虐待を容認することは、生きるための条件なのか
林さんは、なぜ安楽死以外の選択肢を失っていったのか。「死にたい」という思いがブログ記事につづられる時、同時に高い頻度で、介護にまつわる課題が語られている。2018年5月のブログ記事から拾ってみよう。
「万年のヘルパー探しはかなりのストレス。いつ穴が空くか分からない不安にいつもさいなまれている」
介護労働者の不足は、全国的に深刻だ。林さんが亡くなった2019年、介護職の有効求人倍率は、平均14.75倍に達した。特にALS患者の支援は、特有の技術を習得する必要がある。難易度が高い上に、失敗が生死に関わることも多い。そのような介護を担えるヘルパーや介護事業所は、もともと少ない。
「始めは男性は拒否してたがすぐにそんなことも言えなくなった。だがやはり難しい」
異性介護は障害者虐待のシンボルの一つである。施設のように他者の目が入りにくい環境では、特にセクシュアル・ハラスメントが起こりやすい。
「コミュニケーション手段が文字盤しかないので相手が読んでくれない限り私は何も言えない」
当事者の声を聞かずに、当事者ニーズを尊重した支援はありえないだろう。
「暴力的で物を投げたり身体を乱暴扱われたりする。(男性でも温和なヘルパーさんもおられます。)」
身体を動かせない重度障害者である女性に対して、男性ヘルパーがそのような扱いをすることは、まぎれもない「虐待」である。
「家族が居れば監視の目があるが、なんせ1対1なもんで。そんな時が一番死にたくなる。」
動かない身体で虐待されても、「されるがまま」になっているしかない。しかし、ヘルパーがいないと生きていけない。生きるためには、ある程度は虐待を受け入れざるを得ない。「究極の選択」だ。
死にたいのは症状のせいなのか?
虐待を疑わせるエピソードは、嘱託殺人の5日前、2019年11月25日の最後のツイートまで続いた。
「65歳ヘルパー 体ボロボロなのは私のトイレ介助のせいなんだと責める
施設行きになる あそこに入ったら殺されると脅される
むかついてもやめろと言えない 代わりがいないから
惨めだ」
林さんは、声を出せない身体で周囲に状況を訴え、現実を変えようとしていた。しかし2019年3月のツイートには、「虐待」という受け止め方が、ALSの症状の一つでもある感情失禁のせいにされたことが記されている。
「相談員さんに #ALS の感情失禁が一因みたいに言われたのには納得いかなかった。泣き出したら止まらなくなるのでヘルパーさん全員にも知って欲しくて私が相談員さんに資料を渡した。
正当な理由があるのに病気のせいにして欲しくないとメールした。」
林さん本人は既に亡くなっている。遺されたブログやツイートに記されている内容は、可能な限り、「事実である」という前提で解釈したい。すると、「虐待されており、虐待に関する必死の訴えが聞かれず、それでも諦めなかったら精神症状のせいにされてしまう」という、救いのない状況が浮かび上がる。
林さんの身体の苦痛は、時間とともに増していた。舌の引きつり、耳の痛み、筋肉や脂肪が失われることによる身体の痛み。そこに、虐待が重なっていたのである。ALSに罹患しておらず、情動失禁という症状が現れていない人でも、このような状況に置かれれば、抑うつ的になったり「死にたい」と思ったりするのが、むしろ自然ではないだろうか。
メンタルヘルス悪化の背景にある「介護人材不足」
ALSの介護の中核の一つは、自分の力で自分の身体の小さな苦痛を取り除くことのできない人に対して、他人であるヘルパーが代わって苦痛を除去することにある。たとえば、身体のどこかに痒みがある時には、文字通りの「痒いところに手が届く」が求められる。ALSが進行するのに従って現れる身体的苦痛の多くは、通常は無意識に行っている動作が行えなくなることに伴うものである。林さんの場合、苦痛を解消するための介護が充分ではなかった上に、虐待が伺われる状況であった。
介護の現場での虐待が明るみになるたびに、「介護人材の待遇が劣悪だから虐待が起こる」という主張が繰り広げられるのだが、現在に比べれば待遇が良好だった時期に虐待が起こりにくかったという事実はない。「待遇も労働条件も悪いから、利用者がハケ口になってしまう」という単純なメカニズムではなさそうだ。ともあれ、介護職の労働条件や待遇が劣悪すぎるために深刻な人材難が起こっていることと、「売り手市場」を背景とした介護事業所やヘルパーの横暴に対する抑止力が事実上存在しないことは、事実である。問題解決のための対策の一つが、介護職の労働条件と報酬を大幅に改善することであるのも確かだろう。「それだけで充分」とは言えないかもしれないが、基盤として必要であることは間違いない。
あと10分で崩壊する老朽家屋の中で、壁紙を張り替えて暮らし心地を向上させようとしている人がいたら、誰もが「愚かだ」と感じるだろう。QOLを低下させ虐待の温床ともなる介護人材の不足や介護職の劣悪な労働条件を解消することではなく、林さんのメンタルヘルスと安楽死への傾斜、そして嘱託殺人を行った医師らの異常性に注目することは、その愚行に似ている。
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