「制度的人種差別」を形作った奴隷制
警察暴力も含め、黒人差別は「制度的人種差別(システミック・レイシズム)」によるものであり、制度的人種差別は「奴隷制」によって生まれ、現在のアメリカ社会にも根強く残っている。今、アメリカで起きている事態を真に理解するには制度的人種差別と奴隷制、この2つを知る必要がある。
北米にアフリカからの黒人が初めて連行されたのは1619年。昨年は400周年として、北米黒人の歴史を振り返るイベントが各地で開催された。リンカーン大統領による奴隷解放宣言は1863年に出されたが、南部の最西端に位置するテキサス州にその知らせが届き、奴隷制廃止がなされたのは2年半後の1865年6月19日だった。この日を記念するのが、先述の「奴隷解放記念日」だ。つまり米国における黒人の歴史400年は、奴隷制245年:奴隷解放後155年と、奴隷であった時期のほうが格段に長い。
今では奴隷制は「人権の剥奪」だと誰もが思う。だが、当時は奴隷制は法律で定められた、社会的に正当なシステムだった。白人は黒人を「身体は頑強だが無知で怠惰」と定義し、奴隷として使うことを人種差別とは捉えなかった。農場主たちは家畜または農具として奴隷を購入し、自身の所有物として死ぬまで働かせた。奴隷同士を結婚させて産ませた子供だけでなく、奴隷主が女性の奴隷を強姦して産ませた子供も奴隷として死ぬまで使った。経済大国アメリカとは、245年間にわたる奴隷の無償労働によって作られた国なのだ。
南北戦争で南軍が敗北して奴隷制が終わると、白人たちはすぐさま白人至上主義グループKKK(クー・クラックス・クラン)を結成し、黒人への激しい差別、リンチ、殺害を始めた。KKKに限らず、社会的優位にある者は優越感、既得権を無くす可能性を察知すると狼狽し、反動で苛烈な差別を行う。
以後、延々と続く差別に黒人たちがついに立ち上がり、文字どおりに命を懸けて公民権運動を起こしたのが1950年代。黒人に同等の権利を与えるなど論外とする白人からの執拗な攻撃によって多くの死傷者を出しながらも、公民権法を勝ち得たのは1964年。今からわずか56年前のことだ。
「レイシストではない」人々が行う差別
公民権法は黒人の地位向上に大きく寄与したが、奴隷制に由来する制度的人種差別の排除は、いまだに成されていない。法律の網の目にかからない社会構造的な差別が至るところに残っているのだ。
奴隷制の終焉後、白人は黒人との同居を拒み、居住地は分けられた。黒人の町にある全ての施設~住居、学校、教会、病院、水道、電気~は白人のそれと比べて非常に粗末か、もしくは存在すらしなかった。衣食住・教育・医療は人間の健全な暮しに欠かせないが、その不平等は現代にもそのまま引き継がれている。貧しい黒人地区にある公立校には満足な予算が下りず、学力レベルは低く抑えられている。アメリカは厳格な学歴社会であるため、学歴の欠如により中央社会への進出は非常に困難だ。努力を重ねて学歴を手に入れても、そこには人種による雇用差別がある。
したがって黒人地区では親の貧困が子の貧困を招き、半永久的な貧困のサイクルとなっているが、実情を知らないマジョリティはこれを「努力が足りないからだ」と判断する。これこそ制度的人種差別の本質だ。自身はマジョリティとして制度的人種差別の恩恵にあずかっていることに気付かず、かつ黒人を黒人というだけで殴打するなどの意図的な人種差別は行わないことから、黒人を見下しながらも「私はレイシストではない」と自負する。
また、黒人特有の文化を殊更に褒めそやすという、形の異なる無意識の差別もある。奴隷制の時代より黒人の中には白人が真似のできない芸能(音楽やダンス)の才能を発揮する者たちがいた。よく言われる「黒人には音楽やリズムのDNAがある」のではなく、アフリカ由来の黒人とヨーロッパ由来の白人は異なる文化背景を持つため、白人には黒人文化が「エキゾチック」に見えるのだ。白人はそうした黒人文化をエンターテインメントとして消費し、うわべの憧れを口にすることはしたが、他の分野で黒人を正当に評価し、社会に迎え入れることはしなかった。現在も黒人を見れば「ラッパー? バスケの選手?」などと言い、「会社員? 公務員?」とは思わない理由だ。制度的人種差別による偏見の固定化だが、当人は黒人を賞賛していると考え、レイシズムの自覚は持たない。