本特集では「Black Trans Lives Matter」に「黒人トランスジェンダーの命の問題」という訳を採用してきたが、lives=lifeの複数形とも読める。つまり、アメリカで生きる、黒人トランスである人々の生活に関わる問題とも考えられる。
日本からでもそうした生活を知る手がかりになるのが映像作品で、特に2010年代はエンタテインメントであるドラマ、映画を通して黒人トランスを描く作品が増えてきた。
さらに、生活は収入や他者との関わりが支えるものだ。ハリウッドはじめアメリカのエンタメ業界で、どのように黒人トランスたちは生活のための仕事や人間関係を築いてきて、今わたしたちの手に映画やドラマが届き、楽しむことができている現在があるのか。
こうした視点を共有し、BTLMについて考える入口になればとこの記事を企画した。性的マイノリティをテーマとした映像作品・映画の上映会プロジェクト「Normal Screen」を主宰する秋田祥は、アメリカのクィア・カルチャーにも親しく、執筆をお願いすることにした。日本でも見られる映画、ドラマシリーズとエンタメ業界にまつわる黒人トランスをめぐる視点を提供したい。
*日本で上映/放送されたことのある作品は日本語題で表記。日本未発表作品は原題で表記。配信サイトへのリンクは2020年6月27日現在のもの。
Black Trans Lives Matter特集をはじめるにあたって
5月25日、アメリカ・ミネソタ州ミネアポリス警察所属の白人男性から取り調べられている最中に、黒人男性のジョージ・フロイドさんが殺害された。以前から問題視さ…
『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』(“Orange Is the New Black”、2013〜2019年)
この投稿をInstagramで見る
女性刑務所を舞台に絶妙な人間関係や刑務所の外の人生をもあぶり出す、俳優たちのアンサンブルが魅力なドラマ。ジェンダー、セクシュアリティ、人種など多様な女性キャラクターが繰り広げる人間模様と同時に、制作陣に女性が多かったことも話題になった。
なかでも黒人トランス女性のソフィア・バーセット役を演じるラヴァーン・コックスへの注目は大きかった。ソフィアの過去や獄中の苦悩、受ける暴力やヘイトも丁寧に描かれる。
2014年、コックスはTIME誌の表紙に登場。記事は「The Transgender Tipping Point」と題され、現在でも「転換点」としてアメリカではよく言及される。コックスは同年、ソフィア役でトランスジェンダーの俳優として初めてエミー賞にノミネートされた。現在のアメリカのトランスの才能たちが大活躍していくきっかけとなった。
2013年の発表当時、ウェブ限定のオリジナルドラマの出来栄えやヒットに疑心暗鬼だった業界人や観客がまだいたことを考えると、それからの変化は目覚ましく、記念碑と言っても過言ではない。
『タンジェリン』(“Tangerine”、2015年)
灼熱のクリスマス。恋人がシス女性と浮気しているのではないかと狂乱する黒人トランス女性でセックスワーカーのシン・ディと、彼女に翻弄される友人で歌手を夢見るアレクサンドラ。ロサンゼルスの片隅で忘れられた人々の珍道中をiPhoneで撮影したコメディ映画。2人の激しい若さのノリで映画は展開し、彼女らを冗談や弱者として描くことを拒絶する。理想的ではないものの、トランス女性を愛する不器用なシス男性が珍しく一人以上登場するのも見どころ。
主人公2人を演じるキタナ・キキ・ロドリゲスとマイヤ・テイラーは、監督のショーン・ベイカーによりストリートでスカウトされた。特にテイラーはインディペンデント・スピリット賞で助演女優賞を受賞し、その後、短編映画でマーシャ・P・ジョンソンを演じるなど今後の活躍も期待される。
