<また誰かが死んだみたいに泣いた/仁川空港でも成田空港でも/泣くのはよそうとお互いしっかり約束しておいて帰り道はずっと/いつまた会えるのか/何の約束もなく/ひょっとしたら今日以降はもう会えない/大切な私の友達たちよ/みんなで同時に死んでしまおう/その時が来る前に/まず先手を打ってしまおう>
歌詞対訳:清水博之(雨乃日珈琲店)
韓国に暮らし、日本のカルチャーシーンでも注目を集めるシンガー・ソングライターでアーティスト、イ・ランによる楽曲「患難の世代」の一節である。
この曲はもともと2015年に制作され、以来彼女の重要なライブレパートリーとして演奏されてきたが、このたびリリースが予定されているニューアルバムのタイトルトラックとして音源化が実現、今年6月に先行公開された。
「患難の世代」誕生から5年、新しい感染症によって大きく変化する世界に身を置きながら、隣り合わせとなった死の存在を実感する現在、私たちはまさに背を向けようもない“患難”(悩みや苦しみ、困難に直面すること)を経験している。
私たちの社会が、日常が揺らいでいく状況下、“患難”と対峙することはどんな意味をもたらすのか──そんな問いを聴く者に与えるこの曲を通じ、イ・ランがいま伝えたいメッセージを聞いた。

イ・ラン
韓国ソウル生まれのマルチ・アーティスト。2012年にファースト・アルバム『ヨンヨンスン』を、2016年に第14回韓国大衆音楽賞最優秀フォーク楽曲賞を受賞したセカンド・アルバム『神様ごっこ』をリリースして大きな注目を浴びる。2019年には柴田聡子との共作盤『ランナウェイ』とライブ・アルバム『クロミョン ~Lang Lee Live in Tokyo 2018~』を発表。さらに、2018年にはエッセイ集『悲しくてかっこいい人』を、2019年にはコミック『私が30代になった』を本邦でも上梓。その真摯で嘘のない発言やフレンドリーな姿勢、思考、行動が韓日両国でセンセーションとシンパシーを生んでいる。
「誰もヒーローにしない」ということ ― 韓国生まれの表現者 イ・ラン インタビュー
韓国で生まれたイ・ランは、シンガー・ソングライター、映像作家、コミック作家、エッセイスト、そして小説家として活動する多彩な表現者だ。その活躍は、日本の…
――前回の取材では昨年の11月に新宿の喫茶店で顔を合わせてお話をお伺いさせていただいたのですが、今はこうしてオンラインでのインタビューとなって。その頃には想像もしていなかった状況となりました。
イ・ラン 本当にそうですね……
――今年6月にランさんが新しくリリースされた「患難の世代」はもともと2015年に制作された楽曲ですよね。今のタイミングでこの曲を音源化することについて、どんな思いが込められていたのでしょうか。
イ・ラン 「患難の世代」を作った5年前、私は大切な人や友達との別れから感じた悲しみをこの曲に込めました。今は多くの人がコロナのせいで大切な人に会えなくなったり、死ぬときも病室に入れないから一人で最期を過ごさなければいけなくなったりしていますよね。そういう人たちに向けて、この曲を公開したかったんです。
――現在、世界の色んな場所で「あの時があの人に会う最後だったんだ」と別れの悲しさを抱えている人が沢山いると思います。
イ・ラン そうですね。私たちに出来ることは、こうして曲を作って聴いてもらうことだと考えています。この曲の一番最後には、オンニ・クワイア(Unnie Choir、性の多様性とフェミニズムを支援する合唱団)の皆さんと私の叫び声が収録されていますが、私はその声によって聴く人がトラウマを抱えるぐらいの感情を与えたかったんです。
――トラウマ的な感情、確かに。そのパートに至るまでは、オンニ・クワイアの皆さんとランさんが合唱されているのを聴いていて一緒に歌いたくなるような気持ちになるのですが、最後の叫び声が始まったとたん様々に入り乱れた感情が沸き上がってきます。
イ・ラン 「怖くて一回以上は聴けない」という反応もありましたし、また「久しぶりに自分も大声を出したくなった」と言った人もいましたね。
――どんな意図から、トラウマを与える表現を目指したのでしょうか。
イ・ラン 2014年に韓国でセウォル号という船が沈没した事故がありました(2014年4月16日、韓国南西部沖合を運行していた旅客船セウォル号が転覆し、死者299名行方不明者5名の大事故となった。犠牲者の中には修学旅行中だった多くの高校生も含まれている。過剰積載や経験に乏しい船長を含む乗客員、悪天候といった悪条件下で出航を決行した船会社の経済優先による人命軽視が取り沙汰された)。
あの事故は、多くの韓国人の中の何かを変えたと思います。私自身は被害者の方々に会ったことはないけれど、あのニュースを見てから彼らの最期の瞬間を想像して眠れなくなってしまったほど凄く辛かったんです。
でも、今の韓国では「セウォル号の話はやめよう」と言う人も凄く多くて。特に、犠牲となった生徒たちの通っていたタンウォン高校がある地域では“ネガティブなイメージがついてしまうから”と、その話題を避けようとする雰囲気が強いんです。
だけど辛いことを避けたり忘れようとするのは、決して何かを良くする方法ではないと、私は考えています。だからこの曲を通じて、私が想像した“セウォル号の声”や何かの最期に聴こえる音を表現することで、それらと向き合うことが出来たらと思ったんです。
――辛いことって避けたいし忘れたいからなかなか進んで対峙できないものですけれど、それでは何も解決しない。だからこそ「患難の世代」のラストパートで、聴く人の心に傷跡を残すような音を表現したのですね。
イ・ラン 私は死ぬことについて考えたいし、人とも話したいんです。5日前、私の友達がガンで亡くなりました(イ・ランと深い親好があり『患難の世代』MVのタイトルデザインも手がけられていたイ・ドジンさんが7月12日に逝去した)。彼の最期の瞬間まで私は一緒にいたんですけれど、その時、一人の人が死ぬ瞬間ってテレビドラマや映画みたいに綺麗じゃないし短くないんだなと思ったんです。現実の人間って、凄く辛そうな姿を見せながら時間をかけて逝くことも多いんですよね。でも、そういう光景ってどこにも表現されていないから、まるで“無い”ことになっている。
それって死ぬことだけではなくて、例えば障がいを持っている人は東京やソウルの街中ではあまり見ることはないし、貧しい人たちやセクシャルマイノリティの人たちも見えないようになっている世界だと思う。そういう色んな沢山の“見えないこと”がある世界で、私は死ぬことについて表現したいんです。
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