
© 2018 EPIPHANY FILMS. ALL RIGHTS RESERVED.
昨年、映画ファンの間で『パラサイト 半地下の家族』とともに“いま最も観るべき韓国映画”として名が挙がっていた映画『はちどり』が、今月20日より日本で公開されている。
1994年のソウルに住む少女を主人公に据えた『はちどり』は、低予算で製作されたインディペンデント作品ながら、韓国の大手映画誌「シネ21」で年間ベスト2に選出され、国内最大の映画祭である青龍映画賞においては『パラサイト』を抑えて最優秀脚本賞を獲得、ベルリンやアテネなど多数の国際映画祭でも数々の賞に輝いた。
単館規模としては異例の15万人に迫る動員数を記録するなど、批評家だけでなく観客からの評価も高かった本作は、特に女性からの大きな支持が目を引いたという。
コメディやサスペンスなど様々な要素が盛り込まれた高いエンターテイメント性を誇るメジャー作品『パラサイト』とは対照的に、26年前のソウルに暮らす少女の日常が描かれた『はちどり』は実直さに満ちた作品だ。韓国で生まれたこの小さな物語が国内外の観客、特に女性たちの心を掴んだ理由とはなんだろうか。
『はちどり』のストーリーは以下の通りである。
1994年、ソウル。家族と集団住宅で暮らす14歳のウニは、学校に馴染めず別の学校に通う親友と遊んだり、後輩女子や男子学生とデートをして過ごしていた。両親は小さな店を必死に切り盛りしており、子供たちと向き合う余裕がない。大人たちの誰からも関心を寄せられないウニは、孤独な思いを抱えていた。
ある日、通っていた漢文塾に女性教師のヨンジがやってくる。ウニは自分の話に耳を傾けてくれるヨンジに次第と心を開いていくが、ある日、聖水(ソンス)大橋崩落の知らせが入ったことで彼女の世界は一変する。
90年代の韓国は国際化と民主化を加速させながら、急速な経済成長の恩恵と歪みを同時に受ける大きな社会変化の中にあった。
その影響は94年のソウルを描く『はちどり』において、働きづめのウニの両親や、過酷な学歴社会の重圧に晒される兄の姿、そして安全性よりも経済を優先させた手抜き工事により建設された聖水大橋の崩落などに表されている。
社会背景の落とす影は、少女ウニの世界を確実に歪ませていく。子供に目を向ける余裕ない両親の無関心さは孤独感を与え、長男としていい大学に入るようプレッシャーをかけられた兄はその不安を暴力に変えウニに襲いかかる。そして、聖水大橋の崩落は彼女の心に決定的な傷を残すのだ。
しかし本作には、歪んだ世界のなかで小さな羽を必死に動かし続ける彼女が、他者との関係性のなかで希望を見いだしていく姿が印象的に映し出されている。

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『はちどり』が映し出す女性同士の様々な関係性
恐らく10代の女性を主役に据えた青春映画であれば、彼女を苦悩から救う存在として異性の姿が描かれることが一般的だろう。しかしこの『はちどり』において、ウニの世界に光をもたらすのはボーイフレンドではなく、同性との結び付きだ。
ウニのことを「オンニ(韓国語で“お姉さん”を意味する言葉、女性が年上の女性を呼ぶときに用いられる)」と呼んで慕う後輩の女子、ウニと同じく家庭内暴力を受けている親友、そして出会いの日から「好きなものは何?」と聞いてくれる、ウニの心を覗く唯一の大人ヨンジ。
新時代へ突入していく社会とは裏腹に、男性優位的な家父長制を基盤とした変われない社会規範のなか、ウニと同じく小さな羽を休められることのないはちどりとして生きる彼女たちは、互いを宿り木として求めそれぞれに繋がり合う。その関係性は、友達や姉妹、師弟、また恋人同士とも言い難い多様な結び付きとして描かれている。
特に周囲の大人たちから「変わった人」と見なされ、どこか孤立した印象をまとうヨンジは、同じく孤独を抱えているウニにとって特別な存在だ。兄の暴力を受けるウニに対しヨンジが「誰かに殴られたら立ち向かって」と主体的な生き方を説く場面は、同じく家父長制の社会規範をもつここ日本の観客の心にも大きな共感を持って響くように感じた。
『はちどり』でメガホンをとったのは、81年生まれの女性監督キム・ボラ。ウニとほぼ同い年で、同じ時代にソウルで暮らしていた彼女は、当時の体験をウニに、そして大人になってから芽生えた気付きをヨンジに投影させたという。
<若い頃は、“人生は美しい”という言葉を幼稚だと感じていました。年をとるにつれ、愛の尊さを知り、人生は不思議で美しいと感じるようになりました。単純に“私の人生は幸せ”ということではなく、良いことと悪いことが作り出す多彩な模様が、結局は美しいものだと思うのです>
まさに語り手である監督自身の個人性が表れている本作からは、女性同士の多様な関わり合いと、それがウニの世界にもたらす多彩な輝きが、誠実な語り口をもって伝えられるのである。

