今回の記事では、近年のハリウッド映画におけるロマンス映画の不遇について考えていきたいと思います。恋愛映画はアクションやSF同様、監督による向き不向きが大きいジャンルで、特殊な才能とか作家性を要求します。しかしながら、どう見ても苦手なのに自作に恋愛描写を入れて失敗している監督はけっこういます。この記事ではその代表例として、スティーヴン・スピルバーグを中心に考えたいと思います。
ロマンスの受難
1990年代から2000年代くらいまでのアメリカ映画では、ロマンティックコメディをはじめとする質の良い恋愛映画がかなりたくさん作られていました。
しかしその後、スーパーヒーロー映画が主流になるにつれて、ロマンティックな映画というのはハリウッドではあまり目立たなくなりました。ロマンティックコメディ風味の『デッドプール』や『アントマン』シリーズを除くと、スーパーヒーロー映画では恋愛はあまり力を入れて描かれません。昨年作られ、今年日本公開された『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』は最近では珍しい王道のロマンティックコメディで、大変よくできていましたが、あまりお客さんにウケませんでした。2000年代くらいまでに比べると、ロマンティックコメディは厳しい状況に直面していると言えるでしょう。
ギャリーとペニーのマーシャルきょうだいが亡くなって以来、大御所世代で恋愛映画が得意という監督はあまり目立たなくなりました。もう少し若い世代でも、得意な監督がいたかと思ったらトッド・ヘインズとかバリー・ジェンキンズのようにもともとはインディペンデント系のクリエイターだったり、ギレルモ・デル・トロとかルカ・グァダニーノのようにアメリカ国外出身のアート系監督だったり、古典的なハリウッド風ロマンティックコメディや恋愛ドラマをきちんと撮れるアメリカの監督というのは意外に少ないのです。
しかしながら、恋愛要素というのはどういうわけだかいろんな映画に入っているべきものだという固定観念が存在し、人間ドラマを撮るなら誰でも描かないといけないもの、みたいな扱いになっています。どう見ても苦手そうなのに、恋愛を描こうとして失敗している監督というのはけっこういます。大御所世代でその代表例と言えるのがスティーヴン・スピルバーグでしょう。
スピルバーグはハリウッドでも最も人気のある監督のひとりです。SFやファタジーから始まり、歴史ものまで幅広い作品を撮っていますが、一方で非常に作家性の強い監督でもあり、その作家性の裏返しとして明らかな苦手分野が見て取れることがあります。はっきりとわかる苦手分野が恋愛描写で、男女のロマンスを描いた『オールウェイズ』(Always, 1989)はキャリアの中でもとくにパッとしない映画だと言われています。
もちろん他に優れたところがたくさんあるので、これは監督としての評価に対して大きな影響を与えるものではないのですが、そうは言っても無理に恋愛を撮らなくていいのに……と思うことはあります。現在スピルバーグは『ウエスト・サイド・ストーリー』のリメイクを準備中ですが、この作品は情熱的な恋を描いたミュージカルなので、やや不安なところです。
『カラーパープル』のキス
『オールウェイズ』であまり男女のロマンス映画が撮れないことを示してしまったスピルバーグですが、さらに苦手としているのがレズビアンのロマンスです。スピルバーグがおそらく初めてこのテーマに取り組んだのは『カラーパープル』(The Color Purple, 1985)で、アフリカ系アメリカ人の女性作家アリス・ウォーカーが1982年に刊行した書簡体小説の映画化です。アメリカ南部に住む黒人女性セリーをヒロインとする大河小説で、性差別や人種差別の生々しい描写が特徴です。
この小説には、少女時代は父から、結婚後は夫から虐待を受けているヒロインのセリーが、夫の愛人であるバイセクシュアルのブルース歌手シャグと恋に落ちるという女性同士のロマンスが描かれています。
原作ではこの恋愛は相当なページ数を割いて非常に情熱的なものとして描かれ、セリーの精神的な成長に大きな影響を及ぼします。しかしながら映画ではセリーとシャグの恋愛はあまり重点が置かれなくなり、キス程度の描写に抑えられました。エロティックだったり、ロマンティックだったりするような雰囲気もそれほどなく、むしろやたらほのぼのした感じになっています。
原作の情熱的なレズビアンのロマンス描写をトーンダウンさせたため、映画は著者のウォーカー自身を含めたさまざまな人々から批判を受けました。
ウォーカーは「映画では女性はほとんど皆お互いにキスをしているので、セリーとシャグのキスの意味が弱くなってしまった」(The Same River Twice, p. 168)と回想しています。スピルバーグ自身が後のインタビューで、原作をそのまま映画化するとPG-13(子供でも見られる指定)にならないと思ったし、エロティックな恋愛を描くという点では自分は「シャイ」で「向いていない監督」だったので「単純なキス」にまで描写を減らしたと言っています。
