私のブログに、「笠井さん評判悪くなってますよ。わかってますか?」と忠告が入ったため、指摘されたサイトを見に行くと私に対する罵詈雑言が並べ立てられていた。
恐ろしかった。恥ずかしかった。
私のことをよく思ってくれている人たちだけの《内の世界》、しかし自分のブログやInstagramから1歩外に出ると、ネット上の《外の世界》には私の言動にイライラしている人たちが少なからずいたのである。
「父さんはもうひとつのメディアなんだよ。わかってる?」
息子から強く言われた。
当時、私がブログに何か書くとすぐにネットニュースになることが続いていた。ここに違和感を持つ人たちが一定数いたのである。
こんなにたわいのないことでもYahoo!ニュースのトップに上がるのかと自分で驚くこともあった。コロナで芸能活動が全面的にストップしてしまったために、毎日毎日更新している私のブログやインスタは数少ない“芸能ネタ”だったのだ。
実はもう一つ、世の中の動きで書かずにはいられないことがあった。テレビ朝日「報道ステーション」のキャスター富川悠太アナウンサーのコロナ感染である。詳細は省くが、ネットにおける富川アナへの批判があまりにもひどすぎて黙っていられなかったのだ。彼の性格やアナウンス技術に関する事までとにかく何でもかんでも批判の嵐。こうした言葉に彼が傷ついて復帰が遅れていたのではないかと心配になった私は彼を擁護するブログを書いた。ブログはすぐにネットニュースとなって伝わっていったが、それに対する反応を私は読まないようにしていた。
怖かったからである。今度は私が袋叩きに遭うのではないかという恐怖があった。
ならば書かなければいいと思うかもしれないが、書かずにはいられなかった。これもまたSNSの魔力なのかもしれない。
そして富川アナの自宅療養中に、フジテレビ「テラスハウス」に出演中の女子プロレスラー木村花さんが亡くなった。番組内での行動がTwitter上で強い批判を浴びたことが引き金になったとも言われているようだが、そうだとすればあまりにも悲しい結末。なんとか回避する方法はなかったのだろうか? Twitterなど見に行かなければ良いと思うかもしれないが、若い世代の人はSNSと共に生まれ生活している。それは昭和時代を生きてきた人たちに一切テレビを見るな!と言うのに等しいことなのかもしれない。
ちょうどこの頃、私は出演したラジオでうれしかった入院中の出来事について聞かれ、ある有名歌手の方からいただいたお見舞いのプレゼントのことなどを話した。
ところがこれが、例によってネットニュースになってしまったのだ。
これに対する《外の世界》の皆さんの反応に私は愕然としてしまった。
「また自慢ですか!」
「相手のことを考えているのか」
「いい加減しゃべらないで欲しい」
「退院してから嫌いになった」
次から次へ上がってくる批判の書き込みに私は耐えられなくなった。
花さんの場合は「死んで欲しい」「消えてくれ」などと書き込まれていたようで本当に辛かったと思う。
私はわかっていた。自分はどこかで引きずり下ろされるのではないかと。
目立っている人間を叩きたいというのは世の常である。
単なるオヤジアナウンサーが、《がん》になったからというだけで47万人ものフォロワーを得て、書いたことが毎日のようにニュースになっている。これを気に入らないと思う人がいないわけがない。
私はブログの外側《=外の世界》に出るのが怖かったので、Twitterをやらずに、ずっと自分のブログやInstagramに寄せられたコメントだけを読んで優しい《内の世界》に浸っていた。そして、それによって力を得て辛い抗がん剤治療にも耐えることができたのだ。
退院してからも、ブログやInstagramの《内の世界》の人たちのコメントは本当に温かかった。
一方《外の世界》の人たちは、もう元気になったのだから同情はいらないとばかりに容赦ない言葉を浴びせてくる。
「またこいつのニュースか」
「どこまでアピール好きなんだ」
「目障りなのでもう発信しないでください」
「この人、国民的アナウンサーなんですか?」
「なんでこんなやつを取り上げるんだ」
「もううんざり、嫌悪感しかない」
と言いたい放題。
私の発言内容というよりは、ネット上に私が存在していることについて不満があるらしい。
こんなこともあった。
「とくダネ!」にリモート出演した際、「『がんになって良かった』と思わず言ってしまったことがありました」と発言したことが、ネット上で「がんになって良かったです」と発言したことになってしまい、《外の世界》の人たちから、
「がんになって良かったなんて言うな!」 と、お叱りをうけてしまったのだ。
しかし、私はがん患者本人なので、私が何を思ったとしても、そのことについてそこまで批判しなくても……と思ってしまう。
私にモノをいいたくなる気持ちは判らなくもないが、私には同じネット上の《内の世界》に沢山の名も知らぬ“友”がいる。その友が与えてくれる勇気と力は相当なものだ。
《内の世界》のサイレント・マジョリティと、《外の世界》のラウド・マイノリティ。
花さんは《内の世界》に物言わぬ味方が大勢いることに気づけなかったのかもしれない。
ネットの世界にいったい私のアンチはどれほどいるのだろうか?
その方たちの思いを無視するわけにはいかないが、声の大きさと実際の数は比例しないと思いたい。
私は冷静に現実を受け止めて、負けない自分でありたいのだ。
(※本稿の初出は『yomyom vol.63』(新潮社)です)
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