
サンドラ・ヘフェリンさん
日本国内で新型コロナウイルスの感染者が初めて確認された1月16日から、半年以上の月日が経った。
この間、日本社会では数えきれないほど様々な問題が噴出。「マスク警察」「自粛警察」に代表される同調圧力の問題や、感染者バッシングをはじめとした自己責任論的な空気は、その代表的なものだ。
しかしこれらはコロナ禍になって急に降って湧いたわけではない。前々から私たちの社会に巣くっていたものが、この異常事態になって増幅されたのではないか──。
2月に『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)を出版し、家庭・学校・職場などありとあらゆる場所で人々に抑圧を強いる「体育会系」という日本独特の考え方を批判してきたサンドラ・ヘフェリンさんに話を聞いた。

サンドラ・ヘフェリン
ドイツ・ミュンヘン出身。ドイツ人の父と日本人の母の間に生まれ、日本歴は20年以上。日本語とドイツ語の両方が母国語。著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』(中央公論新社)、『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)など。
――コロナによって世界中の人々の生活が激変しました。サンドラさんが日本社会の動きを見ていて特に気になったことはなんですか?
サンドラ・ヘフェリン(以下、サンドラ) コロナ禍になって、もともと日本人にあった自己責任論的な空気が、より強くなったように感じます。
感染者を罰するような動きが継続的に出てきて、いまだになくなりません。また、そこから派生して、「マスク警察」「自粛警察」「他県ナンバー狩り」に代表される、行き過ぎた同調圧力の問題も起こりました。
7月29日には岩手県で初めて陽性の患者が確認され、感染者の勤め先に誹謗中傷が相次ぐ状況になりましたよね。電話やメールでの抗議だけでなく、中には、事業所に直接出向いて中傷した人までいたと報道されています。
その際、岩手県の達増拓也知事は会見で「中傷に対しては鬼になる必要がある」といった発言をしていて救われた気持ちにはなりましたが、そうした中傷が起こる背景には「感染した人に非がある」「感染したのは行いが悪いからだ」といった考え方が根底にあるのだと思います。だから、「感染した人は徹底的に叩いても良い」という考えになる。
陽性患者になる可能性はどの人にもあり、どれだけ感染対策に万全を期していても、かかってしまうことはあります。それにも関わらず、こういった動きが続いて絶えない。
これまで日本社会が抱えてきた自己責任論的な空気の負の側面がコロナ禍によって炙り出されているように感じます。
――コロナ禍においては経済的なダメージの問題もあります。
サンドラ この部分でも、差別的というか、自己責任論的な空気を感じます。
この間、スケープゴートとされてきたのは居酒屋、ライブハウス、接待を伴う飲食店などです。
「夜の街」という言葉が象徴的ですが、政府や地方自治体はそういった業種の人たちを軽んじているとしか思えないような対応を続け、いまだに補償も雀の涙ほどしか出しません。
そうした状況に対して同情する声もある一方、「リスク対策をしなかったのが悪い」「そんな職業を選んだのが悪い」といった言葉も一部では飛び交っています。でも、コロナのようなリスクを想定するのはどう考えても無理があるでしょう。
――ドイツではそういった考え方はないのですか?
サンドラ ドイツでは自己責任論的な論調はまったくないです。飲食業などが苦境に陥っているのはドイツも同じ状況ですけど、それを経営者の責任と見るような人もいないですね。
――その背景には、日本社会とドイツ社会のどのような違いがあるのでしょうか?
サンドラ 私はドイツ人の父と日本人の母のもとに生まれ、ドイツと日本、両方の生活を経験しています。
遠い国ですから、ふたつの国には大きな違いがあります。食べ物も違うし、住宅環境も違うし、ファッションも違う。そういったなかでも最も大きい違いは「体育会系」という考え方だと思います。