小泉今日子、菊池桃子、米倉涼子、柴咲コウ……このところ芸能事務所から独立したり、政治的なメッセージを積極的に発信する芸能人が増えている。
これまで芸能人と所属事務所の関係は絶対であり、円満に移籍できないと仕事に影響することも多かった。基本的に政治発言はタブーとされ、個人の意見を自由に言える環境ではなかったといってよい。こうした芸能界の慣習はここ数年で大きく変わりつつあるが、背景には何があるのだろうか。
著名な芸能人が次々と独立
多くの芸能人が新しい動きを見せているが、何と言っても強烈だったのは小泉今日子さんだろう。小泉さんはデビュー以来36年間、有力な芸能事務所に籍を置き、看板タレントの一人として活躍してきたが、2018年に事務所から独立。今年に入ってからはツイッターで政権批判のコメントを連投し、検察庁法改正案の見送りに絶大な影響を与えた。
小泉さんはアイドル時代から、実はサバサバした性格であり、ハッキリ自己主張する人物であることはかなり知れ渡っていた。とはいえ、日本を代表するトップアイドルの一人だった人物から、こうした発言が出てくると予想していた人はほとんどいなかったはずであり、それ故に一連の発言は大きな注目を集めた。
小泉さんがデビューした翌年に芸能界入りした菊池桃子さんも、今年の6月に事務所からの独立を発表している。菊池さんはアイドルとして活動した後、2012年に法政大学大学院で修士号を取得。母校である戸板女子短期大学の客員教授に就任し、キャリア論の専門家として活動してきた。2015年には安倍内閣の一億総活躍国民会議の民間議員に起用され、昨年、経産省の局長と再婚している。
菊池さんは党派的なメッセージを発信しているわけではないが、安倍政権で民間議員に登用されたことや、官邸と密接な関係を持つ経産省の幹部職員と結婚したことなどから、政権寄りとのイメージが強い。事務所からの独立に際して、総選挙への出馬が取り沙汰されたのも納得である(本人は否定コメントを出している)。
政治的な発言という意味では、女優の柴咲コウさんも種苗法の改正について問題提起している。
政府は先の国会に種苗法の改正案を提出した。この法案は、農家が育てた農作物から種を採取し、それを再び蒔いて育てるという自家採取(自家増殖)を制限する内容で、農業関係者からは賛否両論が出ていた。柴咲さんは自家採取を禁止すると日本の農家が窮地に立たされるという趣旨のツイートを行い、これが一気に拡散。会期の問題もあり、種苗法改正は見送りとなった。
ちなみに柴咲さんも、大手事務所に所属していたが、今年の4月に自身が経営する事務所に移籍しており、タイミングを同じくして政治的な発言を行っている。
テレビがすべてを左右する時代
このほか、米倉涼子さんや小雪さんなど多くの芸能人が事務所から独立したり、自らの意思で公に発言するようになっている。これには様々な要因が関係しているが、その根底にあるのは日本における産業構造の転換である。
戦後の芸能界は、基本的にテレビと共に成長してきたといっても過言ではない。かつての芸能界は興業(今でいうところのイベントやコンサート)が中心だったが、テレビという圧倒的なメディアが台頭したことによって、すべてはテレビを軸に回るようになった。
テレビの出演料が芸能人の主な収益源となるのはもちろんのこと、スポンサーとの関係も基本的にテレビCMの有無が影響する。ネット配信が普及する以前は、レコードやCDの販売もテレビCMとのタイアップでほぼ決まってしまうのが現実だった。近年の芸能事務所は、従来業務であるタレントのマネジメントにとどまらず、テレビの番組製作を請け負うなどテレビ局との関係をさらに深めており、業界全体としてテレビへの依存度が高まっていた。
昭和から平成の時代にかけては、基本的に人口増加が続き、テレビというビジネスも右肩上がりだった。このため、テレビ局と芸能界は共存共栄の関係を維持できたが、平成を経て令和に入ると、いよいよその流れが停滞し始めた。ネットという新しいメディアが成長し、テレビの視聴者数が相対的に減少。スポンサーからの広告料もネットとテレビ(あるいは新聞や雑誌などオールドメディア)で案分されるようになった。
