの象徴みたいなところがあると思うんですよね。スタンは最初、会員制の社交クラブに参加するために、奥さんに高い腕時計を買ったり、郊外に家を買ったり、わかりやすいエリート像を目指す。でも自分の空疎さにも気づいているから、だからこそ自分らしく生きている(ように見える)エンジェルに魅かれていくという。
見ていて気になったところ、ひとついいですか。ボール・コミュニティの中でグランドマザー的な存在のエレクトラには白人男性のパトロンがいるじゃないですか。パトロンはエレクトラが性別適合手術をした途端に見捨てるんだけど、ああいう人たちはいったいなにを求めているんだろう。
鈴木 あれって、トランス女性に向けられるセクシュアルなファンタジーとして、あるあるなんだよね。手術してないトランス女性、ペニスの有る女性というのが性的な欲望を喚起する装置として重要なんです。だって手術後のトランス女性は、シス女性と身体のかたちとしてはほとんど変わらないから。つまり、あのパトロンの、エレクトラに手のひら返すやり方ってトランス女性を人間として見てない、ただの一方的な消費ってことですよね。けどスタンは、言葉の上ではエンジェルを人間として扱おうとしている。そこが魅力的に見えるんですよね。
オカダ スタン自身、なぜエンジェルに魅かれているのか自分でもわかってないですよね。
鈴木 微妙なところですよね。エンジェルと知り合った当初は、接触を汚いものと感じているような描写もありました。スタンは自分がどう見られるかをとても意識している。
2013年にニューヨークでトランス女性のイスラン・ネトルズの殺人事件があったんですね。加害者の言い分は、いちゃついていたらトランス女性だって気づいて、恥をかかされたから殴ったんだそうです。男性間のホモソーシャルでバカにされることが許せなくて、その怒りがトランス女性に向かったってことですよね。
カナイ スタンもホモソーシャルな環境にいますよね。トランプタワーで働いて、マッチョな上司がいて。綱渡りしている感じがある。
鈴木 エンジェルとの関係をパティにバラされたときに、バラした上司とスタンが殴りかかってケンカになるじゃないですか。あれって、美しい妻と子どもがいて、郊外に家を買って、高級外車で都会に通勤して……みたいなスタンの「理想像」、白人男性の中流階級の夢を壊されたことへの怒り、みたいに見えたんですよね。
オカダ どうなんだろう。スタンってわかりやすいエリート像を目指しているわりに、会社に対する執着とか感じないじゃないですか。会社を辞めたことの悲しみがスタンからは出てない。上司を殴ったのも、家族とエンジェルという自分にとって大事なものを奪われたことへの怒りなのかなって。
鈴木 スタンも約束を守らなかったり、エンジェルへの対応が不誠実に見えるところもあるから、エンジェルが不審がる気持ちもよくわかるけど……それでもあの時代に、自分の空虚さを言葉にできるスタンは、男性像としては貴重に思えますよね。
平岩 主要キャラクターの中で唯一のシスヘテロ男性ですからね。やっぱりエンジェルとスタンの恋はすごく気になります。
鈴木 かわいいですよね、あの二人。
カナイ 初めてベッドに横たわるときにケイト・ブッシュの「“Running Up That Hill (A Deal With God)」が流れているんですけど、あれは「神様と契約してあなたと心と体を入れ替えられたらどんなにいいだろう」って曲なんですよ。相手の立場を経験したいという。エンジェルの「この曲は私たちの曲になる」というセリフはグッときます。。