20年前の『セックス・アンド・ザ・シティ』シーズン3では、トランスのセックスワーカーたちがサマンサと言い合う短いシーンがあり、侮蔑的な言葉で笑い話にされていたことが思い出される(問題ではあるが、貴重なトランス女性の表象であった)。
『サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所』(“Saturday Church”、2017年)
80年代末から始まる『POSE/ポーズ』 (Amazonプライム/Netflix)のような世界が、現在のニューヨークではどのように存在するのか。この映画がその姿を少しだけ見せてくれる。
ブロンクスで母親と住む14歳の主人公ユリシーズは、行き場を失ったある日、クィアのキッズたちが集まる教会の存在(実在するプログラム)を知る。そこには音楽があり、メイクやファッションで自らを鮮やかに表現する人々がいた。30年前より安全になった川辺、夜のマンハッタン。しかし、変わらず家を追い出されるLGBTQの若者もいれば、暖かく受け入れてくれるコミュニティも存在する。
同じように現代のニューヨークの映画と言えば、『Gun Hill Road』というインディペンデント映画が2011年に作られている。ブロンクスのトランスジェンダーのティーンが登場し、シビアでタフな現実が描かれる。
一方、本作はミュージカルだ。『POSE』前夜、後に主演するMJ・ロドリゲスも1曲披露している。
『パリ、夜は眠らない。』(“Paris is Burning”、1990年)
現在でも貴重な資料として、また魅力的な人々のポートレートとして人気のドキュメンタリー。80年代後半のニューヨークのボールルームカルチャーで、黒人やラテン系のゲイやトランスジェンダーの若者たちを捉えている。パフォーマンスだけでなく、着飾らないその背景も見せることで、アメリカにおける差別や階級の問題との関係も明らかにする。裕福な世界への憧れや批判を表すヴォーギングの動きは、ときにおかしく、ときに痛いほど真っ直ぐだ。
『POSE』が描こうとしているのは、まさにこの世界である。当事者のファンも多いが、発表後も一部の登場人物たちの過酷な人生は変わらず、白人の監督ジェニー・リヴィングストンが彼らを、そしてこの文化を搾取しているという批判も強い作品。
ドラァグカルチャーはだれのもの?『ル・ポールのドラァグ・レース』(2009年〜)
この投稿をInstagramで見る
トランスジェンダーでかつドラァグクイーンとして活躍する人も存在する。
ドラァグカルチャーを率いる有名なル・ポールは、人気のショー『ル・ポールのドラァグ・レース』に「トランスジェンダー女性の参加者はおそらく認めないと思う」、と2018年に英ガーディアン紙で発言。しかし、その数カ月前に放送されたシーズン9には、トランスであると公表していたペパーミントも参加していたこともあり、物議を醸した。ペパーミントのジェンダーをル・ポールは知っていたが、手術はしていなかったので彼女を迎え入れた、と。発言は、ディトックスら過去の参加クイーンにも批判され、ル・ポールは謝罪。ドラァグは歴史的にもシスゲイだけのものではなかったと認めた。ル・ポールの視野の狭さが浮き彫りになった。
ル・ポールはマスキュリニティとの関係など考えを展開したが、ペパーミントは、トランスとドラァグの関係は「シス女性がショーガールをする関係と似ているのではないか」というシンプルな考えを示している。
これまでの同ショーの参加クイーンには、シーズン5の黒人のハニー・マホガニーやフィリピン出身のジグリー・カリエンテなど、実に18人がトランスジェンダーまたはノンバイナリーと自認している(放送終了後の公表ふくむ)。
見えにくいトランスジェンダー男性俳優の活躍
この投稿をInstagramで見る
