臨床心理士として政治的な発信を続ける理由——「社会構造から生まれる痛み」をなくすために

文=みたらし加奈
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——LGBTQ+、フェミニズム、家族・友人・同僚との人間関係etc.…悩める若者たちの心にSNSを通して寄り添う臨床心理士が伝えたい、こころの話。

 

「政治って難しいからわからない」
「投票したい人がいない」
「一票で何が変わるの?」

 給料日、あなたがもらうお金から差し引かれている数字。買い物をした時に感じる違和感。ドライブをした時に払うお金。恋人との未来。家の蛇口から出てくる水。あなたの部屋を照らす電気。災害に遭った時のライフライン。あなたが生きていく上で必要不可欠なものはすべて、「政治」に直結する。もっとも個人的なことは、もっとも政治的なことなのだ。

 あまり知られていないけれど、経済的な理由によって自殺に至る人はものすごく多い。そもそも私が「臨床心理士」という肩書きをつけて政治的なことを発信するのは、「自殺の原因」のなかに“経済的理由”が含まれているからである。その人のしんどさに「社会構造から生まれる痛み」が含まれている時、私はいつもある種の憤りを覚えてしまっていた。だって、もしあなたの「生きる権利」や「選択する権利」を制度がカバーしてくれていたら、あなたは苦しまなくて良かったのかもしれないから。もちろん、その人のしんどさと向き合いながら、私にできることは全力でやっていく所存ではあるが、同時に「もっと社会に向けて発信をしていかなければいけないな」という使命感も生まれた。

 あなたに支払われているお金は、仕事に見合っている? 
 奨学金の返済は、気が遠くなるよね。
 消費税が10%になったことで、支出が増えるようになった。
 なんだかわからないけれど忙しい、なんだかわからないけれどつらい。
 新型コロナウイルスによってたくさんの人たちの生活に余裕がなくなった。
 大好きな仕事を手放さなければいけなくなってしまう人たちは、これから増えてくる。
 私たちが払っている税金は、どこに消えていっているんだろう。

 上にも書いたように、しんどさの原因をたどると、政治が絡んでいることは大いにあり得える。だからあなたが自分を責める必要は1つもない。怒りを向ける矛先は、「生きる権利」を保証してくれない政府なのだ。

 自分の大好きなもの、自分にとって大切なこと、自分が生きていく人生のすべてを突き詰めると、そこに政治は存在している。私たちの何気ない暮らしに関わるすべてのことが、私たちの知らないところで決められ、社会は回っている。

 選挙権を手にしてから約7年。私は区議選挙から国政選挙まで、全ての選挙に参加してきた。自分が20歳になった時の選挙では、案内はがきを握り締め、ドキドキしながら近所の中学校に足を踏み入れた。

 私の初めての選挙は、真夏の暑い日だった。中学校の校門を、老若男女、多くの人たちが行き来している光景は、なんだかアンバランスで可笑しかった。大きな声で話す人はいなくて、まるでそれぞれが「ヒミツ」を報告しにいくかのような静寂が保たれていた。大の大人たちが、小さな間仕切りのなかで体を丸めて、何かを懸命に書いていた。手に収まる携帯電話が開発されてしまうような時代で、「選挙だけは」ひたすらアナログに行われている。当時の私は、小さな声で母に囁いた。「時代が止まっているみたい……」と。

 しかしいつだって「政治参加」をする時には、心のどこかでワクワクしてしまう自分がいた。鉛筆を握り締めて書く「名前」は、私の“想い”が込められた1票だ。そうやって勇み足で投票所から帰ってきて、テレビをつけて待機する。それが選挙の日の自分のルーティンだった。

 自分の推している候補者が落選することだってあれば、当選することだってあった。しかし、どんなに場数を踏んだとしても、私はいまだに「“推し”が落選すること」に絶望感を感じてしまう。翌日のニュースに「投票率、前回よりも◯ポイント下回る」という見出しがつくことにだって息を止めてしまう。めちゃくちゃアナログに処理されたはずの私の1票が、テレビの画面では「数値データ」として処理されていくことにも違和感がある。棒グラフや円グラフになった“私たちの票”は、「落選」いう文字と一緒に消えて無くなってしまうような気がしてしまう。

「多くの人たちが生きやすい」社会を考えるということ

 2020年7月5日に行われた都知事選挙。結果は、あなたの望むものだっただろうか。私にとっては残念ながら「あぁ……」と落胆してしまうような結果だった。

 都知事選の結果を見ながら、パートナーが発した「選挙に行ってない人はさ、たぶん“行ったことがない”わけじゃないと思うんだ。“行かなくなっちゃった”人も多いと思うんだよね」という言葉に、私はハッとさせられた。確かに、成功体験のないまま向き合い続ける「政治」は、苦痛そのものでしかない。それが積み重なると、段々と「当選しそうな人を選ぼうかな……」なんて気持ちにもなってくる。だって精一杯選んだ人を「民意がそうだから」という理由で切り捨てられてしまうのは、やっぱり苦しい。自分の意思が社会に受け入れられていないような気持ちになってしまうし、自分自身が「マイノリティ」であることを強制的に突きつけられる息苦しさも感じる。しかし、選挙のシステムが「多数決」である限り、私たち自身がこの「無力感」と対峙しなければいけないのかもしれない。