平岩 シーズン2にスタンは出てくるんですかね? エンジェルとの恋が描かれるのか気になる。
カナイ 出てくるんじゃないですかね? シーズン1の最後では放り投げられているけど。
オカダ スタンは今のところ何も見つけてないもんね。
鈴木 エンジェルとの関係から何か変わるきっかけみたいなものは得てるけど。
オカダ いや、それは人に依存するってことだから。みんな誰かに依存していて、例えばエレクトラには白人男性のパトロンがいる。その援助を失うことになっても自分のあるべき姿でいたいという思いを捨てきれず、手術をして、そのせいでエレクトラは一旦ホームレスになってしまうけど、仕事を得て、初めて給料をもらったときの表情の変化がすごいじゃないですか。きっと誰かに依存しないで、自分の力でお金を稼いだんだっていう喜びがあって…。エレクトラの自分探しはそういう話なんだなって。そういう意味では、スタンってシーズン1の最後で振り出しに戻るだけ。
平岩 エンジェルへの片思いは続いていくんでしょうね。振り向かせようと頑張るのかなあ。
プリテンドとリアル
平岩 『POSE』全体を通したキーワードとして、プリテンドとリアルがあげられると思うんです。ボールルームで毎回、ショーのテーマとして掲げられる「カテゴリ」がまさにプリテンドですよね。自分らしくありつつも、カテゴリに沿ったファッションを出場者はまとっている。スタンもアメリカンドリームを体現すべく中産階級のあるべき姿にプリテンドしていく(寄せていく)。だけど、彼は「僕はミドルクラスの白人男性っていうブランドでしかない」とその空疎さにも自覚的で、だからエンジェルにリアルを見出そうとする。
鈴木 トランス女性に対する差別として現実によくあるのは、さっきのイスラン・ネトルズの件みたいに、女性だと思ったらそうじゃなかった……って勝手に「本物かどうか」っていう価値観で判断される、ってやつで。だから、一般社会からは「リアルじゃない」と扱われやすいトランスのエンジェルに対して、リアルさを見出すシス・ヘテロのスタンみたいな構造はおもしろいですね。
プリテンドとリアルといえば、ボールルームで「ボディ」を競い合う回で、グラマラスさが評価されるから、痩せ型のキャンディがMCのプレイ・テルから酷評されるじゃないですか。そのあと詰め物をして望んだら、(キャンディが所属するハウスのマザーの)エレクトラから「本物じゃない」「恥をかかすな」と言われる。
平岩 人工的な美は評価されないんだよね。
鈴木 でもキャンディは「それはウィッグでしょ」ってエレクトラに言い返すんですよね。
オカダ そうそう。詰め物をしたキャンディに辛辣な言葉を浴びせたプレイ・テルも最終的に「すべてを手に入れたキャンディ」って紹介してたし、何が人工でなにが天然なんだろうってわからなくなっちゃった。
平岩 エレクトラは「完璧な女性」を目指していて、性別適合手術をするじゃないですか。他の人たちはどうなんだろう。
カナイ エンジェルは、はっきりとは言ってないけど自分の性器が嫌だとは言ってましたよね。
鈴木 手術をするかしないか、どういう服装やふるまいを見せるか、みたいな判断はシスジェンダーの価値観の中での「リアルとプリテンド」に関係するってことがよく描かれてますよね。トランスはシスを「ノーマル」とするジャッジにいつも左右される。
平岩 鈴木さんが、女性的なイメージに同化したいという気持ちもあるから、フェミニンなものを単純に批判できないって前にどこかで言っていたと思うんですけど、『POSE』でもみんな、女性らしくありたいって言っていますよね。ジェンダーってプリテンドの最たるものかもしれないと思っていて。