トランスジェンダーの俳優といえば女性の活躍がめざましいが、アメリカでは近頃、トランス男性も存在感を増してきている。TIME誌は2019年に、「トランスマスキュリンの俳優」と多様化するキャラクターや物語を特集。ニューヨークタイムズの雑誌T Magazineは2020年2月に、同様の内容の長文記事を撮り下ろし写真とともに掲載。そこにはアジア系俳優も数名登場するが、黒人俳優は極端に少ない。
そんななか安定してテレビドラマに出演しているのがブライアン・マイケル・スミスだ。2012年から『ブルーブラッド ~NYPD家族の絆~』などに出演、2017年にはエイヴァ・デュヴァネイによるドラマ『Queen Sugar』で、主要キャストの親友でトランス男性の役を演じている。
このキャラクターは自身のジェンダーをある回で明らかにする。スミスはそれに合わせ、自身のジェンダーも公表した。その背景には、今後、物語のなかでもトランスの人を演じたいと感じはじめたからだと言う。昨年からは『Lの世界』リブート版にも出演。
黒人トランス男性俳優は他に、例えばマーキース・ヴィルソン(Marquise Vilson)も小さいながら出演機会を重ね、頭角を現し始めている。
黒人のクィアなキャラクターたち
この投稿をInstagramで見る
興味深いトランスキャラクターの描写や、既存の「男/女」二元のジェンダーにカテゴライズされない人々の描写にも注目したい。
例えば、イギリスのコメディドラマ『セックス・エデュケーション』の、主人公の親友のエリック。彼は特別な日にはジェンダー規範にとらわれずに、ファッション(パンプス!)やメイクを通し自信をもって表現する。
ニューヨークで実際に起こったレイプ事件の冤罪を元にしたドラマ『ボクらを見る目』では、黒人やラテン系の主人公らの家族模様にトランスジェンダーの存在も無視せずに、見せる。無実の罪に苦しめられる少年たちのなか、中心的に描かれるコーリー・ワイズが獄中で思う姉との思い出のシーンは印象的だ。姉のマルシーを演じるのはトランスを公表しつつ人気モデルになったアイシス・キングだ。劇中、ジェンダーを移行する前後両方のマルシーをキングが演じている。
『マスター・オブ・ゼロ』では、リナ・ウェイス演じるデニースが主役のエピソードは評価が高い。その“神回”でウェイスは、黒人女性で初めてエミー賞脚本賞(コメディ部門)を受賞。1995年の幼いデニースは、母親が用意した白いドレスを拒絶し、マスキュリンな服を着こなす。心地よく感じる服に身をまとう。狭義のトランスではないが、いわゆるブッチなどと呼ばれるマスキュリンなレズビアンの表象として、重要なカルチャーの1つとも関連づけられる。
この3作はすべてNetflixオリジナル作品。従来の言葉を自称しながらも定義にとらわれない人、または出生時に与えられたジェンダーを離れつつたどり着く先を決めずに生きる人たち。その過程、葛藤、決意のニュアンスは物語をより豊かにする。
ブラウンピープル:ベテラン&注目の才能たち
この投稿をInstagramで見る
ラテン系、東アジア以外のアジア系、ミックスなど、愛着をもってブラウンと自称する、トランスの人々。欧米で黒人文化を語るときに、その存在を忘れてはいけない。白人が占拠する空間では黒人と同じように差別をされることもある。一方、文化的に刺激を与え合っていることも多いだろう。
アマゾンプライムのドラマ『トランスペアレント』は裕福な白人の家族を中心に描かれるが、主人公モーラの友人を演じるアレクサンドラ・ビリングスは、ネイティヴ・アメリカンとアフリカ系のミックスだ。2020年現在58歳の彼女は80年代から演技をはじめ、名脇役として知られ、HIVポジティブであることも公表している。最近は、ブロードウェイのミュージカル『ウィキッド』にも出演。
マーベルコミックをドラマ化した『ジェシカ・ジョーンズ』には、アニーシュ・シェス(Aneesh Sheth)というインド系アメリカ人でトランス女性の俳優が参加している。シェスの役柄は、自身のジェンダーについて話すことはないが、南アジア人としてのアイデンティティは明確に映される。彼女は今年、ヒューマンライツキャンペーンのヴィジビリティ・アワードを受賞した。
