安倍政権の「公文書管理問題」を振り返る 説明責任を軽視する日本の政治プロセスの現実

文=三木由希子
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新型コロナ対策で顕在化した問題

 これが、新型コロナ感染症対策の「連絡会議」記録作成問題の伏線になった。

 政府対策本部会議とは別に2020年1月26日以降、連日、総理のもとに官房長官や関係閣僚をはじめ、総理補佐官・秘書官、関係省庁幹部が集まる「連絡会議」が開催されている。2月27日に小中高校の一斉休校要請が急になされ、どこでこのような検討を行っていたのかが問題になり「連絡会議」の存在に注目が集まった。記録の作成状況について問われ、3月になって未作成であるが過去にさかのぼって議事概要の作成が表明されたわけだ。

 もともと、連絡会議はガイドラインの定める打ち合わせ等の記録を作成しなければならない場合に該当する。少なくとも打ち合わせ等の記録を作成しなければならないことが、、官邸内でどこまで理解されていたのか極めて怪しい。国会で追及されてから、連絡会議の記録を作成すると国会で表明はされた。しかし、作成されるようになった会議概要には、概要として出席した閣僚や各省庁幹部からどの案件の報告があったかのみ記録されている。

 例えば、一斉休校要請を決定した政府対策本部前の連絡会議では、関連するものとしては、文科省から一斉休校に関して対策が必要な事項について説明があったことのみ出てくる。それ以前に、一斉休校に関して何か検討の指示があったのかなど、それ以前の連絡会議の記録には何も出てこない。

 筆者は各省庁側にも情報公開請求して、連絡会議に関してどのような行政文書を保有しているのか確認をしているところだが、今のところ、持参した資料以外に特定されたものがなく、見つかっている行政文書からは各省庁からの報告を聞いているだけの場ということしかわからない。

 打ち合わせ等の記録を作成しなければならない場合、このような記録の作り方は行政にとって合理的な方法であるのだろう。報告事項のみ該当として記録しておけば、文書の正確性確保の手順である発言者に発言内容の確認をしなくても済むからだ。これは、肝心の記録や具体的なやり取りは記録に残されないのでは、というガイドライン改正時の懸念はその通りであったということになるだろう。

 さらに、筆者の情報公開請求により、総理と新型コロナウイルス対策に関連した専門家や政党関係者、その他の関係者との面談に関する記録は、総理に関するまとまった記録として一切存在していないこともわかっている。

「安倍政権だから起きた問題」では無い

 ここまで述べてきたような、政治の説明責任が行政文書という公的な記録として果たされないという問題は、安倍政権に限らずこれまでの日本の政治プロセスの現実だ。

 安倍政権下では官邸主導が一層強化され、そのもとで行われた政策決定や政治判断がたびたび論争を招き、特定の層に対する便宜供与的な政策、立場や権限の濫用などに対する疑問が付きまとうことになった。

 政治主導が問題というより、もともと日本の政治プロセスは行政文書としてほとんど残されていないということを変えずに、政治主導性だけを高めたことに問題があったが、これを変えようという政治的意思はまったく見られなかった。それだけでなく、さまざまな行政文書問題が起こった数年の間に、さらに政治の説明責任が行政文書によって果たされにくい運用に、公文書管理制度が向かったことになる。

 これは政治の問題であり、政治主導でなければ変えられない問題だ。しかし、一貫して行政文書の扱いに不始末をしでかした行政を指導・監督し、政治が問題に対応したという建前で公文書管理制度にかかわってきたのが安倍政権だった。政治が自らの記録を通じた説明責任の問題として公文書管理に向き合えない、その中核にいたのが菅義偉官房長官であり、また与党だった。

 政治の説明責任を行政文書によって果たさないことに疑問のない政治運営がされているのは、有権者や国民に対する説明責任を軽視する政治がこれまで許容されてきた結果でもある。長期政権となった安倍政権で行政文書問題が続いた背景には、こうした問題がある。安倍総理が辞任し、総理が変わったとしてもこれが変わらなければ同じような問題が形を変えて現れ続けるだろう。安倍政権からの教訓を汲むなら、政治の説明責任が行政文書としてどうまっとうされるのかという問題に、正面から取り組む必要がある。

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