危険でエロティックな筋肉と、禁止された同性愛『コマンドー』

文=北村紗衣
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ヘテロセクシュアルなヒーローの再確立

 自らに執着するベネットに勝利したジョンは、仕事に復帰してほしいというカービー将軍(ジェームズ・オルソン)の願いを聞き入れず、娘のジェニーを連れ、苦労を共にするうちに親しくなったシンディの元へ帰ります。クライマックスではジョンの筋肉の暴力的なエロティシズムが最大限に発揮されていましたが、最後は冒頭同様、ジョンの腕は娘を抱き上げる愛の道具に変わります。ジョンの筋肉は再びあるべき姿に戻ったのです。

 『コマンドー』では、ジョンの筋肉はホモエロティックな欲望を喚起するものとして描写されていますが、物語は同性愛を禁止する展開です。ジョンに同性愛的執着を抱いているベネットは幼い子供を誘拐する極悪人であり、作中ではこうしたホモエロティックな欲望は悪いものです。ジョンが性的な脅威であるベネットを排除し、異性愛のもとに築かれた家庭に戻るのがあるべき姿として描かれています。

 そして、この映画ではアクション映画にしては比較的、シンディやジェニーなどの女性キャラクターが面白く描かれています。ジェニーは父親譲りで肝の据わった少女で、悪党に監禁されている間も自分で考えて逃げ道を作る賢い子供です。

 シンディは中盤くらいまではトラブルに巻き込まれた役に立たない民間人みたいな感じですが、途中から飛行機の操縦ができるとわかり、さらに非白人の女性である自分に対してセクハラを行った警官にロケットランチャーをぶっ放すというなかなか気の利いた行動をとります。全体としては、ジェニーもシンディも美貌と機転を兼ね備えた女性として描かれています。これはおそらく、この映画がジョンのいるべき場所の価値を高めるために行っていることです。ジョンの本来の居場所はジェニーやシンディのような美しく優れた女たちのいる異性愛的な家庭であり、ベネットとのホモエロティックな対決というのは筋肉の本来の使いどころではないのだ、ということが暗示されています。

 このように、『コマンドー』は視覚的にはシュワルツェネッガーの筋肉をひたすら魅力的に見せることでホモエロティックな欲望を喚起する一方、プロット上では男性間の同性愛を悪いものとして描いています。このようなタイプの映画は80年代に他にも作られており、今年の末に続編が公開予定の『トップガン』(1986)などにもちょっとそういう要素があります。英語圏の映画では1990年代に入ると同性愛を禁忌とする風潮が若干薄れ、セクシュアルマイノリティを奥行きを持って描いた作品も増えていくのですが、『コマンドー』や『トップガン』はそうした作品が出てくる前の時代の雰囲気を非常によくとらえた映画と言えるのかもしれません。

参考文献

石岡良治、三浦哲哉編『オーバー・ザ・シネマ――映画「超」討議』フィルムアート社、2018。
てらさわホーク『シュワルツェネッガー主義』洋泉社、2018。
Mark Simpson, Male Impersonators: Men Performing Masculinity, Cassell, 1994.

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