現在テレビ局は、広告収入の伸び悩みから制作費の削減を進めているが、これは芸能界の収益減に直結する。昨年、吉本興業のタレントが、会社を通さない直営業(ネットでは闇営業と呼ばれていた)を行い、反社会的な組織から対価を受け取っていたことが問題視されたが、この話はテレビを中心とした芸能界の収益構造と密接に関係している。
実は芸能界だけの話ではない
もともと芸能界は、完全な弱肉強食の世界であり、一般的なサラリーマン社会とはまったく異なるビジネスルールが存在していた。事務所に所属するタレントは、あくまで個人事業主として契約しており、事務所の仕事以外に稼ぎを得て良いのかは、事務所との力関係や本人の芸能界における地位などによって個別に決まっていた。
だが良くも悪くも、テレビを中心に芸能界が回るようになり、芸能界もサラリーマン化が進んできた。所属タレントの年次が極めて重要視される吉本の躍進は、まさに芸能界のサラリーマン化の象徴といってよい。芸能事務所は、今や多数のタレントを抱え、番組製作という多角化によって巨大企業に成長したが、他業種と同様、こうした組織形態は縮小市場に極めて弱い。
日本では今後、人口減少が急激に進むので、テレビ視聴者の絶対数もそれに応じて減少すると予想されている。加えて動画配信など、ネットがいよいよテレビの本格的なライバルとなりつつあり、ここでも視聴者の奪い合いが発生する。テレビ局が持つコンテンツは群を抜いているので、ネットの動画配信においてもテレビ局は圧倒的なポジションを確立する可能性が高い。だが、新しい産業構造においてテレビ局が従来と同じ業績を維持できる保証はなく、芸能事務所にとっては難しい選択を迫られる。
俳優の保阪尚希さんは、芸能界と通販ビジネスの両方に軸足を置くことで知られているが、保坂さんは「近い将来、芸能人の単価は大きく下がる可能性が高い」と発言しており、芸能活動だけでは十分な稼ぎを得られなくなるとの見通しを示している。ユーチューバーに転じる芸能人が増えているのも同じ理由と考えてよいだろう。
おそらくこの感覚は多くの芸能人が共有しており、今のまま漫然と事務所に籍を置いていては、将来、稼げなくなるとの不安を持っている。実はこの話は芸能界だけにとどまるものではなく、市場の縮小やネットの台頭による雇用環境の変化というのは、あらゆる業界に共通したテーマといってよい。
今のままサラリーマンを続けていては、十分な稼ぎを得られないのではないかとの不安は、多くの人が感じているはずであり、その意味では芸能人もサラリーマンも状況は似ている。
積極発言する芸能人は今後、ますます増える
会社と社員の関係、あるいは事務所と芸能人の関係がドライなものに変われば、当然、発言の自由度は増えることになる。かつては、会社に勤務するサラリーマンが、個人的な意見を公に表明するのはタブー視されていた。だが今は、会社員としての立場とは別にツイッターで個人的な意見を表明する人は大勢いるし、その個人的な情報発信を副業や第2のキャリアに活用することはむしろ当たり前となりつつある。
もちろん、その発言には責任が伴うので、勤務する会社に損害を与えたり、他人の名誉を傷付けることがあれば、すべて自身でその責任を取る必要がある。だが、ネットの普及や雇用制度の変化によって、発言自体が許容されないという価値観はほぼ消滅したといってよい。
個人の発言が自由ならば、社会に対して影響力を持つ芸能人が積極的に発言するようになるのは当然の結果である。先進各国では、芸能人による政治的発言に関するタブーは存在していないので、政治的発言をウリにするタレントも大勢いる(かつては欧米の芸能界も政治的発言がタブーだった時代もあった)。日本の芸能界の中からも、政治色を前面に出したタレントが次々と登場してくるだろう。
芸能人は芸能活動だけをしていればよい、サラリーマンはただ黙々と言われた仕事をしていればよい、という社会風潮は、大量生産が主流だった貧しい昭和の時代まではうまく機能した。だが、価値観が多様化し、オープン化が進む今の時代にはそぐわない。芸能人の独立や発言の活発化は、日本社会が時代の転換点を迎えていることの象徴と捉えるべきであり、これは一般的なビジネスパーソンにとっても同じことである。