繰り返される「わからない」という証言
控訴審の弁論で、大谷恭子弁護士は「量刑に影響を与える重大な事実誤認がある」と主張した。雄大の優里被告に対する心理的支配について、裁判所は過小評価しているというのだ。また、特に結愛ちゃんが亡くなった3月2日の1週間前、2月24日に起きた事件が優里被告にとってもっとも過酷なもので、そのために結愛ちゃんが亡くなるまで、優里被告は解離性健忘状態を引き起こしていたとした。つまり、「重い急性ストレス障害」に陥った優里被告には結愛ちゃんを適切に守る力はなかった、と主張しているのだ。
優里被告側が説明する、その事件とは、具体的には次のようなものだ。
2月24日朝、9時半ごろ、優里被告は雄大の友人が開くレストランの料理教室に出かけた。11時頃、雄大からラインの連絡が入った。1歳の息子を連れて近くの公園に来ている、時間が合えば一緒に家に帰りたいという内容だった。何度かラインのやり取りをしていたが、一足先に優里被告が家に着いてしまった。その旨を書いたラインを送ってから家の中を探したが、結愛ちゃんがいなかった。風呂場に行ってみると、浴槽の蓋が閉められてその上に水の入ったバケツが置かれていた。バケツを下ろして蓋を開けてみた。
法廷で大谷弁護士が尋ねる。
「何を見ましたか?」
優里被告「肌色の塊がありました」
大谷弁護士「肌色の塊の姿勢を思い出すことはできますか?」
優里被告「(記憶が蘇った時)最初は肌色の塊だけが思い出されました。その後、記憶が思い出されてきて、結愛がバスタブの後ろに丸まっていました。一枚の写真のようになっていて、その後の記憶はありません(略)その後、雄大が帰ってきて、「見たのか」と言いました。その言葉が耳にこびりついています」
大谷弁護士「その後、どうしたのですか?」
優里被告「わからないです」
大谷弁護士「結愛さんをどうしたのですか?」
優里被告「わからないです」
優里被告の声は硬い。
結愛ちゃんへの数々の暴力
優里被告は、この時の結愛ちゃんの記憶を最初に思い出したのは、一審の裁判の直前、事件から1年半後の2019年8月下旬のことだと証言した。読むようにと言われた裁判の証拠の中に、夫との2月24日のラインのやりとりがあった。それを読んで、結愛ちゃんが浴槽でうずくまる姿がいきなり、一枚の絵のように思い出された。さらに雄大の「見たのか」と言う声が蘇った。強い混乱が沸き起こり、大谷弁護士にも話せなかった。
だが、10月に雄大の裁判が終わり、彼の供述内容を知った。しかも控訴しないという。そこで、弁護士に話そうと思ったと言った。
「このままでは、結愛も私も納得できないと思いました。(傷について尋ねられても」『自分のせいかもしれません』という言い方で(事実は話さない)。とても卑怯だと思いました」
雄大は、2月24日から26日の間に結愛ちゃんに加えた激しい暴力を対象にした、傷害罪で起訴された。私は彼の裁判も傍聴した。亡くなった結愛ちゃんの遺体は、39日前の上京時には、16.6キロ以上あったはずの体重が12.2キロまで落ち込み、全身には170以上もの新旧のアザや傷跡が残されていた。その傷跡の大きなものについて、尋ねられるたび雄大は「私が原因なのではないかと思います。正確には覚えていません」「具体的なものはわかりませんが、私が原因なのだと思います」「関わりがあるのではないかと思います」と答えていた。具体的になぜ傷ができたのかを明確に答えることはなかった。
優里被告が「卑怯だ」というのは、そのことを指しているのだと思われた。
雄大は裁判で、24日から26日にかけてと思われる結愛ちゃんへの傷害事件について、次のように話している。その内容は壮絶だ。
弁護士「左右の眼窩皮下出血はあなたが行ったことで間違いないですね」
雄大「はい」
弁護士「2月24日ということでいいですね」
雄大「正確な記憶はないです。取り調べの方との質疑の中で、(日付を)導き出したのではないかと思います。前日に水責めをして、その後に殴ったと話したかもしれません(略)結愛が布団を敷き直して寝ていた。寝る時間では全くない時間に、私が強要していたことを無視していたので、強い怒りが爆発してしまった。感情を制御できなくなって、怒りに飲み込まれてしまった。首をつかんで持ち上げてまず、脱衣所まで連れて行った。
弁護士「その時、周りに優里さんと息子はいたか?」
雄大「怒りに飲み込まれて、正確には周囲のことは覚えていない。何度か同様のことをしていて、お湯か水かを自分で選ばせた」
弁護士「なぜ、水を浴びせる行為になるのか」
雄大「自分ではなぜ思いついたのかわからない。ぶったり、蹴ったり、殴ったり以外の方法で、自分のエゴを押し付けようとしたのだと思います」「結果的に(結愛が)水が怖いことを理解したので、水を掛けた。水を掛けると、結愛は脱衣所でパニックになっていた。傷害事件の日は、顔面を殴った。暴力を振るう前には、一方的に怒鳴り立てて、謝れとか、反省しろとか、言ったと思う。
私が結愛の体のどこかをつかんで、風呂場の入り口のドアのところと、風呂場の床、半分半分の状態で仰向けにさせた記憶があります」
弁護士「手で口を塞いだことはないか。」
雄大「そうだと思います」
「体重をかけて、動かないようにして、口を塞いだのか。冷水を掛けたのか。どちらが先か覚えていません」
弁護士「供述では冷水が先です」
その後、雄大は結愛ちゃんの濡れたパジャマを脱がしたと供述している。顔から10センチほどのところから冷水を掛けたと言う。当時、結愛ちゃんはシャワーを非常に怖がっていた。そこで顔を背けられないように両手で抑えた。全身の力で結愛ちゃんをその場に押さえつけ、体勢が悪いながらも、その場で10発程度、渾身の力を加えて手加減せずに結愛ちゃんを殴った。自分が疲れたので、殴るのをやめた。風呂場では立てなくなったので、体を乱暴に拭いて、服を着せて子ども部屋に乱暴に連れて行き、抱き抱えて布団の上に放り投げた。怒りが収まり切っていなかったので、寝ろと言って寝かせた。