目黒虐待死事件から2年 裁判で語られた事件の全容と、被告の曖昧な記憶

文=杉山春
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なかったことにされた核心部分

 翌日起きてきた結愛ちゃんの顔は「ボクサーのように腫れていた」そうだ。結愛ちゃんに尋ねると「前は見える」と答えたという。

 雄大の供述によれば、この日、優里被告は「驚いた様子で(略)、残念そうな暗い表情をしていた。もしかしたら「顔、めっちゃ腫れているよね」と言ったかもしれない」という。

 さらに暴行の翌日、結愛ちゃんが決められたとおりに起きてこないので、また、風呂場に連れて行ったとも言った。浴槽に、栓をして、蓋をして、身体を入れ、上から水を掛けて、結愛ちゃんの膝くらいになるまで水を入れたと証言した。ただし、今となっては記憶が曖昧だとも同時に述べている。

 「私の身勝手なエゴを押し付けるために、謝るまでやった」と彼は語った。

 33歳の男が、5歳の幼女を徹底的に支配しないではいられなかった。

 結愛ちゃんの遺体の足の裏には、左右にそれぞれ20個程度の水膨れがあったという。これがなぜできたのかが、法廷で問われた。これについて、雄大は裁判で「浴槽に閉じ込めたことによるのではないかと思う」と述べている。27日にはパソコンで「足の水膨れ」という検索をしたという記録がある。悲惨な「浴槽閉じ込め事件」は確実に存在していた。

 だが、雄大の裁判の判決文では、暴行の翌日にも、浴槽に入れて蓋をして上から冷水をかけるという行為について、「時系列の記憶が正確ではない疑いもあるから、高い信用性までは認められず、そうした事実があったことは前提としない」としている。つまり、優里被告が思い出した「バスタブの後ろに肌色の物体が丸まっていた」という記憶に関係する出来事は、雄大の裁判では事実とされなかったのだ。

 優里被告がなぜ、子どもを救うための行動を起こせなかったのか、というこの事件全体の確信部分を裁判所は「なかったこと」として事実認定した。

幼女との戦いから降りることができない雄大

 雄大が結愛ちゃんへの暴力の記憶を語り切らなかったのかどうか。彼の心理鑑定を行った西澤哲山梨県立大学教授に話を聞いた。

「(自分自身が行った暴力について法廷で)あそこまで語っていて、あるところだけ誤魔化す必要はないのではないかと思う。
 雄大は自分自身の暴力を二つに分けて語っている。一つは、結愛ちゃんをコントロールするための暴力。その暴力は振るったことを覚えている。もう一つは自分自身を見失った制御不能の暴力。解離的状況での暴力だ。その場合、記憶がないこともあり得る。相手が死に至るような暴力を振るった人が記憶がないことは結構ある」

 では、優里被告が「ずるい」と言うように、雄大が恣意的に一部の暴力を隠していた可能性はないのか。

「ただ、2回目の一時保護の時(2017年3月香川県善通寺市在住当時)の暴力は、記憶にあったのに自分はやっていなかったと言い抜いた。彼は、公的なところに対して嘘を突き通せる人だと思う。ずるいと言えばずるいのだと思う」

 もし、雄大に結愛ちゃんに暴力を振るった一つ一つの記憶があったとして、それを語らなかったのだとすれば、雄大から十分に供述を引き出せなかった検察の追及が甘かったということになる。

 いずれにしろ雄大は、自分のコントロール下に入らない結愛ちゃんに対して、怒りを爆発させていた。

 自分のコントロール下に入らない他者に対して、コントロール不能な暴力を爆発させることが、DVであり、児童虐待なのだ。

 雄大は、結愛ちゃんを裸にして、のしかかっていた。5歳の女児を裸にすることは、最も弱い存在に、意図的に屈辱を与えることだ。性虐待に近い行為だとも感じられる。幼いものが自分の思い通りにならないということは、雄大にとってどれほどの屈辱か。その屈辱を拭い去るために、雄大は結愛ちゃんに渾身の暴力を振るったのではないか。

 雄大は、2018年2月4日の時点で、結愛ちゃんを優里被告から引き離し、自分で面倒をみ始めていた。「目黒区虐待死事件」で、子どもの死に直結したかもしれない、決定的な事件が起きたのは、それから20日ほどのことだ。これまでも繰り返し暴力は起きていたが、それにもかかわらず自分の支配からはみ出そうとする結愛ちゃんを、渾身の力を込めてコントロールしようとしていた。

 だが、結愛ちゃんは、雄大のコントロールを拒む。

 控訴審のために、意見書を作成した、精神科医、元東京女子医大女性生涯健康センター所長、そして長年東京都女性相談センターの非常勤嘱託医を務め、この事件の都の検証委員でもあった、加茂登志子医師は次のように言う。

「この自分のコントロール下に入らない、という点はとても重要だと思います。野田市の事件の心愛ちゃんの場合もそうです。心愛ちゃんも結愛ちゃんも、母子家庭だった時期が数年あります。その間に、この2人は比較的健康で、年齢に見合った自我を発達させていたかもしれない。簡単に言えば大人(ないし母親)は助けてくれる存在であると言う信念です。それ故、父の理不尽な暴力に抵抗し、助けを求め続けた。しかしそれがまた暴力をエスカレートさせたということではないかと思います」

 雄大は幼女との戦いから降りることができない。

 つまり、そこまでの恥辱に塗れて生きてきたということになる。

 前編では「目黒区虐待死事件」で何が起きていたのか、裁判の内容を中心に紹介した。後編では、なかったことにされてしまった事件の核心部分、つまり優里被告は「なぜ、子どもを救うための行動を起こせなかったのか」について、専門家の知見を交えて考察していく。

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