
長瀬智也
来年3月にジャニーズ事務所を去る長瀬智也さん。13歳でジャニーズ入りし、3年後にTOKIOのメンバーとなってデビューした長瀬さんですが、持ち前の華に加えて演技力もメキメキ向上し、日本のドラマや映画界に欠かせない俳優になりました。そんな長瀬さんの新人時代のドラマ取材から、豊富な思い出をアツが語ります。
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皆さん、ごきげんよう。アツこと秘密のアツコちゃんです!
さぁて今週のアツコちゃんは……。ハイ、先週に引き続き長瀬智也くんについてです。ほんの少しでも皆さんの知らなかった長瀬くんの姿がお届けできているといいのですが、いかがだったでしょうか?
何から書けばいいのか迷っちゃうんだけど、まずは1995年のドラマ『カケオチのススメ』(テレビ朝日系)でのことから。ある日の早朝、東京・恵比寿の病院内でロケをしていたのだけど、急に長瀬くんの体調が悪くなって。ちょうど病院ということもあり診察していただいて点滴を受けることに。
心配するスタッフに、ドクターはこうおっしゃいました。「 過労ですね。ひとまず点滴をして様子を見ましょう」と。
当時、16歳という若さで毎日が超多忙だった長瀬くん。朝一番からの撮影で元気な姿を見せていたんだけど、どんどん顔色が青白くなっていって。本人は「具合が悪い」と申告しないのだけど、異変を感じた周囲からの助言で診察を受けることに。あれが病院内でのロケで本当によかったと、つくづく思ったものよ。
スタッフはスケジュール調整に入って、午後からの撮影を後日にできないか検討したんだけど、当時、長瀬くんに付いていたマネージャーさんは「予備日がない」と一言。午後からの撮影を続行するしかなかったの。幸いにも点滴を受けた長瀬くんは復活して、午後からは神奈川の奥地でのロケに。まだお子ちゃまだったから「初めての点滴だよ。すごいね、点滴って。元気になったもん」とか言っちゃうくらい軽症で良かったんだけど。
ところが、いざ撮影再開で神奈川に着いたら、マネージャーさんは「悪い。東京で他のメンバーの仕事があって。送り迎えをしなくちゃいけないから行ってくる。ちょっと長瀬を見ててくれる? 何かあったら電話して。夜には戻れると思う」と言い残してお出かけしてしまったの。当時はTOKIOの5人それぞれにマネージャーさんが付いている状態ではなかったから、体調不良でも長瀬くんを現場にひとり置いて行くしかなかったのよね。
不安を抱えつつも16歳の長瀬くんは元気いっぱいに撮影を始めて、共演者の皆さんと楽しく雑談したりでホッと胸をなでおろしていたんだけど、夕食の頃になって「 食欲がない」と言い出して。とにかく横にならせてしばらく見守っていたんだけど夕食は食べられず。マネージャーさんや監督に報告しようとしたら、長瀬くんは「まだ言わないで。共演者のみんなにも迷惑かけちゃうし。少し寝て様子を見てからにして」って。
今みたいに、「体調不良で大事をとって」という風潮は、まだ全然ない時代。仕事に穴を開けるなんてできなかったのね。弱冠16歳のアイドルが「こんなにも責任感があるなんて」と、アツおかーさんは涙ぐむくらい感動(でも心配)したのよ。その後も様子を見ながら深夜まで撮影は続き、何とかフィニッシュ。少年の頃からどんな時も弱音を吐かない男だったのよ。
今までの長きに渡り、長瀬くんが自らNGを出した仕事はたったひとつだけ。『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)で、あまりに危険な命懸けのロケがあって、本当に危険だったの。
でも無事にやり終えて放送したのだけど、本人は「さすがに訓練もせずに挑戦したから、こりゃ死ぬなと思って。終わってから初めてムリだよって言った。やるならやるで、練習してからじゃなきゃダメだって訴えたよ〜」って。