鈴木 人って他者からの反応や見方に応じながら変わっていくから、どこからが「自発的」なのかわからないんだけど、いわゆる女性的とされる格好に寄せていきたいという欲求もあるけれど、社会通念上そう求められているからかもしれない、という葛藤はありますね。
平岩 サバイブするために、トランス女性がより女性的な見た目にすることで職を得やすくなるみたいなこともありますよね。
オカダ 私は作品に出てくる人たちの多くはお金があったら手術したいんじゃないかなって思っていて。あの時代は、今ほど選択肢が細分化されていないし、男性像と女性像がより強固だから、手術してより女性らしくするっていう発想しかなかったのかもしれない。自分の気持ちに合う性として生きるためには、女性らしさを纏うしかなくて、そうじゃなかったらドラッグを売るしかない、みたいな……。
鈴木 どうだろう……今でも「手術をしないと女と認めない」っていう恐ろしい意見がツイッターなんかで見られるけど、お金があっても手術しない選択をする人は当時も今もいた/いるんじゃないかな。「外」から見たら、服装でプリテンドすればわからないわけだし。ただ、エンジェルやキャンディがシリコンで胸やお尻を大きくしようか悩む、みたいな、服越しに「女性らしさ」が知られてしまう部分については、医療を利用しようって人は少なくないと思う。
教育熱心なマザー・ブランカ
鈴木 ブランカは、独立して自分のハウスを作ったときに、メンバーにドラッグの売買を禁止する。でもハウスの一員であるパピはそのルールを破っていた。ルール違反がバレる前の会話で、パピは「エンジェルは身体を売ってるのに、なんでドラッグは悪いんだ」っていう疑問をブランカにぶつけてるんですね。ドラッグはコミュニティを壊すからダメなんだっていうブランカの理屈があって、それは黒人やラテン系のコミュニティでの問題視そのものなんですよね。
だからこそブランカはパピを咎めるんだけど、「13歳からひとりで生きてきて、中学もろくに行けなかった。他に選択肢がなかった」ってパピは吐露するんですよね。ブランカは、「私も自力で生き延びる術を身につけてきたけど、ドラッグの取引には手を出さなかった」って応じる。パピはヘテロセクシュアルだけど自分の身体を売った経験があるっていうエピソードもあって……パピの立場と、店舗型の見世物小屋的風俗店で稼ぐエンジェルの、就労の困難の差が感じられました。
カナイ ドラッグに近い環境にあったんだろうなとは思いました。現在でも、貧しい地域に住む黒人をはじめとした有色人種が生活のために薬物を売っているって話は聞きますし。
鈴木 『ムーンライト』でもそういう話がありますよね。パピの仕事や生き方の選択肢がないっていう痛切さを感じました。エンジェルは、ストリートでの売春をブランカに禁じられてるし、ストリートが危ないっていう意識がブランカにはあるんだと思う。
平岩 ブランカは、エンジェルが身体を使って稼ぐのは彼女の自由だし、トランスジェンダーのお金を稼げる手段は限られてるからって言っていて、ドラッグと一線を引くのはいい叱りだなあって思ってたけど、パピのことは考えてなかったなあ。どうしたらよかったんだろう。
オカダ きっとブランカはドラッグでダメになっていく人を見てきたんでしょうね。
鈴木 ブランカはパピをハウスから追い出すとき、「これが正解なんだろうか」って葛藤してましたよね。デイモンの通うダンス学校の先生ヘレナにも相談する。
オカダ そのシーンいいよね〜!
