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「その後(一審の裁判の判決から)、気持ちの変化はありましたか?」
大谷恭子弁護士から質問を受けると、船戸優里被告は、急に呼吸を荒くして顔を歪めた。グレーのスウェットの上下にピンクのサンダル。肩の位置で切りそろえた、綺麗なストレートヘアが揺れる。かろうじて法廷に立っている。そんなふうに感じた。様子を見ていた大谷弁護士は一歩近づくと
「言いたくなければ言わなくてもいいよ」と言葉を掛けた。
2020年7月21日、東京高等裁判所で優里被告(28歳)の控訴審が開かれた。2018年3月に東京都目黒区のアパートで娘、船戸結愛ちゃん(当時5歳)が、養父船戸雄大から食事制限と、暴力を受け衰弱し、肺炎に起因する敗血症で亡くなった事件である。
裁判でうやむやになっている事実
この年の6月になって優里被告が保護責任者遺棄致死罪で逮捕された時、結愛ちゃんが両親に向けて「もうお願い、許してください」と書き残していたという報道があり、幼い少女のいたいけなお願いの言葉に社会は騒然となった。2019年1月に野田市内で10歳の栗原美心ちゃんが、同じく父親からの激しい虐待を受けて亡くなったという事件があり、どちらも両親間にDVがあったとして、児童虐待とDVの関係が注目された。
二つの事件を受けて、児童虐待防止法とDV防止法が改正され、児童相談所と女性センターの連携の必要がそれぞれに明記された。
2019年9月開かれた優里被告の一審では、優里被告が結愛ちゃんとその弟を連れて香川県善通寺市から東京都目黒区に転居し、2018年1月下旬頃から、結愛ちゃんに食事制限をして栄養失調状態に陥らせたこと、雄大が身体的暴力を振るうことを容認していたこと、2月27日以降、極度に衰弱していた結愛ちゃんに医療を受けさせなかったことを理由に保護責任者遺棄致死罪で8年の判決が下った。優里被告は量刑不服で控訴した。
この控訴審の法廷では、優里被告側が提出した証拠は、優里被告自身の法廷での証言以外、全て却下された。その証拠の中には、一審の裁判以降に優里被告が記した『結愛へ 目黒区虐待死事件 母の獄中手記』(小学館)や、その印税がDV被害者支援団体の女性ネットSaya-Sayaや森田ゆり主宰エンパワーメントセンター、香川県善通寺市の子育て支援団体、子育てネットくすくすに寄付されたことを証明する書類、雄大自身の法廷での証言、さらに、精神科医師が新たに作成した優里被告に対する意見書がある。
優里被告が法廷で語ることができなければ、証拠は審議されないことになる。
優里被告は荒い息の下、首を振って、話す意思を示す。さらに大谷弁護士は声を掛ける。
「大きく深呼吸をしてみよう」
優里被告は、言われるとおりに息をして、話し始める。
「雄大の裁判で、うやむやになっている事実を知って」また、激しく息を吸い込む。やがて、「結愛が浴槽に閉じ込められていた2月24日のことです……」と絞り出すような声だった。