嘱託殺人を依頼したALS患者を「安楽死」に向かわせたもの

文=みわよしこ
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 2020年7月23日、嘱託殺人容疑で医師2名が逮捕された。医師らは、2019年11月30日、京都市に在住していたALS女性患者(当時51歳)の依頼に応じ、致死量の鎮静剤を投与し、死に至らせたとされている。女性からは、医師らに対して130万円の報酬が支払われていた。

 日本は、ALS患者たちが自分の人生を生きることの先進地である。数多くの患者たちが、人工呼吸器を装着して24時間介助を受けながら、活発な社会的活動を行っている。重度障害者たちや難病患者たちが1970年代から切り開いてきた実績が、制度を作り上げてきたからだ。

 ALSでも公費で医療や介助を受けつつ地域で生活できる国は、多くはない。若くしてALSにかかった、イギリスの故・ホーキング博士が呼吸器を装着する必要に迫られた時も、費用は米国の財団が負担していたほどである。それなのに、日本でALS患者の嘱託殺人が起こった。その事実そのものに、日本の障害者の生活実態とメンタルヘルスに関する数多くのヒントが隠されているのではないだろうか。

「安楽死する」という意思は、なぜ形成されたのか

 事件そのものと亡くなった女性・林優里さんについては、既に数多くの報道がある。

 林さんは1968年生まれ、京都で生まれ育ち、同志社大学を卒業。卒業後はデパートに勤務していたが、建築家を志して米国に留学。帰国後は希望通りに東京で建築の仕事に就いていたが、2011年にALSを発症した。以後、生活保護のもとで独居し、病気の進行とともに24時間介護を受けて暮らしていた。

 2018年4月にはツイッターアカウント同年5月にはブログを開設。この時期には既に、「安楽死する」という意向を固めていたようである。

 ツイートとブログ記事には、「安楽死したい」という思いと方法に関する記述が数多く見られる。林さんは、スイスに行って自殺幇助団体の協力を得れば、安楽死できるはずであった。2019年5月に放送されたNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」のように。安楽死が合法化されている国々では、問題なく認められる可能性が高いのだが、現地に自力で到達することはできない。付添人が日本の法律で自殺幇助罪に問われる可能性を考慮して、林さんは悶々としていたようである。

 ついで林さんは、日本で合法的に安楽死する方法を考え、実行しようとしていたようである。具体的には、早く呼吸不全に陥ったり、胃ろうから注入する食事の量を減らして栄養失調になることであるが、主治医は応じなかった。そこに、嘱託殺人を実行した医師らとの出会いがあった。

 林さんは、主治医をその医師らに変更することを考えたが、実現しなかった。そして2019年11月30日、胃ろうから致死量の鎮静剤の投与が行われ、亡くなった。

予測でき対策できるはずの苦痛が重なった身体

 活発な社会的活動を続けるALS患者を数名、直接知っている私は、事件の報道に接して「なぜ、林さんはそこまで死にたくなったのだろうか」という疑問を抱いた。しかし、ご本人のツイートやブログを読むと、あっという間に疑問は氷解した。精神的にも身体的にも、数々の苦痛が継続しているのである。それらの苦痛の多くは、「現在の医学ではどうにもならない」といった解消できないものではない。多大なコストを必要とするわけでもない。しかし、解消されなかった。

 もちろん、林さんにはALSゆえの「身体が動かせない」という困難がある。だから障害者福祉を利用しており、1日24時間のヘルパー派遣を含む支援を受けていた。在宅療養については、かかりつけ主治医もいた。理屈の上では、生命活動とQOLを維持できるはずの体制である。

 ブログを書き始めた2018年5月の林さんからは、口内の運動能力が失われつつあった。既に、口から食事を摂取することは出来なくなっており、食事は胃ろうで摂取していた。しかし、それでも口の中には唾液が出てくる。飲み込めれば良いのだが、飲み込めないと口の中に溜まり、流れ落ちたり、喉に流れ込んで吐き気を催させたり、気管に流れ込んでむせさせたりする。唾液をポンプで吸引することは、ALS患者に対する典型的な介助の一つである。

 「早く楽になりたい」と題された2018年5月3日のブログ記事には、以下の記述がある。

「最近唾液が飲み込めず、1日中むせて咳き込んでる。
すごく辛い。早く楽になりたい。
なぜこんなにしんどい思いをしてまで生きていないといけないのか、私には分からない。
どうしても分からない。咳き込みと吸引とで1日が過ぎる」

 そして林さんは、「助からないと分かっているなら、どうすることも出来ないなら、本人の意識がはっきりしていて意思を明確に示せるなら、安楽死を認めるべきだ」と述べる。

 私は疑問を抱いてしまう。唾液を飲み込めなくなることは、ALSが進行するに従って必ず現れる症状の一つであるが、必要な対応は「口から不要な唾液を取り去ること」である。その人に適した方法を見つけるまでの試行錯誤は必要だが、すべきことは極めてシンプルだ。しかし、そういった苦痛が取り除かれていないのである。

 随時、不要な唾液を取り去ることが出来ないと、外出も困難になる。常に顔を俯きにしておかないと、窒息する可能性があるからだ。外出できないと、当然のこととしてQOLは低下するだろう。

 唾液の問題は、持続吸引やペーパータオルによって、一応は対処されたようである。2018年11月には、車椅子をリクライニングして外出したエピソードがある。しかし2019年5月のツイートを見ると、「解決した」とは言えない状況であったようだ。

「昨日は急にヘルパーさんが二人休み1時間だけ2年前にたまに来てた人が来たが吸引の電源も分からず、えずいてるのに更に奥に入れられ泣けてきた
「怒ってますよね、すみません」と
それを見た前後のヘルパーにせっかく来てもらってるのにと文句を言われ
怒ってない!生かされてるのが怖く悲しいだけ!」

 逆らうことが全くできない身体だから、介助を受けている。それなのに、唾液で吐き気を感じている喉の奥に管を入れられる苦痛で泣くと、ヘルパーに「せっかく来てもらっているのに」と文句を言われる。介助の質、ヘルパーの資質に問題があった可能性は、決して低くなさそうだ。

 2019年4月には、以下のツイートがある。

「今いるヘルパーさん、何も言わないとなーーーんにもしない。真っ暗になっても照明をつけようとも、時間になってもご飯も、目薬も、掃除も、持続吸引が吸い付いて変な音してても(略)。次のヘルパーさんへの申し送りもしない。前に何してるのか聞いたら何もしてないって」

 何もしないヘルパーが居たために危険が増大して危うく死にかけた事例は、筆者の周辺の重度障害者の中で、年間1~2件程度は発生している。しかし、介護事業所が重めに受け止めてヘルパーを交代させてくれれば、それ以上の責任追及は断念せざるを得ないのが実情だ。林さんの残した文章を、安易に「苦痛から被害的になった障害当事者の妄想」などと解釈すべきではないだろう。

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