ブランカって、エンジェルとか、ダンスの才能があって学校に通わせるデイモンに対しては特別な子扱いするけど、同じハウスの一員であるパピとリッキーにはまた別の扱い方をしますよね。それは過去の自分と同じダメな人間の匂いを感じているというか……。パピやリッキーが持っている危うさを、自分にはないものとして扱ってはいない気もして。その危うさが、ハウスを壊してしまう爆弾のようなものになりうると想像しちゃうんじゃないかな。
鈴木 ブランカはラテン系の家系でパピと通じる。それにブランカのお兄ちゃんも暴力的だったし、既視感があるのかな。
カナイ もしかしたらブランカも、日常的な暴力や教育が受けられない状況を共有しているのかもしれない。
鈴木 教育が受けられないと可能性が制限されていきますもんね。
そうした『POSE』の登場人物らの背景には、アメリカでBlack Lives Matterが起きている今の問題と地続きなんですよね。憲法修正第13条、監産複合体(監獄が民間産業の工場化している)、警察権力の肥大によって、実質的に黒人の奴隷制が引き続いている、就学や就労にも困難をきたすという現実を前に、(ラテン系などミックス含んだ)黒人の置かれるさまざまな不当な処遇や生活から人権を回復しようとしているのがBLMです。
Netflixドラマシリーズ『ボクらを見る目』(エイヴァ・デュヴァネイ監督)でもそのあたりの、黒人の複雑な立ち位置が描かれていました。黒人だからと不審者扱いされ、不当逮捕・判決を受け、ある一定の刑罰以上だったため、選挙権も失われる。そうすると、社会システム自体を改善するために、直接的に政治を動かすことができなくなってしまう。そうして自分の人生や世界に信頼を持てなくなって、自暴自棄になるのは想像がつきます。
このドラマと『POSE』の時代は近い。ブランカはこういった状況を良しとしない立場として描かれ、ハウスの子どもたちの犯罪者化を防ぎたかったのかも。
平岩 『ヘイト・ユー・ギブ』でも、低所得者層の黒人が暮らすエリアのドラッグディーラーが、負のスパイラルから抜け出せないことが描かれていました。パピはこのスパイラルから抜け出せるのかどうか……。
カナイ ブランカがデイモンに肩入れするのもそういう背景から、教育を受けさせたいという意識がありそうですよね。
オカダ それこそデイモンもブランカに出会う前は公園で寝泊まりをしていたわけで、ドラッグに近い環境にいるしかなくて。そんなデイモンを見てブランカは自らのハウスに招くわけだけど……家があるって本当に大事なことなんだと思いました。住む場所があるからこそ、自分に向かい合える。
デイモンは学校に行く事でヘレナと出会って、新しい人生が切り開いていく。デイモンにとってはヘレナもマザーなんですよね。
鈴木 5月末に黒人トランス男性のトニー・マクデイドさんが地元警察に銃撃されて亡くなったのは、ボコボコにしてきた(シスジェンダーであろう)男性たちに復讐した後だと報じられているんですね。マクデイドさんは、それまでもずっと強盗を繰り返していたそうで、今年の1月に刑務所から出たばかりで。ご本人の人生は断片でしかわからないし、「黒人の」「男性として生きる」という複合的なアイデンティティと犯罪化を安易に結びつけるのも、「黒人だから不審」っていう偏見とつながりやすいから危険なんだけど……犯罪者化して(させられて)コミュニティから孤立し、助けを求められなくなっていたのかもしれない、と想像させられました。
『POSE』も、みんないつどう転ぶかわからない危うさがあった。例えばエレクトラは、他のクィアたちに比べて金銭的に困ってなさそうな生活をしていたのに、白人(シス)女性の愛人とはちがって使えるお金が限られてるって言うし、さらにパトロンから見捨てられたら一気にホームレスに転落していったし。
平岩 ブランカとエレクトラの友情はアツいですよね。
鈴木 エレクトラはウォーキングもかっこいいですよね。そんなエレクトラがホームレスになったときに、ブランカは仕事を見つけてきてあげる。しかもすごいやつ! なんでパピには見つけてあげないのとは思った(笑)。
平岩 逆にエレクトラは、自分のハウスから家出したブランカが困ったときに、自分の娘だからといってなんだかんだ助けてあげたり。