同じくインド系のシャーン・ダサニ(Shaan Dasani)は、映像作家でもある俳優で、近頃はウェブシリーズ『Razor Tongue』に出演。
数多くのLGBTQ映画祭でも上映されたこのシリーズは、グアム出身のレイン・ヴァルデスが原案と主演もこなすシャープなコメディだ。ヴァルデスは、裏方の仕事をしていたが、『トランスペアレント』出演をきっかけにドラマなどに多く出演、LGBTQIAのための演技スクールも設立している。
また、世界のLGBTQ映画祭では、白人以外の監督によるものや俳優が登場する作品も確実に増えてきている。
黒人トランスジェンダーのクリエーターの可能性
この投稿をInstagramで見る
俳優として活動していないために日本からは見えにくいが、アメリカやカナダなどでは有名な黒人トランスジェンダーの才能たち。
なかでもハワイ出身のジャネット・モックは超がつくほど有名になった。エンタメ専門のジャーナリストからテレビ番組の司会、鋭いメディア批評を織り交ぜたコメンテーターなどを経て徐々に名を広め、2014年に発表した自伝本で一目置かれる存在へ。2017年のポッドキャストでは、ビヨンセの母、ティナ・ノウルズにインタビュー。トランスジェンダーの人権問題に関しても声をあげ、多くの受賞歴がある。
『POSE』には脚本、プロデューサーとして関わるだけでなく、シーズン1では1エピソードを監督。非白人トランス女性でテレビドラマの監督をしたのはモックが初となった。
さらにNetflixと複数のプロジェクトを3年契約した。大きな資本に関わる現在でも媚びない姿勢を保ち、影響力を増し続けている。
モックも公に活動を応援しているのがアート界でも注目されるトルマリンだ。運動家であり、映像作品も制作。Black Lives Matterでも訴えられている、監獄・警察システムの解体を、トルマリンは以前から問題視していて、再注目されている。短編『大西洋は骨の海』やニューヨーク近代美術館のウェブサイトで特別公開されている新作を通し、黒人トランスジェンダーたちの築いてきた歴史にスポットをあてる。新作にはキアヌ・リーブスも出資。
黒人トランスジェンダー俳優と就労
この投稿をInstagramで見る
目覚しい活躍の一方、大多数のトランスジェンダーの俳優を取り巻く現実は今も厳しい。トランスの人のいないアカデミー賞やエミー賞で、シス男性がトランス女性役を、シス女性がトランス男性役を演じて讃えられる姿は、お馴染みの光景のようにすら感じる。
ハリウッドの俳優らは、人種間(白人/非白人)、ジェンダー間(男性/女性)の賃金格差の問題に取り組んでいるが、トランスジェンダーの俳優たちはその前に、役を手に入れることにまだ苦労しているとされる。
そして多くのトランスのキャラクターはトランス女性であるために、トランス男性の俳優はさらに役を見つけるのに苦労する、とスリランカ系アメリカ人のコメディアン/俳優のディーロはBuzzFeedに語っている。そのような状況では、ギャラについて交渉することは非常に難しくなってしまう。しかし同記事によると、早くからこれらの問題に声をあげてきた黒人トランス女性の俳優アンジェリカ・ロス(『アメリカン・ホラー・ストーリー:1984』『POSE』)は、それでも賃金の交渉を怠らないと言う。そのためには、これまでの功績をしめす必要があるが、幾重にもマイノリティであるため、ただ頑張ればいいというレベルではない。
一方、ハリウッドのトランスコミュニティは、改善のために経験の少ないトランスジェンダーの人々を積極的に雇用したり製作を学ぶ場を作っている。『トランスペアレント』や『トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして』の現場で実践された試みだ。近い将来、それらの芽が育つのを私たちは目撃することになるだろう。
(企画:鈴木みのり、秋田祥)