「そうではない男性」の生きづらさに気づく——“らしさ”に囚われた社会のレッテルから開放する運動が「フェミニズム」だと知って

文=みたらし加奈
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——LGBTQ+、フェミニズム、家族・友人・同僚との人間関係etc.…悩める若者たちの心にSNSを通して寄り添う臨床心理士が伝えたい、こころの話。

彼女たちの痛みは“女性にありがちな悩み”じゃない

 新しい知識や価値観に出会ってしまったとき、古くからの交友関係に息苦しさを覚えることはないだろうか?

 結婚、出産、セクシュアリティの自覚、就職活動、転職——人生の岐路に遭遇したとき、以前所属していたコミュニティに違和感を感じるのは自然なことだと思う。誰が悪いとか悪くないとか、そういった視点ではなく、「自分はもう違うコミュニティなんだ」という気持ちに対峙しなければいけない瞬間は、もしかしたら多くの人が実感しているのかもしれない。

 私にとってフェミニズムとの出会いは、まさしく“ソレ”だった。セクシュアリティや精神心疾患の知識を得たことも、同じくソレだった。新しい知識や思想と出会うたびに、「自分の居場所」だったはずのかつての関係が窮屈になっていってしまった。

 友人の結婚式、「〇〇君が、娘をもらってくれて嬉しい」と父親が涙する言葉に泣けなくなってしまった。テレビドラマなどでよく観る「娘さんをください!」というセリフだって、(私には関係ないことのはずなのに)「女性は“贈与”される”モノ”なの?」とモヤモヤが止まらなくなってしまう。

 「私は旦那のために仕事を辞めたのに」とか「女らしくしろって言われた」と愚痴をこぼす友人に対して、「あなたの苦しみは、社会からかけられた呪いなんだよ」と言いかけた言葉を飲み込んだ。自身の悩みを“日常生活の些細なこと”と信じて悩んでいる人に向けて、“社会規模(?)の話”を持ち出す勇気はなかった。それは決して、些細なことなんかじゃないのに。あなたが苦しむように仕向けたのは、“彼”ではなく“社会”かもしれないのに……。そう思いながら、私は彼女たちの言葉に耳を傾けることしか出来なかった。

 そしてまた、彼女たちの感じる痛みが“女性にありがちな悩み”として片付けられてしまう現状に違和感が止まらなくなる。

 だからこそ、“フェミニズムについて理解をしている者同士”で話すことは心地がいい。だって言葉を飲み込まずに済む空間だから。そんな理由で、私はすっかり地元の友人と連絡を取らなくなってしまった。しかし、時折思うのだ。「これでいいのだろうか」と。“思想が似ている同士”だけで会話を完結させて満足することが、果たして“私らしさ”なんだろうか……と。

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