オカダ 互いに反発しあうけど、エレクトラはブランカを買ってるよね。
カナイ 最終話でもブランカのピンチにエレクトラが駆けつけますけど、僕はあのときのエレクトラの衣装が大好きです。「コイツにはかなわない!」って思わせるインパクトがある(笑)。
社会には「マザー」が足りていない
平岩 そういう意味でも疑似家族であるハウスってすごく大事ですよね。血縁での繋がりとは違う、小さなコミュニティがあってちゃんと機能していれば、結果的に犯罪の予防にもなるはずで。あと気になったのがハウスでの躾け。ブランカってハウスの子どもたちに対して厳しいですよね。
カナイ ハウスのマザーとして、子どもたちに対する教育への情熱が強いですよね。未来を見ているキャラクターだと思います。
鈴木 ブランカはエイズに罹っている設定だから……。
カナイ 悔いを残したくないって気持ちが強いんでしょうね。
ブランカが、ゲイバーがトランスジェンダーの入店を拒否していることに対して怒って、何度も何度も乗り込むじゃないですか。あれはブランカの自分が生きているうちに少しでも世の中を変えたいという思いが伝わってくるシーンでした。
平岩 そんなブランカに対して、エレクトラが「白人のゲイは絶対に取り合おうとしないから闘っても無駄。無理しなさんな」って言うんですよね。そのシーンでエレクトラは、字幕だと省略されていたけど、「あんたはローザ・パークスじゃない」とも言っていて。
鈴木 公民権運動の。
平岩 そう。人種隔離の真っ只中でバスボイコットをはじめた女性ですよね。エレクトラのセリフだけど、きっとブランカの意識はローザ・パークスと一緒だったんだろうなって思います。
最近たまたま知ったんですけど、ストーンウォール蜂起が起きる2、3年前にニューヨークのバーでゲイライツの活動家が「シップ・イン」ってアクションをしているんですね。公民権運動で、白人専用の食堂に黒人が割り込んでいく「シット・イン」をもじったもので、ゲイ差別をするバーにわざわざ行って、正当なサービスを要求していた。『POSE』では、ゲイバーでのトランス差別に対してブランカが同じアクションをしている。
鈴木 「シップ・ア・マルゲリータ」っていうセリフがありましたよね。意識しているんだと思います。このシーンでエレクトラとブランカの、コミュニティに対する意識の差を感じさせられます。
カナイさんは、日本のゲイコミュニティ内での格差や違いを感じた経験はありますか? 『POSE』でも、同じシス・ゲイ男性だけど、デイモンとリッキーでは教育のちがいやふるまいの差がうかがえますよね。リッキーはいわゆる「男らしい」感じで、デイモンは物腰が柔らかい。新宿2丁目には「ゲイ規範」みたいなもの、モテるかどうかで見た目やふるまいを変えるってこともあるんだろうけど。
カナイ うーん……あくまで個人的な見解ですが、新宿2丁目にはそうした規範による差別はある気がします。まず基本的に、お酒が強いとか、喋りが上手いとか、そういったタイプの人じゃないと2丁目を楽しんで、自分の居場所だと感じることはできないんじゃないかな。それに加えて、なんだかんだ言って「男らしさが一番」という価値観は根強くあるので、リッキーみたいな人がモテますよね。デイモンみたいな人は見た目が良いとか、喋りが上手いとかでないと居心地の悪さを感じると思います。一昔前に流行った「おネエキャラ」みたいな人の中には、そういう環境の中で処世術として喋りの技術を身につけた人もいたのではないでしょうか。
ゲイコミュニティ全体で言うと、いまはネットが発達してアプリで出会うこともできるから、居場所がないと感じている人は以前よりは少ないと思いますけど、それでも体つきや振る舞いが「男性的」である方が好まれる空気はあるので、昔も今も規範意識はあると思いますね。だから、『POSE』で描かれるような「男らしい男歓迎、トランス女性お断り」みたいなゲイバーも、実際にあっただろうなと想像できます。
