思考はなかなか変えられない
国際教育政策の分野では、教員研修はほとんどの場合で効果がないと考えられています。これに照らし合わせれば、研修を施した現地の官僚を学校に派遣して成長思考を子供達に植え付けようとしたところで、まず上手くいかないだろうなとは思われます。
なぜ教員研修を通じて変化を起こすのが難しいのかというと、教員も人間だからです。つまり、教員自身が教員になる前に受けてきた教育経験というものがありますし、研修の前まで教員として行ってきた教育実践というものがあります。教員の経験に沿ったものを研修を通じて教員に身に付けてもらうことは容易ですが、そうでないものは難しくなります。
一例として体罰防止が挙げられます。体罰はダメですよという研修を実施しても、自身が体罰を受けてきたし、教員として体罰を行使してきていた場合、ちょっとやそっとの研修では、「体罰はダメだ」という思考に変えることはできません。
このアルゼンチンの事例でも、教育官僚がこれまで成長思考に近いものを持って学んできた・職務に当たってきたのであれば、研修で成長思考を理解させ、それを学校に行って生徒達に教えてきてもらうことは可能ですが、固定思考を持っていたのであれば、そもそも生徒達に成長思考を適切に教える事すら不可能となります。
これはスケールアップ問題と呼ばれるものの一つではあるのですが、理想的な状況で小規模に実験したらよい結果が出たのに、大規模に実施したら、理想的な状況で行われたものが変質してしまい、良い結果が出なくなってしまった、ということはしばしばみられるものです。
まとめ
科学的な知見に基づいて執筆された教育本通りにしたのに、上手くいかなかった場合にも、アルゼンチンの事例と全く同じことが起こっている可能性があります。
科学的なプロセスを経た知見であっても、結局のところそれを実行するのは、研究室の中のトレーニングを受けた研究者ではなく、自分自身の教育経験があり、それに基づく何らかの価値観を有している読者です。その科学的な知見が、自身が持つ経験や価値観から離れたものであればある程、正確に知見を読み解いて実施したつもりでも、そこから外れてしまい、中身が変質してしまいがちです。
言い換えると、たとえ教育本に書かれている内容が科学的な知見であっても、個人の経験に拠って合う合わないが出てきてしまうので、一気に内容通りのことをするよりも、ステップバイステップで合わせていったり、まずは合いやすいものを選択していくことが必要になることもある、ということです。
かくいう私も、いきなり国際機関に戻って成長思考を広めるプロジェクトを実施しろと言われても、やはり自分の知識や経験に基づいて成長思考を解釈してしまうので、なかなか上手くいかないはずです。成長思考の、「訓練で能力は伸びるし、努力は大事」、というエッセンスの部分を何度読んでも、「元気があれば何でもできる。行くぞー!」という燃える闘魂との違いが分からず、途上国で成長思考ではなくストロングスタイルを広める結果となりそうです。
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