運動が苦手でも、体育の授業がつらくても、スポーツは楽しめる。「スポーツ弱者をなくす」ゆるスポーツの普及

文=澤田智洋
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魚を小脇に挟んで「ハンぎょボール」

 ゆるスポーツは町おこしにもなる。例えば、富山県の氷見市で生まれた「ハンぎょボール」。氷見市はもともとブリの産地として有名だが、ハンドボールの聖地と言われるほどハンドボールがさかんな土地でもある。その二つを掛け合わせて生まれたのがこの競技。

 なんとなくハンドボールを元にしたスポーツであることはご想像がつくだろうが、「ぎょ」の部分はどうゆるくルールに編み込まれるか。魚のぬいぐるみを小脇に抱えながらハンドボールをプレーするのだ。しかもゴールを決めるたびに、小脇に抱えた魚は、コズクラ→フクラギ→ガンド→ブリ、と出世し巨大化していく(ブリは出世魚なので)。大事なブリを落とした人は冷蔵庫送りになり、しばしフリーズ。小脇に魚を抱えていない方の手でボールを投げてしまうと「だらぶつ(ばか)」という反則になるなど、細かなルールまで方言が張り巡らされている。何より全員脇に魚が挟まっている状態で走っている姿を想像して欲しい。競技しているとき、見ている人たちに笑いが生まれる、というのもゆるスポーツを作る上で重視しているポイントだ。自治体は活性化するし、地域の魅力を伝えられる。地域に笑いが生まれ、一度生まれたスポーツはその土地で継続的に楽しまれていく。

 同様に、広告としてもゆるスポーツは秀逸だ。企業や団体から広報活動の一環として何かゆるスポーツを考案して欲しい、という依頼も増えている。昨年は姉妹団体として「世界ゆるミュージック協会」を発足させた。そちらでNECと協力して開発した「ANDCHESTRA(アンドケストラ)」は最先端AIを駆使した楽器で、体の動きや視線の動きで演奏が可能だ。これならば楽器が苦手な人や、身体が不自由な人でも演奏を楽しめる。ゆるスポーツと同様に、地域や企業独自の持ち味を存分に生かせる物を考えることが、その企業の魅力を伝えることになる。一時的な宣伝にとどまらず、サステイナブルな活動につながることも強みだ。

 ゆるスポーツを海外で紹介することも増えてきたのだが、この「ゆるさ」は、極めて日本的だ。クリスマスを祝った1週間後に初詣にいく私たちの寛容さや、コンビニのおにぎりや飲み物に膨大な種類があり毎週新商品が開発される選択肢の多様性。海外の方からはほとんどクレイジーにも見えるらしい、一つの神や、一つの選択肢に執着しない日本人らしさが、ゆるスポーツの「ゆるさ」を演出している。

 とはいえ、冒頭の「500歩サッカー」の開発にしても、なぜ500歩か、なぜ4秒なのか、一つ一つのルールの策定にはとんでもない試行錯誤があり、ただゆるゆると楽しんでいるだけでもないのだ。そもそも、スポーツと障害者は親和性が高いということもわかってきた。既存のスポーツ、例えばサッカーは手が使えない競技だし、バスケットボールはボールをドリブルしないと歩けない競技だ。何らかの行動制限を与えられるという発想は共通していて、では障害者も一緒に楽しめるためには、運動が苦手な人も楽しめるためには、制限の与え方をどうするか? と既存の分断の境界線を引き直すのがゆるスポーツ考案の鍵となる。

 こうした制約のなかで新たな楽しみ方を考える、制約下でも楽しめるように境界線を引き直す、という逆転の発想は社会のいろんなところで役立つかもしれない。この原稿に取り組んでいる4月現在、COVID-19による世界的パンデミックで、胸の痛いニュースが続いている。もちろんこの感染拡大を食い止めるため私たちは、決してゆるくあってはいけない。けれど、ソーシャルディスタンスを保ちながら家で楽しめるスポーツや、ビデオ通話の発達によって可能となるスポーツを考案することはできるかもしれない。未曾有の状況でこそ、様々な分断の壁を取り払う方法を考えることを止めたくはない、と私は思う。

(※本稿の初出は『yomyom vol.62』(新潮社)です)

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