
石原プロモーション公式ブログより
8月14日、俳優の渡哲也さんが8月10日に亡くなっていたことが公表されました。新人時代から石原プロモーションの取材では渡さんにとても優しくしていただいたというアツ。特に、石原プロモーションの代名詞的な「炊き出し」をはじめ、食にまつわる温かい思い出は数限りありません。追悼の想いを込めて、振り返ります。
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皆さん、ごきげんよう。アツこと秘密のアツコちゃんです!
こんな急なお別れになるなんて。8月10日に渡哲也さんが肺炎のために亡くなられました。78歳という早い旅立ちにただただぼう然としています。僭越ですが、昭和の大スターである渡さんとの思い出を振り返らせていただきたいと思います。
渡さんに初めてお目にかかったのはいつだったか。あるドラマの記者会見に出席した時だったかしら。勉強のために先輩に付いて行った会見だったのだけど、はっきり言って“大スター”という認識はあるものの、アツは大人気だったというドラマ『大都会』(日本テレビ系)も『西部警察』(テレビ朝日系)も見たことがなく、なーんの知識もない頃だったの。
会見終わり、ホテルの宴会場で親睦会が行われて、おっちゃん先輩は“石原番”と呼ばれる他のオジサマ記者の皆さんと何やら話しこんでるし、手持ち無沙汰になっちゃったんだけど、美味しそうなお料理がいろいろ運ばれてきて。お腹も空いちゃったし、こうなったらご飯でも食べて帰るかと一心不乱にひたすら料理を口に運んでいたのね。
するとそこへ、後ろから「デザートはどうしますか? こちらでいいですか?」と知らないオジサマの渋〜いいい声。「はい、食べますっ」と振り返ると、何とそこには長身の渡哲也さんのお姿が……。「えーーーーーーっ」と目を丸くしながらア然としていたら、両手にお皿を抱えた渡さんが「はい。ケーキとプリンとアイスクリームと、コーヒーですよ」とおっしゃって手渡してくださったのです。あまりのことに身動きさえ忘れてしまったんだけど「ほら、アイスクリームが溶けてしまいますよ」と笑いながらおっしゃって、もう何が何だか。
とにかく慌ててアイスを食べたところで、先輩のおっちゃん記者がすっ飛んできて「すみません、渡さん。コイツは新米のど素人記者でして、失礼いたしました。何かしでかしましたでしょうか?」と謝ったんだけど、渡さんったら「いやいや、珍しく若いお嬢さんが僕なんかの会見に来てくださったから、せめてお礼をと思って。もう少し話をさせてください。何せいつも男ばかりの中にいるものですから」とひとこと。
おっちゃんの先輩記者は恐縮して飛び去って行ったけど、まだこの時のアツは渡さんの偉大さをつゆ知らず、とんでもない失礼な発言を次々とぶちかましてしまったのです。本当に穴があったら深く深く入り込んで出て来たくない。いやぁ若気の至りというか、何も知らない新人ってホント怖いわ。お恥ずかしい限りです。
その初対面の宴でお腹もいっぱいになった頃、渡さんが「ぜひまた取材に来てくださいね、約束ですよ」と言ってくださって、社交辞令というものを知らないど素人の新人記者はすっかり鵜呑みにして「はい、伺います」とニッコリ。「次は甘いものをご用意しておきますから」との言葉にも「絶対に行きます」と反応したりして、もう食べ物につられるだけのダメ記者のアツは、「約束は絶対ですからね。若いお友達があまりいないので、友人としていらしてください」とおっしゃる渡さんに、何を思ったのか「じゃ、マブダチですね」と返してしまったの。
紳士の渡さんはしばしきょとんとされて、「その“マブダチ”とは何ですか? 意味を教えてください」とおっしゃるもんだから、調子に乗ったアツはここぞとばかり元気に「あ、マブダチは仲の良いお友達のことです。言ってみれば親友ですね」と自信満々に答えちゃって。渡さんは大声で笑いながら「いいですね〜。ではもうマブダチですね」と。周りにいた渡さんのマネージャーさんもスタッフも苦笑い。今、思い出しても恥ずかしいけれど、それから折に触れ取材に行かせていただくようになり、こんな長きに渡りお世話になるとは、その時は夢にも思わずにいました。
それからはドラマのロケ等で全国各地に伺うようになって。舘ひろしさんや神田正輝さんに「あー、お前かぁ。うちの社長に“マブダチ”なんて教えたのは。渡が『ひろし、今日は俺のマブダチが取材に来るからよろしくな』なんて言うから驚いて見に来たんだよ。変な言葉を教えるんじゃないよ。全くしょーがねーなー」なんて怒られたりしながらも、あれこれお世話していただいて。
いざ写真を撮ろうとしたらカメラが急に動かなくなって正輝さんに直していただいたり、仕事自体はぜーんぜんダメでへっぽこ取材ばっかりだったのに、ジェントルマンな皆様の大らかなお心で許していただき、感謝しかありません。何より、渡さんに何年も付いていらっしゃる(有名な男性歌手の方と同じお名前の)マネージャーさんには、本当に本当にお世話になりっぱなしで。
渡さんはマネージャーさんのことを名前で呼んでいらしたんだけど、いつも「○○○はね、俺が死んだら珈琲屋を始めるんだよな」等とジョークで言われてて。というのもマネージャーさんは何しろコーヒーを淹れるのがお上手で、特に渡さん好みのコーヒー豆できっちり淹れるんだけど、アツなんかにもしょっちゅう「コーヒーどうぞ」と淹れてくださって。あの石原プロモーション所有のトリコロールカラーで色取られた渡さん専用のでっかい移動車の中でいただくコーヒーの味は、生涯忘れないでしょう。こっそり渡さんが好きなコーヒー豆を教えていただいたのに、自分で淹れて飲んでみてもどうしても同じ味にならないの。あれはマネージャーさんの渡さんへの愛がいっぱい詰まっていたからこその味なんだろうなと、いつも感じていました。
そうそう、トリコロールカラーの移動車といえば、都内のロケはもちろんのこと、京都ロケでも、北海道や九州ロケでも、気がつけばいつもロケ地にはあの移動車が。取材中、渡さんが気を使ってくださって「夏の京都は暑いし、冬の京都は寒いからね。体調を崩さないように移動車の中にいてください。特に夏の京都は女性は肌が焼けてしまって大変ですからね。準備が整ったら連絡しますから車内にいて。女性限定ですけどね」とジョーク混じりに言いながら、アツや仲良しの女性宣伝部の人をロケ車に誘ってくださったり。
そんな主演の渡さんが暑い中でリハをされているのに、アツたちだけキンキンに冷えた車内で、マネージャーさんが淹れてくださったコーヒーを飲んでるなんて、さすがに気が引けて外に出ようとすると、マネージャーさんが「ダメですよ、僕が渡に叱られますから」なんて言われて。もういつどんな時も優しくジェントルマンな渡さんでした。
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