 私はSNSで活動していく中で「選挙に行こう!」ということを常に発信してきた。そうすると、私をフォローしてくれている多くの人が「選挙行ってきたよ!」とメッセージをくれる。時には「加奈さんの投稿を見て、選挙に行く勇気が出ました」と行ってくださる方だっている。基本的には私の友人たちは「同じ思想」を持つ同士が集まっているため、SNSのTLは特定の候補者を応援するような投稿が出やすくなる。そうするといつも思うのだ。「今回は盛り上がっているから投票率上がるかも!」とか「この人が当選するかもしれないぞ!」と。だからこそ、結果と向き合った時に、どうしようもない無力感に襲われてしまう。

 毎日忙しい、しんどい、未来のことなんて考えてられない。誰に投票するかを考えるだけで億劫だし、自分のことでも精一杯なのに国についてなんて考えられない。こんなご時世だからこそ、危険を冒してまで投票所に行くことを億劫に感じるかもしれない。私のパートナーが指摘していたように「行かなくなった」人だっているだろう。理由は人それぞれだとしても、なんらかの理由で選挙に行かない人はいる。いや、「行かない理由がある」だけいいのかもしれない。選挙のことを知りつつも、「なんの理由もなく行かない」人だっているだろう。

 そういう気持ちを持った人たちに「あなたの未来のために、投票に行きましょう!」と伝えることが、果たして有効なのだろうか。そういったキャンペーンをしていくことで、もしすべての人たちが本当に「自分の人生のためだけに」投票に行ってしまったら。必然的に「人数の多さ」に重点が置かれることになる。日本は少子高齢化社会であるため、圧倒的に若者の数は少ない。そうなってくると「数の少ないものたち」への政策は後回しにされてしまう。

 だからこそ政治だけではなく、人権や社会の成り立ちについても、学校教育に組み込んでいって欲しいと感じる。そして子どもたちだけではなく、大人たちも学ぶ場所を得られるべきなのだ。また、世代間での情報共有ももっとされて欲しい。ある世代に「戦争」について教えてもらったら、こちらは「現代の貧困」について話せるような、そんな機会があったら嬉しい。「今の若者は無欲だから、車も家も買わない」のではなく、「車や家を買いたくても買えない」人だって多いのだ。大切なのは知識の有無ではなく、「当事者感」をどれだけ共有できるかなのだろう。世代間でギャップのある話を情報共有し、お互いに最善のゴールを目指して討論できるような、そんな場所があったらどんなに理想的か。

あなたの幸せを守るために

 社会というものは、常に「声を上げる」人たち、「行動する人たち」によって変わってきた。女性の参政権だって、同性婚だって。セクハラ・パワハラが問題視されるようになったのも、選挙権の年齢が引き下げられたのも、残業時間が見直されるようになったのも、最初は“誰かの声”から始まった。

 「#KuToo」運動によって、「パンプスの着用を強制するような、苦痛を強いるような合理性を欠くルールを女性に強いることは許されないのは当然のことだ」と総理大臣が言明したし、2020年から行われる予定だった「大学入学共通テスト」は高校生からの指摘によって一部の導入が見送られることになった。新型コロナウイルスへの対策として考えられていた「和牛商品券」もなくなって、国民一人ひとりに10万円が配られることになったた。

 緊急事態だからこそ、今までよりもきっと多くの人が実感していると思う。私たちの生きやすい社会は、間違いなく私たちが作っていけるのだ。もしもあなたが「自分のために投票すること」に恐れを感じているのであれば、「誰かのために」行ったっていい。

 あなたの幸せは、誰にも奪うことのできない宝物だ。

 しかし、1つの法律が変わってしまうだけで、それが簡単に失われてしまう可能性が出てくる。それは私も同じ。だから私は、自分や大切な人たちの幸福を守るために投票に行く。どんなに批判されても、無視されても、私は「投票に行こう」と言い続ける。口を閉ざしてしまったせいで、誰かの言いなりになんてなりたくない。多くの国民が「国家のために」と亡くなっていった、あの「戦争」という悲劇を2度と起こしたくない。

 国家とは、あなたのためにある。あなたがあなたの人生を送っている限り、その一票が軽いわけがないのだ。もし政治家があなたの一票を軽んじてるとすれば、それは間違いなく怠慢だろう。 そして例え、あなたが入れた候補者が落選したとしても、あなたには代表を監視できる権利がある。間違いがあれば指摘をしたり声を上げることによって、その代表と共に「より良い場所」を作っていく希望だってあるのだ。

 次の選挙はいよいよ衆議院選挙。明確な時期はわからないものの、私たちにはまだ猶予がある。どんなに無力感を感じたとしても、私は「選挙に行こう」と伝え続ける。そしてもし、あなたがそれについて賛同しているのであれば、(無理のない範囲で)発信したり、周りの人に声をかけてみて欲しい。また、あなたにとっての「良い未来」と、私にとっての「良い未来」が違ってしまったら、是非とも教えて欲しいと思う。だってここは、私たちの日本だから。私たちの大切な人が生きている国だから。諦めてしまう人がいるとしても、私は諦めたくないと感じている。

(記事編集:千吉良美樹)

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