ただし、スピルバーグは同じインタビューでこの場面を変えたいとは思っておらず、自分の作る映画のトーンにはあれで合っているのだという考えを述べています。
『カラーパープル』の恋愛描写はあまりうまいとは言えないものの、1985年に作られたという背景を考えれば仕方ないと思えるところもあります。この映画はそれまでSFやアクションなどで活躍していたスピルバーグが初めて人間ドラマに挑戦した作品で、露骨なアカデミー賞狙いだと言われますが、1985年にアフリカ系アメリカ人女性を主役にレズビアンのロマンスを織り込んだ大作を作ったというだけで先進性は評価できるでしょう。
35年前のハリウッド大作のレズビアン描写としては、ほのぼの系が精一杯だったのかもしれません。また、スピルバーグの経歴からしても、大人の恋愛を情熱的に描くにはいささか慣れが欠けていたのかもしれません。ただし、背後にアカデミー賞狙いがあったとしたら、わざわざ苦手分野の中でも難しいほうの地雷原に突っ込んで行ったように見えるところもあります。
『レディ・プレイヤー1』の逃げ
スピルバーグはその後、さまざまな人間ドラマを撮り、女性の描写などについても相当に腕を上げました。
脇役ではありますが、『リンカーン』(Lincoln, 2012)でサリー・フィールドが演じたメアリー・トッド・リンカーンはこれまでのリンカーン夫妻に関するステレオタイプを避けたしっかりした描き方だと評価されましたし、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(The Post, 2017)でメリル・ストリープが演じるヒロインのキャサリンは極めて奥行きのある女性です。
しかしながらこの作品の次にスピルバーグが作った『レディ・プレイヤー1』(Ready Player One, 2018)では、『カラーパープル』同様、レズビアンを描く時におそろしく「シャイ」になってしまうという欠点が出ています。この映画にはヘレン(ヴァーチャル空間では男性のエイチ)及びサマンサ(ヴァーチャル空間では女性のアルテミス)という女性が登場し、この2人の両方にレズビアンを連想させる描写があるのですが、キスなどの明確な描写は一切ないまま終わってしまっています。
『レディ・プレイヤー1』でリナ・ウェイスが演じているヘレンは、明らかにレズビアンだと思われるキャラクターです。現実世界では黒人女性なのですが、ヴァーチャル空間である「オアシス」では強面の大男エイチのアバターを使っています。現実世界のヘレンは中性的なファッションセンスで話し方や立ち居振る舞いもボーイッシュな感じで、いわゆる「ブッチ」なレズビアンに見えます。
ヘレンは原作であるアーネスト・クラインの小説『ゲームウォーズ』でははっきりレズビアンとして描かれているのですが、映画では注意して見ていないとわからないようになっており、さらに人種差別についての描写が映画でかなり省略されたことともあいまって批判の対象になっています。
唯一、ヘレンがおそらくレズビアンだとわかるのが、ホラー映画『シャイニング』のヴァーチャル模型空間の場面です。ヘレンはオアシスでエイチになっている時、『シャイニング』の部屋で全裸の美女に誘惑されてちょっとその気になってしまいます。美女にキスしようとした直前、エイチは相手の女性が実際は体が崩れかけた老女で、おそらく亡霊か何かであることに気付いて逃げ出します。
実はこの場面ではエイチの正体が女性だということはまだ映画の中では明かされておらず、おそらくみんな男性だと思って見ているのですが、この後でよく考えるとたぶんヘレンはレズビアンだとわかるという展開です。この場面については、まあ『シャイニング』のオマージュなのでこうなるのも仕方ないのですが、男の姿であってもヘレンは女性とキスさせてもらえないとも言えます。
もう一カ所非常にレズビアン的なのが、この直後、アルテミスがゾンビのダンスパーティをクリアしようとする場面です。アルテミスはゾンビを蹴落とし、このステージのヒロインと言えるキーラにダンスを申し込みます。ブルネットの短い髪を逆立ててスリムなズボンを履いたアルテミスが、ジャズエイジ風のドレスに身をまとったブロンドのキーラを社交ダンスの男役の仕草で踊りに誘うところは、おそらくこの映画で一番セクシーな場面です。しかしながらキーラが待ちわびていたと言って承諾した瞬間にこのステージは終わってしまい、アルテミスとキーラのダンスを見ることはできません。別にダンスくらいなら年齢制限の問題で子供が見られなくなるということはないと思うのですが、それでもこの映画では描かれないのです。
『レディ・プレイヤー1』は、『カラーパープル』以来のスピルバーグがレズビアンを描く時にどうしてもシャイになってしまうという苦手意識が非常によく見て取れる作品です。女同士のエロティックな感情が描かれそうになると肩透かしみたいにそれがなくなる、という箇所が2つもあります。監督として成熟したスピルバーグですが、女性同士の情熱を描くことについては上達していなかったようです。
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