『日本沈没2020』への酷評は妥当なのか 排外的な“日本スゴイ”への風刺を読み解く

文=小野寺系
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『日本沈没2020』(Netflix)Twitterアカウントより

 人気アニメーション監督・湯浅政明が、『DEVILMAN crybaby』に次いでNetflixで発表した、全10話のアニメシリーズ『日本沈没2020』。永井豪の漫画『デビルマン』同様に名作として知られる、SF小説界の巨匠である小松左京の代表作を基に、2020年、突然の大地震に襲われた日本で、都内在住のある家族たちが次々に生存の危機に瀕する様をオリジナルストーリーで描いていく人間ドラマだ。

 原作小説のようなポリティカルサスペンスの要素が強い物語ではなく、一般市民の家族たちの目線から、日本が沈没するという大災害を描くのが本作の特徴。スケールの大きな題材と、過激な表現が可能なNetflixでの発表だけに話題を集めていた。しかし公開後、一部でかなり激烈な酷評や、反発を受けたことでも話題を呼び、賛否が分かれる作品ともなっている。

 本シリーズ『日本沈没2020』は、果たしてそこまで酷評されるほどの問題がある作品だったのだろうか。ここでは、批判の出る理由も含めて、本シリーズの内容をもう一度振り返り、そこで何が描かれたのかをあらためて考えていきたい。

『日本沈没2020』の異様なストーリーが示すもの

 本作は、湯浅監督によるサイエンスSARU作品としては、これまでにないようなリアルなテイストのキャラクターデザインが印象的であるほか、大貫妙子&坂本龍一のアルバム『UTAU』(2010年)の楽曲「a life」を使用した水彩風の美しいオープニングアニメーションが素晴らしい。また、アニメーション以外に劇作、ドラマ、「笑点」などのバラエティ番組といった、幅広い仕事を手がけてきた吉高寿男が脚本を手がけているところに、独自性が感じられる。湯浅作品全般にいえるのは、このようにアニメの常識の枠に収まらず、より普遍的な感性が行き届いているという特徴である。

 本シリーズのエピソードが進むたびにはっきりしていくのは、そんな特性をさらに強調するように、お決まりのイメージを覆して予想外の展開が続いていくということだ。

 主人公である中学3年の女子・武藤歩(あゆむ)が、陸上選手として選抜チームの練習に参加している場面から、本作の物語は始まる。日本全体に起こった巨大な地震によって、競技場にいる歩たちのチームも被災。同年代のチームメイトが瓦礫に挟まれるなか、歩はパニックに陥り、ひとりで逃げ出してしまう。

 この冒頭部分からすでに、本作の目論見が垣間見えてくる。通常のアニメーション作品であれば、主人公に感情移入させるため、献身的に仲間を助けようとする場面を用意するだろう。しかし歩は、視聴者の共感を呼ばない方向に向かってしまう。

 後になって歩が自分の選択の意味に気づきショックを受けるシーンを用意することで、主人公としての存在意義を取り戻すことから、もちろん主人公に最低限のモラルを持たせなければいけないという意識はあるのだろう。だが、むしろここで見るべきは、脚本上のデメリットを受け入れてまで主人公にそのような行動をとらせたということである。

 その意外性は、災害に対する日本人の反応についても同様である。日本のなかでは、「日本人は災害時でも規律正しく、自分勝手な行動をしない」というイメージを誇っているところがあるが、本作の劇中では、親切心で分け与えてくれたペットボトルの水をさりげなく全部奪ってしまう老人や、人種差別によって外国人を見捨てる国粋主義者、車に乗せて移動を助ける見返りに性的な行為を強要しようとする男が現れるなど、“親切な日本人”、“おもてなし精神”とは真逆の人々が登場するという皮肉な表現がある。

 とくに災害に乗じてのレイプ事件は、東日本大震災においても実際に起こっている。日本人自身が誇っている、治安や親切心というのは、そのまま素直に受け取れない、どこかいかがわしい部分がある。この種の違和感・不信感をアニメーションで表現し、オリンピックイヤーになるはずだった2020年、ナルシシズムに高揚する空気のなか公開することは、強烈なインパクトを与えるはずだったのではないか。

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