乙女のパフェとマツエクと、もう戻れない世界と。

文=なみちえ
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GettyImagesより

(※本稿の初出は『yomyom vol.62』(新潮社)です)

「パフェとぬいぐるみとピンク色が好きっ」

 そう言ったのは私自身の肉体に一番近い、そしてさっき生まれたばかりの人格で(本当は肉体に標準装備されてるはずの人格)。彼女は生まれてすぐに、この美しすぎる、そして私の内部を住居とする様々な人格の中で一番世俗的なその感覚の持続をしようと試み始めた。

 彼女は自分を「乙女」と呼ぶ。可愛くて、柔らかくて、どう触れたらいいか分からないと脳内ではその他の多重な人格がてんやわんやした。すぐ構造批判する人格(友達の構造さえも破壊してしまうからひとりぼっちの寂しい奴)、学生最後の人格(学生という枠の中で横臥しているくせに社会人になる事をひどく怖がっている)、ラッパー人格(突然バズって、一番メディアに出てさ、その求められた姿でい続けるって、お前は着ぐるみかよ)、着ぐるみ作家の人格(内側に篭り保守的なのにもかかわらず圧倒的な肉迫。君は無言のラッパーか)を、乙女の人格()は避けて通り、乙女の人格()()()は避けて通り……(さっきの人格紹介の括弧の中身は勿論、構造批判の人格が書いたんだけど、乙女には手を出せなかったそう)多重人格をスルリとかき分けそんな乙女が現世に舞い降り、最初の産声をあげた。

「パフェ食べたい」

 パフェはどうしてこんなに可愛いのだろうか。皆様は知っていますか? パフェは縦に書くとパフェの形をしてるんです。



 様々な食品の中で唯一ではないだろうか。こんなにも食品の構造を縦軸で意識しながら食べること。そり立つパフェを沢山奢ってもらい食べたが、まぁ殆どがジェントルマン風味がした。

 次にキュートな乙女心の矛先は自分のまつ毛の先へと向かう。

「マツエクをしたい」

 蝶々のように舞う、なんとも軽やかなあの毛束を装備してみたい。と体毛を剃ったり眉毛を細くしながら思っている。恐る恐る電話予約し、すぐにお店へ向かった。まつ毛の長さ・太さ・カールの具合を決めてからの初回特典、まつ毛シャンプー。まつ毛シャンプー?????? なんだそれと思う暇もなく異様に感覚が敏感になってしまったまつ毛のすぐ根元の皮膚はプチプチとその小さな泡が弾ける様を既に私の心より先に許容していた。

「今からまつ毛をつけていきますね~」

 施行が始まる。……………なんだ? この感覚はなんなんだ。くすぐったくて気持ちいい。ひんやりと冷たいかと思いきや暖かい。ソワソワするしなんだかちょっと恥ずかしい。体に異物が付随してくることに対して新感覚のドキドキが止まらないのだ。高揚感はゆっくり、少しずつ高まる。ふつふつと体が宙を舞い昇天するような感覚を覚えた。そこに突然、閉じてなきゃいけない瞼の前に白い光が鋭く差して来る。ぐっとさらに目に力を入れると、記憶ごと体は真っ白な世界に突っ込んでいった。そんな私を見ながら他の人格達は、お決まりのエンターテイメントを楽しむみたいに、呑気に身を寄せ笑っていた──────────。

 突然、頭皮が引っ張られる強い痛みで目が覚めた。驚いてカッと目を開くと「アッゴメンネ!」と言われた。こう長い時間座っているとぼんやりと意識は深いところに行ってしまう。

 この「頭皮が引っ張られる強い痛み」というのは、ブレイズヘアーにする際にエクステをきつく編み込んだ時、手際によってたまに感じる感覚だ。私は今、知り合いの知り合いa.k.a他人のブルキナファソ出身のマイさんの家をこの、「ブレイズヘアー」にする為に訪ねて来たようだった。髪を細かくボックス状に分けエクステを少量手に取り、綺麗な三つ編みにしていく。これに6時間かける髪型だ。2時間ほどするとマイさんは「ごめん、今日仕事の面接があるの忘れてブレイズの依頼受けちゃったから一旦行ってくる」と言うので「(まじか)行ってらっしゃい」と言った。マイさんは自分の妹と代わり、私の髪を編み込むことを続けた。技量はそれほど変わらない。マイさんの娘も学校から帰って来て同じリビングでくつろぎ始める。また2時間経つとマイさんは帰ってきて続きを妹と代わった。やはり妹より若干手さばきは良いなぁ。心地いいテンポで編み上げられたが、最後の最後で強く引っ張られ過ぎてしまった。それが先ほどの痛みだ。

 それからすぐに仕上げの作業も終えブレイズは完成した。

「綺麗ネ〜」「わぁ〜ありがとうございます」

 マイさんの娘は私の事なんか気にせず、私の髪を編み込む前とそっくりのふんわりとした髪を揺らしてソファーでごろんと横になり、タブレット端末でYouTubeをまだ見ている。

