日本にも精神を殺す黒人差別がある。無自覚に刷り込まれた差別意識とは

文=堂本かおる
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「我はこの国を所有する者」

 黒人が制度的人種差別を受け入れている間は、白人は安穏と暮らす。だが、黒人が自分たちと同等、もしくはそれ以上の地位に追い付くと事態は急変する。

 100年ほど前にあらゆる差別・不利・困難を乗り越え、富を蓄えた黒人たちが作り上げた街があった。オクラホマ州タルサにあるグリーンウッドだ。その裕福さから別名「ブラック・ウォール・ストリート」とさえ呼ばれていた。ところが1921年6月1日に白人暴徒がなだれ込み、多くの住人を虐殺し、建物に放火した。死体はカウントもされないままぞんざいに処理されたために正確な死者数は不明だが、生き残った1万人以上の黒人は壊滅状態となった街を放棄せざるを得なかった。こうして豊かな黒人の街ブラック・ウォール・ストリートは消滅した。

 奴隷制時代より白人の意に沿わない黒人はリンチにかけられる伝統があり、タルサでは街そのものがリンチされたのだ。リンチの際、黒人は木に吊るされ、殴打され、身体の一部を切り取られ、火を点けられることもあった。即死をはるかに上回る苦しみの後に息絶えるのだ。ジョージ・フロイド氏の殺害がリンチと呼ばれる所以(ゆえん)だ。すでに後ろ手に手錠をかけられ、地面にうつ伏せにされて身動きできないフロイド氏の首を、警官は膝で8分46秒も押さえ続けた。フロイド氏が何度「息が出来ない! I can’t breathe!」と訴え、悶絶の叫び声を上げても、警官は顔色ひとつ変えなかった。警官はマジョリティ側の「我はこの国を所有する者」「全てをコントロールする資格を持つ者」といった万能感に取り憑かれていたのである。

日々の差別を「スルー」

 アメリカの制度的人種差別は、究極的にはこのように黒人を身体的に殺してしまう。だが、圧倒的多数の黒人は日々の生活の中にある制度的人種差別により、精神的に殺されてしまう。

 公民権法の恩恵により、現在は中流層の黒人も多い。大卒、院卒も増え、経済的な苦労は免れている層だ。だが、2012年に中流家庭の黒人少年トレイヴォン・マーティン君が黒人というだけの理由で自称自警団の男に射殺された時、オバマ大統領(当時)はこう語った。

「デパートで買い物をする際、私も含め、(万引きをしないかと警備員に)後を付けられたことのない黒人男性はほとんどいないだろう」

「道を歩く際、駐車している車の中からドアがロックされる音を聞いたことのない黒人男性はほとんどいないだろう。少なくとも上院議員になるまでは私にも起こった」

「エレベーターで乗り合わせた女性が、降りるまで神経質にバッグを抱え、息を潜めるという経験をしたことのない黒人男性はほとんどいないだろう。これは頻繁に起こる」

 デパートの警備員、車の中にいる運転手、エレベーターで黒人男性と乗り合わせた女性、その誰もが意識的にこうした行為に出るわけではない。制度的人種差別によって生成された偏見があり、条件反射として行うのだ。

 日々のこうした体験は黒人の精神を殺してしまう。だからこそ多くの黒人は差別行為をあえて「スルー」する。そうでなければあまりの頻度に生きていけなくなるからだ。だが、時には人間としての尊厳を深く残酷に傷付けられ、立ち行かなくなることもある。

 先日、SNSで盛んに閲覧されたビデオがある。オハイオ州のFedExの運転手ブランドン・ブラッキンズ氏が、仕事の最中に遭遇したレイシズムをトラックの運転席から涙ながらに語り、Facebookでライヴストリームしたものだ。

「ヒック(田舎者の白人)が俺の周りをスピードを出して走り回り、もう少しで俺を轢きそうになり、ニガーと呼んで、唾を吐き掛けた」

「おおおぉ!(号泣)マイ・ゴッド!!」

「なぜだ? なぜこれほどまでのヘイトを?」「いつもは落ち込まないように出来るのに」「今は仕事をすることもできない」

 数分間、涙と共に語り続けたブラッキンズ氏はやがて落ち着きを取り戻し、涙をぬぐいながら「だが、生き続ける」「まだ仕事がある」と言い、見ている人々に感謝を述べてライヴストリームを終えた。

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