月7度も黒人に職務質問する日本に「黒人差別」はないのか?

文=東江亜季子
【この記事のキーワード】

私たちが差別しているのは“肌の色”なのか?

 私たちが差別をしている対象は、色なのか。

 白という色に、“善”や“美しさ”の意味を与え、反対に黒という色に“悪”や“汚れ”の意味を与えて、それを人間にも当てはめているのか?

 BLMのうねりの中、私はこの問いを考え続けている。

 そうならば、色に意味づけをして人に当てはめて卑下したり、攻撃の正当性として捉えたり、価値観を押し付けたりすることは「差別」だと認めないといけない。そして自分の中から偏見を取り除く努力を、意識的にするべきだ。

 私が取材した親富祖さんは色に起因する差別に加え、「人種への差別意識もある」と付け加え、“クオーター”にあたる自分の息子や娘の経験を語る。

 じゃれ合いながら小学生の息子の友だちが「クソが、アフリカ人!」と発する。「アフリカから来たの?じゃあ猿なの?」と言う。

 着替えやトイレの時間に、体をじろじろ見て「汚い」。砂場で遊びながら「黒くてかわいくない」と何気なく口走る。沖縄という地に育ち、日焼けで相手の方が肌の色が暗くても、その攻撃は“クオーター”である子に向けられる。 

 時代は変わろうとも、今も小学生に暴言や間違った認識、歪んだ価値観が既に刷り込まれている。誰かがインプットしている。

 そして、私の知人のように、黒人と結婚するために家族から排除されたり、黒人との間に生まれる子どもを保護しよう、心のケアをしようと奔走する親の現実がある。

 親富祖さんは「教科書のたった1、2ページで奴隷制度のことを学び、その後の人権的な教育は行わない。それが問題」と語る。

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親富祖さんの娘。米軍の嘉手納基地第2ゲートから続く「ゲート通り」で“Black Lives Matterの”札を掲げてアピールしている

 今回のBLMのうねりの中「変えられるなら今がチャンスなのかもしれない」と沖縄でも抗議・啓発を目的とした“ピクニック”を始めた親富祖さん。人種差別とその対応策を啓発する冊子も作っている途中だ。

 子どもたちを日常的な攻撃 “マイクロ・アグレッション”から守りたい。価値観に下支えされた構造的な差別をなくしたいという思いがある。「アメリカで起こっていることは絶対に地続きでここでも起こる」と強い危機感を持っている。

黒人は「黒人」をやめられない

 アメリカで生まれ育った黒人は、名前を奪われ、言葉を奪われ、労働させられた奴隷制度時代の子孫が多いことを忘れてはいけない。現在、アフリカ大陸には50以上の国と地域があり、それぞれに文化や言葉が全く違っているが、アフリカン・アメリカンの人々は「アフリカから連れてこられた」とは推測できても、自分がどの国が出身地なのかわからないことがほとんどだ。

「自分がアフリカのどこの出身か、民族は何か、先祖の情報がない。だから“黒人”というものにアイデンティティの拠り所をおく。警察の暴力によって黒人が殺されることは恐怖なんだよ。泣くのはなぜかって言われたら、理不尽で泣くんだと思う」(親富祖愛さん)
「アメリカにいたって身の安全は保障されないし、レイシズム(人種差別)はある。アフリカに行ったって自分のルーツは辿れない。僕には、私たちにはホームがないんだ」(夫)

 黒人は「黒人」をやめることはできない。彼らの歴史や現在まで置かれてきた状況、今彼らに何が起こっているかを、それをどう感じているかを知るべきなのは周りである。考えを変えるべきなのは周りである。

 夫に対する警察の行動も、沖縄女性とアフリカン・アメリカンの間に生まれた人が受けたいじめや、親富祖さんの子どもたちへの言動も、私の親が見せた反応も、ここ日本で起こっていることだ。

 根底に、黒人に対する優越意識、「怪しい」「厳しく管理監督すべきだ」という意識、「汚い」という無意識の卑下があるなら、それこそが私たち日本社会に潜む黒人への偏見であり、差別である。

 本稿では一言で「黒人」と称し、アフリカン・アメリカンへの「差別」を主に記した。しかし、私の周りにはアフリカ諸国出身の人もいる。アフリカン・アメリカンとアフリカ諸国の人、さらにはヨーロッパに住むアフリカ系ルーツの人々など……それぞれ考えや自意識、羨望など互いへの見方や、それに裏打ちされる歴史は千差万別だ。一方で、日本社会ではその分別さえ、ついていないことの方が多い。

 このBLMを機に、私たちは「黒人」をどう捉えているのかを考え、学び直したい。

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