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「読書はしたほうがいい」とよく言われますよね。でも、私は手放しで読書に賛成できません。
特に子どもは、漫画はダメだけど本は読んだ方がいい、と推奨されます。意味がわかりません。本を読んだら、頭が良くなるとか、年収が上がるとか、自分で考える力がつくとか……読書の価値が、過剰評価され過ぎているように感じます。
幼いうちに言語力・国語力をつけるために読書の量を意識することは大切かもしれませんが、大人に対してまで「読書せよ」「読書は良いこと」と勧めるのはどういうことでしょう。
読むことで差別意識が助長されたり、頭が悪くなったり、騙されやすくなったり、イライラしたり、死にたくなったりする本もありますよね。何も得られず、ただただお金と時間が無駄になる読書もあります。有害な読書体験も多いのに、そのことに言及する人が少な過ぎる気がします。
読書によってプラスの影響を受けてきた人たちが読書を勧めるのもわかりますが、それって「読書」の利点でなくて、「その本」の利点ですよね。読書なら無条件に良いというわけではなく、害になる本もある、読む価値のない本もあることを強調すべきではないでしょうか。
ネットワークビジネスを広めようとしている方が、特定の本を推奨することはよく知られています。なぜ彼らは本を配るのか。それは、その本に、行動や考え方を変えさせる力があるからです。読書体験によってネットワークビジネスが合理的かつ魅力的なものに感じられ、参入し、お金を使い、活動にのめり込めば、(良いか悪いかは別として)その人の人生は変わります。
と、ここまで読書のマイナスイメージをあげつらいましたが、私自身は読書が好きです。読書体験は、毒にも薬にもならない時間やお金の浪費になる場合もあれば、読む人の行動、感情、思想、志向、常識、倫理観をじわじわ侵食し、人生を変えてしまう劇薬にもなります。
妻や母としての役割に対する混乱と苛立ち…そうだ、読書しよう!

「読書する女たち フェミニズムの名著は私の人生をどう変えたか」(ステファニー・スタール著、訳:伊達 尚美 イースト・プレス)
「読書が人生を変える劇薬になりうる」ことを知っている人は、たいてい読書好きです。「何かが変わるかもしれない。でも、時間の浪費に終わるかもしれない」と知りつつする読書は、ギャンブルと似ていてエキサイティングです。
ステファニー・スタールも「読書体験が人生を変えうる」ことを熟知している本好きの女性です。ステファニーは、著書『読書する女たち フェミニズムの名著は私の人生をどう変えたか』(イースト・プレス)にて、自身の読書体験を綴っています。
新聞記者として仕事に情熱を燃やしていたステファニーは、出産を機に退職。フリーランスのライターとしての道を選びます。仕事を楽しみ、夫とも対等な関係を築いてはずのステファニーでしたが、育児に追われるうちに、いつのまにか「自分が近づかないでおこうとしていた人生」すなわち、「妻や母という役割に縛られる人生」を歩んでいたことに気がつきます。
仕事を「母親がする必要のないもの。ひまつぶしでしょ」と軽んじられたり、家事を平等しているだけなのに、夫は「よくできた人。聖人」とみなされ、妻である自分は、「義務を怠っている人。罪人」とみなされる風潮にも苛立ちをつのらせ、次第に家庭にはギスギスした空気が流れ始めます。
そんなとき、学生時代に読んだベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』を再読して感銘を受けたことをきっかけに、母校に戻りフェミニズムの著作を入門者向けに概説する「フェミニストのテキスト講座」を受講する決意をしたのです。1年かけて13冊の課題図書を読み解きながら、「ひとりの人間、女性、母、妻」としてのアイデンティティの折り合いのつけ方を必死で探っていく様は、「女性、母、妻」という制度に息苦しさを感じたことのある女性なら、共感するところが多いでしょう。
ステファニーは、フェミニストが書いた本を読む価値を以下のように表現しています。
<自分の人生と別の女性の人生を突き合わせて比べ、型にはまった予測可能な考え方から想像力を解放し、ほかとは違う私たちの世代によって私たちに割り当てられたさまざまな台本をより深く理解する、貴重な機会が得られることにある。フェミニズムは思いがけない物語を語る余地を私たちに与えてくれる。おそらくそれが最大の贈り物だ>(P.338)
フェミニズムの名著には、「女性、母、妻」という制度の息苦しさから女性たちを解き放つ力があります。ステファニーの場合は、女性をエンパワーする名著を再読するなかで、夫との関係は改善されていきます。それは、夫がステファニーの葛藤や変化を受け入れたからです。
しかし、女性が旧来の妻や母という役割ではない物語を生き始めたとき、周囲の人間が「思いがけない物語」を受け入れることをよしとせず、「女性、母、妻という制度をまっとうせよ」と反発する可能性もあります。そうなれば、「これまでの日常」は壊れるかもしれません。それが、いい変化と感じるか、悪い変化と感じるかは、どの程度、本に影響されているかによって変わるでしょう。
読書はあなたの人生を狂わせるかもしれない
本が読者に与える影響ははかりしれません。私も本から多大なる影響を受けてきました。
先日、物件を探しに出かけていたのですが、「ふたり暮らしだったら、1LDKを選ばれる方もいますよ」という不動産屋さんの提案に対して、「2LDKでお願いします」と言ったのは、ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』で「女性が書き物をするには、自分ひとりになる部屋が絶対に必要」と読んだの影響だし、「専業主婦もありだよね」という彼氏の提案に乗らないのは、田嶋陽子の『愛という名の支配』に感銘を受けたものとしては必然で、そもそもフリーライターという仕事を選んでいることが、これまで読んできた本たちのせい、というかおかげです。
上記に挙げた本の読書体験には満足していますが、これまで読んできた本すべてが、自分にとって良い影響だけを与えているとは考えられません。読まない方が良かった本もあっただろうな、と思います。今後は願わくば、自分の人生にとって良い影響を与えてくれる本だけをセレクトして読みたいものですが、自分にとって「良い影響」とは何か、という基準それ自体も読書体験によって変わりうるので、「良い影響を与えてくれる本だけを読む」ことは、不可能なのだと思います。
本も薬と同じで、どれが体質に合うのか、その人に良い影響を与えるのかも、個々人によって違うはずです。ですから、読書を楽しみたいならば、時間の浪費となること、悪影響を与えられるリスクを引き受けるギャンブラーにならなければならないのです。
ギャンブラーは誰にでも勧められる道ではないのですから、「読書した方がいい」というアドバイスは、他人の人生を狂わせる覚悟を持って発していただきたいと思います。
(原宿なつき)