危険でエロティックな筋肉と、禁止された同性愛『コマンドー』

文=北村紗衣

連載 2020.07.10 12:00

『コマンドー (ディレクターズ・カット)』(ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社)

 この記事ではマーク・L・レスター監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演のアクション映画『コマンドー』(1985)をとりあげます。日本では個性的な台詞回しの吹き替え版が人気を博しており、テレビ放映されるたびにインターネットが盛り上がる作品です。今回は筋肉が醸し出しているエロティシズムに着目し、いかにこの作品が男性間の同性愛的な欲望を喚起しつつ禁止しているか、ということを指摘したいと思います。

エロティックで危険な武器としての筋肉

 『コマンドー』は、元コマンドーで現在は娘のジェニー(アリッサ・ミラノ)と暮らしているジョン・メイトリックス(アーノルド・シュワルツェネッガー)が主人公です。

 のどかに父娘で2人暮らしをしていましたが、ジョンによりバル・ベルデの独裁者の地位を追われた過去を持つアリアス(ダン・ヘダヤ)の一味がジェニーを誘拐し、愛娘の身の安全と引き換えにバル・ベルデの現大統領を暗殺するよう脅迫してきます。ジョンは最初、これに従うふりをしますが、監視役を殺して逃げ出し、たまたま出会った民間人シンディ(レイ・ドーン・チョン)を強引に引き込んで娘の救出に乗り出します。

 ……というような話ではあるのですが、正直、この映画の物語自体はけっこう緩く、「そこでそんなに大げさなことをする必要、あるのか……?」とツッコミを入れたくなるところが山ほどあります。とにかくシュワルツェネッガーのアクションを見せることに力を注いでいる作品で、そこに単純ではあるもののちょっとユーモラスな台詞が散りばめられています。いかにも80年代らしい映画です。

 シュワルツェネッガー演じるマッチョなヒーローの活躍をひたすら見せる作品であるため、劇中ではことあるごとに腕とか胸の筋肉が強調されます。その結果、映画全体に筋肉に対するフェティシズムとでも言えるようなものが満ち満ちています。

 この映画でジョンが初めて登場する場面では、全身が映りません。まずは派手な音楽が流れる中、地面を踏みしめる誰のものかわからない靴が映ります。その次は歩いている人物が抱えているらしいのこぎりの歯が見えます。その後、どこの部位だかもわからないくらいクロースアップで寄った状態で、汗できらきらと光る筋肉の様子がとらえられます。それからやっと顔が映るのですが、このジョンの身体をやたらとクロースアップを繰り返してバラバラに撮るやり方は、まさに筋肉をフェティッシュ化するものです。

 もともとフェティシズムというのは呪物崇拝を指す言葉ですが、性的な文脈では命を持った総体としての人体ではなく、特定の部位とか衣類など、小さい部品に性的な興奮を見いだすことを指します。女性を撮る際にやたらとおっぱいとかお尻とか足とか、身体の部分をまるで部品のように強調して撮ることがありますが、『コマンドー』がジョンを撮るやり方はこれにそっくりです。

 ジョンが登場する最初の場面では、まとまりのある身体ではなく、足や筋肉といった部位がのこぎりの歯という危険な機械の部品と並列される形で提示され、人体のそれぞれの部品があたかも武器のような暴力的な魅力を放つフェティシズムの対象として表現されています。

 しかしながら、ジョンの筋肉の危険性とエロティシズムは、この直後の場面で上手に中和されます。身体をバラバラにとらえる場面の後は、ジョンが薄着で薪割りをしながら筋肉を披露する場面が続きます。ここではジョンは別に筋肉を見せびらかすため薪割りをしているわけではないのですが、画面は明らかにジョンをセクシーな木こりとして筋肉エロティシズムを強調する形で撮っています。

 薪割りの途中で、ジョンは背後からこっそり忍び寄る影が斧に映っていることに気付きます。さて、ジョンはここで武器である筋肉を使って応戦するのか……と思いきや、実は近寄ってきたのは愛娘のジェニーで、ジョンは満面の笑みで娘を抱き上げます。ここまでのこぎりや斧のような危険な道具と同一視されていたジョンの筋肉は、たちまち父親として娘を慈しむ愛の道具に変貌します。ジョンのたくましい腕は、本来は悪党と戦うのではなく、子供を抱き上げ守るためにあるということが暗示されるのです。

 『コマンドー』の特徴は、このように危険でエロティックな武器としての筋肉描写に娘を守る優しい父親としての描写が併置され、ジョンの筋肉が異性愛秩序や家庭を脅かすものではなく、むしろその中にしっかり根付いたものとして提示されているところです。

 男性の筋肉というのはもちろん女性から男性への性欲も喚起するものですが、それと同じくらい、男性から男性への同性愛的欲望も喚起しうるものです。映画で男性の筋肉をやたら強調するとホモエロティックになりやすく、『コマンドー』はそうした要素に満ち満ちているのですが、少なくともこの映画の中ではジョンは極めてヘテロセクシュアルな父かつ恋人として提示されています。

