朝鮮戦争とはどんな戦争だったか
朝鮮戦争はさまざまな特徴を束ねた、多面体のような戦争だと思います。大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の国土統一をめぐる主導権争いであると同時に、米ソ両大国による東アジアの勢力圏争いであり、一方では朝鮮半島を戦場とする米中戦争でした。
第二次世界大戦後の最も悲惨な戦争の一つであり、世界の多くの人々が、あわや第三次世界大戦かと思った戦争でもありました。その一方ではアメリカにおいて、「忘れられた戦争」あるいは「知られざる戦争」ともいわれています。また、米ソ両軍にとって格好の兵器試験場であり、ベトナム戦争の準備だったと見ることもできます。
多くの在日コリアンの運命を決定した戦争でした。そして、戦後日本の大きな転換点でした。しばしば、朝鮮戦争は日本に特需をもたらし、経済成長を支えたという点が強調されますが、それだけではありません。朝鮮戦争を理解する上で非常に重要なのは、この戦争期間中の日本の地位の変化です。6.25当時の日本はGHQの占領下にありましたが、その後サンフランシスコ条約(日本国との平和条約)の調印(1951年9月)と発効(52年4月)を迎え、休戦協定が結ばれたときには主権を回復してました。朝鮮半島の分断が固定化していくときに、日本は独立への道を進みつつあったのです。国際政治の中でのこのダイナミックな構図を頭に置いておいてほしいと思います。
さらに、この戦争には朝鮮半島の南北の人々のみならず米中ソ、さらに国連軍の一員として15カ国の兵士が実戦に参加しました(他に医療支援に参加した国もありますし、日本も掃海などの支援に加わっています)。世界の多くの人々の人生に多大な影響を与えた戦争です。
これらを踏まえた上で、朝鮮戦争を描いた韓国の小説を読むときに覚えておいてほしいことをいくつか、ごく簡単に挙げておきましょう。これも多面体を形作る重要な要素です。
まず、苛烈な地上戦が行われた戦争であったこと。日本の国土でそれを体験したのは沖縄だけです。
また、イデオロギー対立による戦争であったこと。そのために膨大な数の非戦闘員が巻き込まれ、殺し殺される事態が起きたこと。
そして、いまだに終わっていないということです。
今回の原稿を書くためにたくさんの資料に当たりましたが、その中に『朝鮮戦争の社会史――避難・占領・虐殺』(金東椿著・金美恵ほか訳・平凡社)があります。この本の副題「避難・占領・虐殺」がいずれも、日本の人たちが体験していない領域だといえるでしょう。
避難についていえば、戦況の変化とともに膨大な人口移動が起き、それらの多くが命がけでした。まず、戦争開始前の時期も含め、38度線を越えて南から北へ、北から南へという大規模な移動がありました。次に、戦争が勃発してソウルが北朝鮮に占領されると、ソウル市民たちが続々と南方へ避難しますが、それはこのときだけに限らず、国土のほとんどが戦場となり、戦況が変化するとともに大量の人々が過酷な避難を余儀なくされました。このことが韓国社会を「避難社会」につくりあげたのだと、金東椿は言っています(「避難社会ではみな出発する準備をしていたし、みなが避難地で出会った人のように接し合い、権力者と民衆がある秩序と規則のなかに生きるというよりは、その場しのぎの利益追求と生きながらえることに余念がなかった」『朝鮮戦争の社会史』より)。
ここには、「避難したかどうかが『反共』かそうでないかの指標になった」(『朝鮮戦争の社会史』より)という、イデオロギー戦争特有の事情もあります。避難できたのに避難しなかったと見なされた人たちが、反逆者とされたのです。
また占領についていえば、日本もGHQによる占領を経験しましたが、朝鮮戦争での占領はずっと複雑です。この戦争では、戦線が朝鮮半島の南北を何度も、ローラーをころがすように行ったり来たりしました(これを「アコーディオン戦争」とか、「ヨーヨー戦争」などと呼ぶこともあるようです)。
すると各地域で何度も支配者が入れ替わるという事態が起きます。市民たちは何度も世界がひっくり返るところに立ち会い、その過程で反逆者、スパイ扱いされた人々の膨大な虐殺が発生しました。(なお、このような一般人虐殺事件は長い間国家の秘密とされ、人々がそれを知るようになってからまだあまり時間がたっていません。これは、朝鮮戦争前に起きた済州島の4.3事件や、朝鮮戦争のずっと後、1980年に起きた光州事件についても同じです)。
これらのことが長い間、南北双方と世界に散らばった多くのコリアンにとって、大きな悲しみとなり、韓国文学にも多大な影響を与えてきました。それは一種のエキスとして文学の土壌に染み込み、現在の若い作家たちにも引き継がれているといえましょう。ただし休戦後、南北ともに相手への敵愾心をあおる政策を続け、同時に表現の自由を制限してきたので、この戦争をどう表現するかという点においては、かなりの困難が続いてきたといってよいと思います。韓国では1987年の民主化以降、それは緩和されました。