
『百女百様 〜街で見かけた女性たち』(内外出版社)p223より
私たちの生活の中では、なぜ決められているかわからないものの、当たり前とされる“ふさわしい装い”があります。「こんな格好は女性として(男性として)みっともない」「いい歳してそんな格好をして」「その服はお母さんらしくない」……“ふさわしい装い”は時に息苦しさを伴います。
はらだ有彩さんが上梓された『百女百様 〜街で見かけた女性たち』(内外出版社)は“好きなように装い、自由に生きていく”ことへとの背中を押してくれる本です。
8月9日、この本の発売を記念して、はらだ有彩さんと漫画家の瀧波ユカリさんによる、オンライントークイベント「私が私でいるための「装い」」(@ロフトプラスワンウエスト)が行われました。本記事ではまず、第一部の様子をダイジェストでルポします。

はらだ有彩(テキストレーター)
テキスト、テキスタイル、イラストを作る“テキストレーター”。著書に『日本のヤバい女の子』『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』(ともに柏書房)がある。様々なメディアで、小説やエッセイを連載中。
twitter : @hurry1116

瀧波ユカリ(漫画家)
1980年生まれ。24歳フリーター女性の日常を描いた『臨死!!江古田ちゃん』で2004年に漫画家デビュー。2017年より『モトカレマニア』を連載中。特技は西洋占星術。パートナーひとり子どもひとりの3人家族。札幌市在住。
twitter : @takinamiyukari
“雑誌にある装い”の中から自分の好みを見つけていた頃
イベントの冒頭は、はらださんから瀧波さんへ某ファッション誌風の「30の質問」があり、今日何をしていたか、最近きになるファッションやハマっている遊びは何かなど、いろいろな質問に答えるシーンからスタート! そして、おふたりから視聴者の方へのプレゼントの紹介のあと、話は本題へ。第一部のテーマは、「百の女あれば百の装いあり」。瀧波さんのファッションの変遷が徐々に明らかに……!
はらだ有彩さん(以下、はらだ):突然ですが、瀧波さんは「ヘンなものハンター」ですよね。いつもインパクト大な装いを楽しまれているイメージがあります!
瀧波ユカリさん(以下、瀧波):そんなに変なものばかり探しているつもりはないんだけど……むしろインパクトのある物の方から寄ってきているのかな。ネットの中でチラッと見て気になったら、非常に手に入れにくくても、執念深く調べて買うということをずっとやっていますね。
はらだ:瀧波さんが買ったものをツイッターで紹介すると売り切れてしまう、なんてこともありますよね。
瀧波:あ、そうそう。そういうとき、とても幸せ(笑)。
はらだ:世の中には変わった柄ってたくさんあるけど、その中で自分にしっくりくるものを見つけるのって難しいと思うんです。瀧波さんは自分に似合う柄を見つける天才だと思うんですが、柄選びのポイントは何でしょうか。
瀧波:あ〜なんか、ごちゃごちゃした柄が視界に入ったら、まずヘンな柄だって認識して確かめるんだけど……。
はらだ:えっ、ああノイズとして⁉︎
瀧波:そう! ヘンな柄といっても、私に合わないものもあるし、「100%完璧!」と思うものもある。「こういう柄好きなんじゃない?」と勧めてくれる人もいるけど、「いやちょっと違うな……」と思うことも結構あって。ヘンな柄でもこれだっていうのがだんだんわかるようになって、今では見た瞬間に自分に合うか合わないかがわかるようになった感じです。
はらだ:それっていつからわかるようになったんですか?
瀧波:うーん、自分らしいファッションを獲得するまでには、迷子状態だった時期もあって……。今まで3回「これだ!」と閃いた経験があるのですが、1回目が高校生のときでした。
はらだ:高校生のときにわかるって、めっちゃ早いですね。
瀧波:そうかもしれない。周りからの雑音がなくて、ただ好きなものを見て買って集めて……似合ってるかどうかも考えてなくて、好きなものを着てめっちゃ楽しいみたいな感じでした。
はらだ:自分と好きなものしかない世界。
瀧波:うんそうそうそうそう!!!!
ファッションとの馴染み方や距離感って一人ひとり違う。そこから話は、それぞれの中・高・大学時代、何が好きか自覚するまでの話などが続いていく。ボーイッシュな女の子が「先進的」とされたこと、盛るのが流行った90年代、そして脱力系に切り替わっていく2000年代へ。
はらだ:今振り返ると「あんなことあったね」と笑える思い出だけど、その時代をリアルタイムで生きて迷いの最中にあるときは、俯瞰してみるなんてできないですよね。
瀧波:そう。でも、もちろん周りには迷っていない人もいて。私は高校生の頃は『CUTiE』(宝島社)大好きっ子で、盛ってく方向のおしゃれを愛してたんだけど、大学に入ると東京育ちの都会っ子たちが力の抜けてる洗練されたファッションでたたずんでいて。そんな彼女たちを見た私は「じゃあ力を抜きゃあいいんでしょ」と全抜きしたのね。
はらだ:振れ幅がすごい(笑)
瀧波:もう本当、適当なよれよれのTシャツに、天然の穴が空いたジーパン。髪は美容室で明るい色に染めたりするんだけど、まだおしゃれの解像度が低くてザラザラッしてるからボサボサで。
そのとき私は日大芸術学部で写真を学んでいて、当時はガーリー・フォトブームもあって、オシャレな人もいて、そこに入るには、自分もオシャレにならないといけない。一方でオシャレに全然興味のない人たちもいて、適当な格好をしていてもその人たちとは馴染むんですよね。
ただ、そんな感じだとラクだけど、全然楽しくないのね。そこにあるのは、ただラクだけ。ラクだけど、楽しくはない。
はらだ:「オシャレ」の型に自分を当てはめた結果、「『オシャレ』の型に自分を当てはめていない」風オシャレに向かっていったんですね。「ラク」と「オシャレ」に結びついているはずなのに、「ラク」だけが残った……。
瀧波:「ラクをする」というのもゆったりとした服を着るという意味じゃなく、手近にあるものや古着屋、人からもらったものを着るとかで、鏡を見て楽しいと感じる時間がなかったですね。その頃が一番ファッションに迷ってたと思う。
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