鈴木 『POSE』では、エレクトラとブランカのハウスのあり方の意識の差みたいに、トランス女性間での差も描かれてますよね。だから口汚く罵り合うみたいなシーンもあって、リアリティがある。その一方で、ブランカがLL・クール・Jみたいな男(笑)に口説かれてキャッキャしていたら「私もその男とヤったよ」「私も」「私も」ってその場にいたみんなが言ったり、その男をみんなで取り囲むシーンがあったりして、シスターフッドみたいなエピソードもありました。それぞれ規範に縛られたり、あいつとは違うみたいな意識もあるんだろうけど、支えるときは支えるっていう。理想的な描き方かもしれませんが「コミュニティ」という意識は共有しているのかもしれない。
カナイ そうですね、理想的な描き方かもしれないけど、コミュニティ内で支え合っているのはよかったですよね。
鈴木 ハウスを「疑似家族」と呼ぶと聞こえが悪いけど、コミュニティ含め、それぞれの大事なよりどころなんだと思う。プレイ・テルのセリフで、ハウスはホーム以上に意味があるっていうのがあったんだけど、ハウスとホームの違いは、どういうことなんだろう……? って気になりました。
平岩 ブランカもそうだし、デイモンもそうだけど、元の家族と反りがあわなかった人たちが、自分たちにとって居心地のいい、よりベターな家族を作ろうとしているのは理想的だと思います。「地元」のニュアンスがあるHomeは生まれ育った家で、Houseは自分たちでいちから築いた家ってことなのかも。
鈴木 うんうん。わたしは、ブランカのハウスやコミュニティへの意識はすごすぎて、初めて見たときは、ちょっとどうしたらいいかわからない状態になりました(笑)。なんだこの尊い人は! って。
脚本・監督・プロデュースで携わっているジャネット・モックは『POSE』で、これからのブラック・クィア・コミュニティのヴィジョンをどのように示していくかを考えていたんだと思うんです。それをブランカに託していたんじゃないかな。ハウス、つまり血縁的な家族、コミュニティの可能性ってことなんだと思う。
今起きているBlack Lives Matterも、これからの社会のあり方のヴィジョンがありますよね。別に白人を攻撃したいわけじゃなくて、どういう社会構造で、どういう特権を自分たちが持っているのかを気づいて、変わってほしいってことだと思うんです。『POSE』では、スタンにそういう橋渡し的な立ち位置を感じました。
平岩 以文社のHPにBlack Lives Matterの発起人のひとりであるパトリス・カラーズのインタビューの翻訳が掲載されていますが、そこで彼女は「わたしたち黒人の解放は、まずなんといっても黒人トランス女性たちや他の黒人トランスの人たちが解放されたときにはじめて実現するもの」って言っているんです。暴動のニュースだけ見るとBLMはマッチョな印象を受けるし、黒人コミュニティ内のトランス嫌悪も今回浮き彫りになっているけど、この運動は最初からトランス女性のことをインクルードしていた。もっと言えば、誰かを搾取してそのうえで利益を生む資本主義のシステムを批判する、大きな展望も含意されている。そうした問題をコミュニティで解決しようとしているんですよ。
鈴木 ブランカもそれをやろうとしていた。ただ、エンジェル役のインディア・ムーアがツイッターで、コミュニティ内での葛藤を吐露していたのを読んだ記憶があります。白人中心的な社会のしわ寄せが、黒人コミュニティにきているわけだから、簡単に外から「シスの黒人はトランスの黒人への暴力をやめろ」とは言えないはず、と思いました。
オカダ 私はブランカを見ていて、マザーになりたいと思ったんですよね。LGBTQの話で、「当事者じゃないと口を出すな」っていう意見も聞いたりすることもあるけど、本当の意味で「わかっているよ」と共感できなくても、自分の立場で関わりを持ったり、できることもあるんじゃないかって。
ブランカみたいに住居までは提供できなくても、身近な人が今置かれている状況をもっとちゃんと理解できたら、安全な場所を作る手助けはできるかもしれないし。そういうマザーになら私もなれるかも?と(笑)。
平岩 いまの社会にはマザーが足りていない。
鈴木 『POSE』はマザーやハウスを通して、サポートするとかアライになるってことの可能性を広めようとしていたのかもしれないですね。
(企画/鈴木みのり、構成/カネコアキラ)