精神を殺される、日本のレイシズム
日米の黒人レイシズムの最大の違いは、命を落とす事例の有無だろう。かつ警官による射殺という、これも日本では起こらないショッキングなケースがアメリカでは頻発する。そこから「日本に黒人差別はない」とする声を聞く。だが、オバマ前大統領やFedExの運転手が体験した、精神を殺す黒人差別は日本にも確実にある。
先日、話題となったオコエ瑠偉選手のツイートに、それが明らかだ。肌の色を理由にあからさまに虐める野球部の先輩だけでなく、刷り込まれた差別意識を自覚しないまま、「肌色」のクレヨンによって5歳の保育園児を傷付けた保育士がいた。黒人の子供は物心ついた時点から、こうした体験を繰り返すのだ。
大坂なおみ選手のBLMに関するツイート、八村塁選手がアメリカでのBLMデモに参加した件も大きく取り沙汰された。いずれも応援する声がある一方、「日本人」もしくは「スポーツ選手」がアメリカでの反黒人差別運動にかかわるのはふさわしくないと言う批判も多い。そうした非難を投げ掛ける人々は、大坂選手や八村選手を「日本人のスポーツ選手」としてのみ捉えている。だが、人の文化背景やエスニック・アイデンティティは複雑にして複数あるものであり、他者が決められるものでは決してない。例えば、大坂選手はインタビューでしばしば日本人としての強いアイデンティティを示しているが、同時に自身を「black girl」とも呼ぶ。この二つは大坂選手の中でごく自然に共存しているのだ。
スポーツ選手のようなセレブリティも含め、日本に暮らす黒人は精神的に殺される人種差別を受け続け、アメリカに渡ることがあれば命を落とす可能性すらあると、私たちは理解しなければならない。同時に、日本人の両親から日本で生まれ、日本語だけを話し、日本で暮らす者だけを日本人とし、それにあてはまらない人々を「外国人」と疎外し、一方で都合の良い時だけ「日本人」と矮小化してはならない。
また、「人類は全てアフリカにルーツを持つ」「科学上、人種は存在しない」といった学術上の人種論はたとえ事実であっても人種差別問題の場で引用すべきではない。黒人と、マジョリティである非黒人が存在し、ゆえに黒人差別が存在するからだ。
アメリカとは黒人の歴史も人口も全く異なる日本だが、制度的人種差別は存在する。社会構造に織り込まれ、目には見えない制度的人種差別の、一体どこに自分が、そして黒人が、そのほかのマイノリティが位置するのか。その考察から全ては始まる。
(※本稿の初出は『yomyom vol.63』(新潮社)です)