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映画製作現場の多様化で生まれる「新しい声」
『はちどり』に表される女性たちの多様な関係性は、特に女性の観客からすれば大いに共感を持って受け入れられるものだ。しかし、そうであるにも関わらず、これまでの映画作品のなかではあまり見られなかったため、『はちどり』のそれは新鮮なものとして映る。
過去には『はちどり』と同じく女性監督のチョン・ジュリによって手がけられた韓国映画で、都会から小さな海辺の村に赴任してきたセクシャルマイノリティの女性警官(ぺ・ドゥナ)と暴力の被害を受ける少女(キム・セロン)の結び付きを描いた『私の少女』(2015年)が多くのファンを生んだが、それでも未だに映画の中の関係性と言えば“男同士の友情”や“男女の仲”が多数を占める。
その理由として挙げられるのは、万国に共通する、映画の製作現場における男女比の偏重であろう。
韓国映画について言えば、昨年末に開かれた韓国の国会討論会で映画界のジェンダーバランスを分析する場が持たれ、女性監督の比率が約10%と男性監督に比べ著しく少ないことが問題視されていた。またそれに付随して、映画表現におけるジェンダーバイアスを分析する基準「ベクデルテスト」(“作中に少なくとも名前のついている女性の登場人物が2人以上登場しているか”や“女性同士の会話シーンの有無とその会話が男性について関係しているか”などの項目が設けられているもの)によると、2019年に公開された韓国映画の大半で、女性の登場人物は男性と比べ悲しみ・喜びといった感情表現が画一的に描かれていたという報告があった。(http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?art_id=201912162124005)この結果は、現状における語り手のジェンダーバランスの偏重と全く無関係ではないだろう。
しかしそんななかでも、最近の韓国では女性監督の活躍が目立ち始めているとキム・ボラ監督は話す。
<2019年は『はちどり』だけではなく、ユン・ガウン監督『我が家』、イ・オクソプ監督『なまず』など、多くの女性監督の新作が公開されました。同じ時期に、あれほどたくさんの女性監督の映画が公開されたのは前例のないことです>
<この10年間に公開された韓国映画を振り返ってみると、ヤクザものやマッチョ自慢をするような作品が多く、ポスターを見ていてもだいたい男性がセンターです。(中略)女性たちはそんな映画に飽き飽きしていて、女性が登場する映画を熱望していました>

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その言葉どおり近年韓国では、女性を主体的に描いた作品の鑑賞を促進する運動が、女性の観客を中心にSNS上などで盛んになっている。実際にこの『はちどり』も、“はちどり団”というファンクラブが観客によって結成され、独自のポスターを制作したり応援メッセージやハッシュタグを発信したことが低予算作品としては異例の興業成績をもたらしており、K-POPさながらのファンダム現象がシーンを動かしているという。
「このように熱心な支持層が生まれたのは、これまでに見たいと思っていたが見ることのできなかった話と感性を、『はちどり』を通じて感じることができたからだ」というレビューも見られたが、キム・ボラ監督も<女性の経験が映画になれば、男性とは異なる視点が見えて、新しい声が聞こえる>と語っており、“語り手の多様性こそが作品の多様性に繋がる”という考えが、製作と観客の両者に根付き始めている韓国映画シーンの現状がうかがえる。
映画製作現場における男女比の偏重については、ここ日本も深刻な問題として議論されている。最近では『勝手にふるえてろ』(2017年)を手がけた大久明子監督や、『溺れるナイフ』(2016年)の山戸結希監督などの活躍がめざましいが、それでも国の助成金を受けた実写映画のうち女性監督作は約12%、日本の大手映画会社4社がこの20年に制作・配給した実写の邦画で公開された女性監督作の割合は約3%にとどまるなど、まだまだ公平とは言い難い実態がある。(https://www.asahi.com/articles/ASM1L0GTJM1KUTFK021.html)
語り手の数だけ物語は生まれ、映画の中に新たな世界が拓かれる。私たち観客も、『はちどり』で描かれるヨンジの存在を介して檻の外に目を向けるウニのように、スクリーンの中の更なる未知を求めたい。
監督コメント箇所参照元
・「telling,」(2020年6月20日付)
https://telling.asahi.com/article/13467856
・「Cine21」(2019年9月19日付)
http://m.cine21.com/news/view/?mag_id=93870
映画『はちどり』
6/20(土) ユーロスペースほか全国順次ロードショー
配給:アニモプロデュース