 もちろん、お客さんが本当に見たいのはジョンが魅力的な筋肉を用いて敵をぶちのめすところなのですが、建前上はジョンの筋肉は娘と遊んだり、家族のために薪割りをしたりすることに使われるべきなのだということが示され、お客さんがジョンの筋肉にエロティシズム、もっと言えばホモエロティシズムを感じることが禁じられていくのです。ジョンの身体はとても矛盾に満ちた存在で、視覚的には同性愛を含んだ観客の性欲を喚起するようにとらえられているにもかかわらず、物語は常にそれを否定するような方向性に進みます。

悪党ベネットのホモエロティシズム

 『コマンドー』の人気の理由のひとつは、悪役であるベネット(ヴァーノン・ウェルズ)の濃いキャラクターです。ベネットはジョンの元部下だったのですが、暴力的すぎたためクビになり、その後元上司を恨んでいます。やたらとジョンに執着するベネットがゲイなのではないか……ということはおそらくこの映画を見た人の多くが考えつくことです。そして、このベネットのキャラクターは、同性愛的欲望を喚起しつつそれを否定するこの映画において大きな役割を果たしています。

 ベネットはレザーや鎖を組み合わせたとても個性的な服装をしています。クラブのゲイ向けイベントにでも行くのかというようなファッションで、ヒゲなどの見た目はフレディ・マーキュリーそっくりです。制作時の意図としてはとくにベネットをゲイカルチャー風なファッションにするつもりはなかったそうですが、この役を演じたウェルズも、後から皆にフレディみたいだと言われたとコメントしています。この映画が公開された1985年当時、フレディは自分の性的指向についておおっぴらに語ってはいませんでしたが、それでもとてもキャンプなイメージのスターでした。

 この映画の終盤は、このフレディ・マーキュリー風な衣装で着飾ったベネットと、半裸で筋肉を見せびらかすジョンの対決です。ジョンは冒頭で筋肉を披露した後、しばらくはちょっと腕や胸がのぞく程度で筋肉露出は控えめだったのですが、このクライマックスでは惜しげもなく筋肉をアピールしています。最初は両腕が見えるだけだったのですが、途中で負傷してしまい、不幸にも(あるいは観客にとっては幸運にも)上着を脱がざるを得なくなります。このように展開上の都合で脱がされたジョンが、美しい花畑の中でつやつや光る胸の筋肉を震わせながら銃撃を行う場面は、エロティックで危険な武器としての筋肉の美が極めてフェティッシュ的にとらえられています。

 こうしてジョンの筋肉の魅力を高めた後に、相変わらず凝ったファッションのベネットとの最終対決があります。ここは全体的にやたらとホモエロティックに描かれています。

 ジェニーを人質にとったベネットに対して、ジョンは‘It’s me that you want.’「お前が欲しいのはオレだろ」とか、‘That’s what you want to do, right?’「お前がやりたいのはそういうことだろ、違うか?」、 ‘Don’t deprive yourself of some pleasure.’「自分のお楽しみを減らしちゃいけないぜ」などと、やたらと欲望や快楽を喚起するような表現でベネットを挑発して冷静さを失わせ、ジェニーを放させようとします。

 そこでベネットは‘I don’t need the girl.’「娘なんか要らない」と返します。ここは日本語吹き替え版では「ガキなんて必要ねえ」となっているのでわかりづらいのですが、原文の台詞は直接的にはジェニーのことを指しているものの、まるで女性は必要ないと言っているように聞こえるため、この時の興奮したベネットの表情ともあいまって、よく「偶然意味深に聞こえる台詞」だと言われます。

 極めつきとしてベネットは死闘の末、銃を手に取って‘I’m gonna shoot you between the balls!’「タマタマの間を撃ってやる!」とジョンの男性器に言及しますが、ここからはホモエロティックな執着が垣間見えます。

 そしてこの台詞の直後、ベネットはジョンに長いパイプを投げつけられ、それに腹を貫かれて死にます。この場面では死の瞬間に白い蒸気が出て、気体が吹き出す効果音がつけられており、まるで性的絶頂のように描写されています。ここでジョンはベネットに‘Let off some steam’「リラックスしろよ」と言っていますが、これは文字通りには「蒸気出せよ」という意味です。さらにこの場面におけるパイプはおそらくいわゆるファリックシンボル(男根的象徴)です。

 とくにどうということもない場面でパイプが突き刺さって死んでしまうのであればファリックシンボルとは言えないでしょうが、この場面ではベネットがジョンのタマタマの間を撃つと言った直後にジョンがパイプで反撃しており、さらにご丁寧に白い蒸気の噴出まであります。このパイプはタマタマではないほう、つまり棒のほうを想起させるシンボルとして描かれていると言えるでしょう。ジョンのタマタマを狙っていたベネットは、逆に堅い棒を突っ込まれて死ぬのです。この場面には、男性間の性的欲望を思い起こさせる表現が詰め込まれていると言えます。

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北村紗衣

2020.7.10 12:00

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。

twitter:@Cristoforou

ブログ:Commentarius Saevus

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