「お腹すいた~?」
「すい『すいたぁ~♪♪』……ごめんなさい私に言ってるのかと」

 マイさんが私の分のマーマレードも出してくれたので食べた。

 満腹になった後に綺麗な髪型になった自分自身を何度も見て、ありがとうございましたと言いお金を払い家を出て駅へ向かった。

 希望の車両に乗り、空いた席に座ってすぐ杖をついたおばあちゃんもゆっくりと入って来るのが横目に見えた。私の隣の女子二人組はおばあちゃんには気づかず互いの趣味の話題で盛り上がってる。私は立ち上がっておばあちゃんに近づく。人生で3回目のブレイズヘアーをレトロモダンな暖簾(のれん)みたいに目の前でブラブラさせながら22年間使い続けたお得意の言語で「座りますか?!」というと、おばあちゃんは喜んで「おねぇさんありがとね~」と席に座る。「ブレイズ」以上に「おねぇさん」の状態を装備でき、心の中でガッツポーズする私。一連を垣間見ていた女子二人組のうちの一人が一瞬話を止め、私の慣れないブレイズに一切目を向けずキリッと私の目を睨んだ。その女子は何故かこのシチュエーションに対して不自然なほど眼光が鋭かったが、「良い事したおねぇさん」の私は気にもとめずまた、まだ慣れないブレイズを暖簾みたいにブランブランかき分け、その隙間から外の景色を眺めていた。数駅先の駅で電車が停車すると「おねぇさん本当にありがとうね」とおばあちゃんは改めて言い、降りた。

 この柔らかく幸せそうな笑顔を、すぐ構造批判する人格(友達の構造さえも破壊してしまうからひとりぼっちの寂しい奴)に見せてやりたい!

 SNSが浸透し、人と直接的なコミュニケーションによる意思疎通に飢えていたのだろうか、「どういたしまして」と言った自分の顔はよっぽど緊張感がほどけていたのかおばあちゃんは余計に素敵な笑顔でその車両を降りた。たったこれだけの些細な事なのに次からの呼吸は幸せを含み胸が膨らむ。もう、喜びが涙になって溢れてしまいそうだったからここで目を閉じた。電車の音と目の前の白い光を感じながら────────────────────。

「もう目を開けても大丈夫ですよ〜」

 目を開くとボロボロと涙が出てくる。大粒の涙が止まらない。止まらない。ん? そして目が滲みて痛い。何?

「接着剤が少し刺激が強かったようですね。次回からもっと優しいものにします」

 充血してピンクになった白目がおぼろげな乙女の実像を映した。

「これがkawaii……」

 自分のまつ毛を見て感動を隠せない。

 マツエクの施行が終わると暖簾みたいなそれもブランブランさせてその優雅なまつ毛で羽ばたけそうなくらい、軽やかに帰宅した。

 次の日も何度も自分のまつ毛を見た。いつもより増えた瞬(まばた)き、潤った瞳でその眼球の一番近くにあるそれを見る。いつしかまつ毛を見るために瞬きをしているかのような、自分のためのまつ毛を自分だけで見ていた。私室から出ず、ずっと自分を見つめていた。

 数日が経ち、全世界に蔓延した新型肺炎から身を守るように私は家に引きこもるようになり、誰かと会話するときもテレビ電話をすることが増えた。乙女の私、内容はもっぱらガールズトークだ。今日は新しく買った服を友人数人と見せ合う約束だ。

 ノースリーブのワンピースを着て会話のリズムの上を踊ってる。会話のピーク(サビ)に入ると手をあげた自分の両脇に毛がびっしり生え揃ってるのをiPhone越しに把握し、びっくりした。そんな私を気にせずにアフロビートはまつ毛を振り落とす、アフロビートはブレイズを振りほどく。

 今この瞬間も体毛が伸びている、明日はもっと眉毛が太くなる。

 人毛のパズルだ……社会的な、世俗的なエゴによって体は一つの答えを見つけ出していた。

 気づいたら朝になっていた。乙女()はいなかったが代わりにすぐ構造批判する人格(友達の構造さえも破壊してしまうからひとりぼっちの寂しい奴)になってて、通話記録もマッサラになっていた。現代に舞い降りたプリンセスみたいな魔法の期間は一瞬で過ぎ去ってしまっていた。

 ちょっと悲しくなっているとチャイムがなり、配達物が届いた。

 中身はamazonの欲しい物リストのものだった。

「卒業おめでとう。乙女より」

 可愛いピンクのウサギのぬいぐるみが中に入っていた。

「これが恋…………」

 繰り返しの中で 死んだ人のために生き 生きる人のために死ぬ

 内省的なルーティーンはやがて無意識的に体を優に超え

 地球全体に絡まりついているんだ 私とあなたも

 地球全体に絡まりついているんだ 夢と現実の隙間にも

 実家の私室でノスタルジック。新型肺炎のパンデミックで人は内的世界の大旅行を強いられる。精神の棲み分けが始まり、心の葛藤が戦争だ。

 もう戻れない、社会のありきたりの構造に疑問を持たない事に。

 もう戻れない、戻れない世界がある事を寂しがることができる自分に。

(この文字は作家人格が書きました) 

(※本稿の初出は『yomyom vol.62』(新潮社)です)

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