目黒虐待死事件 「最先端の医療が示す事実」と「司法が認める事実」の谷間を追う

文=杉山春
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GettyImagesより

 2018年3月、東京都目黒区で船戸結愛ちゃん(当時5歳)が、養父船戸雄大から食事制限と、暴力を受け衰弱し、肺炎に起因する敗血症で亡くなった事件が起きた。結愛ちゃんが両親に宛てた「ゆるして」という手紙が注目を浴びた事件だ。

 前編では、この「目黒区虐待死事件」で何が起きていたのかを、裁判の内容を中心に紹介した。後編では、優里被告は「なぜ、子どもを救うための行動を起こせなかったのか」について弁護士や医師、法学者の話を交えて考察していく。

目黒虐待死事件から2年 裁判で語られた事件の全容と、被告の曖昧な記憶

「その後(一審の裁判の判決から)、気持ちの変化はありましたか?」 大谷恭子弁護士から質問を受けると、船戸優里被告は、急に呼吸を荒くして顔を歪めた。グ…

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目黒虐待死事件 「最先端の医療が示す事実」と「司法が認める事実」の谷間を追うの画像3 ウェジー 2020.08.29

 結愛ちゃんは、2月初旬に雄大に叩かれて目の周りにアザを作っていた。優里被告は『結愛へ』(小学館)の中でこんな風に書いている。

「(2月)20日が近づいてきたころ、目のまわりの消えかかったアザが青から黒に変わっていた。しかし、おかしいとか、叩かれたんじゃないかといったことや、何があったのか、といったことに思いは到らなかった。(略)もう一度、目のところを叩かれていたなんて考えもしなかった」

 アザが作られたのは、2月24日の傷害と浴槽閉じ込め事件の日だろうか。優里被告の認知は、その時点では既に歪んでおり、冷静に現状を認識し、判断し、対処する力を失っていた。

 司法的な判断は別にして、私はこの時、この家族は母親が記憶を失うほどにまで追い詰められ、支配と被支配という暴力の坩堝と化していたのだと思う。

 これまで取材してきたいくつかの虐待死事件で、ほとんどの親たちは、子どもを亡くす前後の記憶が飛んでいた。子どもの虐待死は、外部の支援を遠ざけ、暴力が煮詰まった家庭の中で起きるのだ。

優里被告のトラウマとあいまいな記憶

 この時、優里被告自身はどのような状態なのか。大谷恭子弁護士は二審の裁判で次のように述べた。

「優里さんは浴槽閉じ込めを目撃したことによって、急性ストレスによる解離性健忘状態に陥った」

 そして、精神科医、元東京女子医大女性生涯健康センター所長、そして長年東京都女性相談センターの非常勤嘱託医でもあり、この事件の東京都の検証委員も務めた加茂登志子医師による意見書を引用して、大谷弁護士は次のように述べた。加茂氏は暴力を受けた女性たちへの医療の分野の第一人者だ。

「結愛さん発見時、優里さんには凍結反応(固まる反応)が優勢化した強い急性ストレス反応が生じた可能性が高い。(略)凍結反応とは、心身が過剰な緊張状態に陥る一方、そのストレスの大きさに耐えかねることから身体的・感情的苦痛をなくそうとするものである。凍結反応が生じると、人は苦痛を感じなくなり、まるで映画を見ているかのように、その出来事が他人に対して起きたもののような感覚を持つ」

「2月24日の浴槽閉じ込め事件は結愛さんが亡くなって以降も長期にわたって回想不能となっていた。しかし、回想不能であった期間、家庭用の小さな浴槽での入浴が何故かわからないが怖くてできない、という症状、すなわち恐怖の感情を伴う回避症状が継続して認められていた」「浴槽閉じ込め事件があまりに強いトラウマ体験であったがゆえに、ホットスポット化し、同時に解離性健忘に至ったためである。この状態はトラウマ精神医学上十分に説明可能であるばかりでなく、症状学的にはむしろ信憑性があり、説得力がある」としている。」

 加茂氏に改めてインタビューをした。

「優里さんが、自分の一審の裁判直前まで、必要な証拠を見ることができなかったのは、回避症状です。回避を破って記憶に触れていくことが、トラウマ治療の基本です。
 優里さんは雄大と結婚したころから時々小さなトラウマ反応や解離を起こしていた可能性がありますが、香川県にいた頃は、解離はそこまで強くありませんでした。雄大は仕事をしていましたから、結愛ちゃんに暴力が起きるのは、週末だけでした。2016年11月に腹部を蹴り上げたことなど(一審での精神科医の意見書で優里被告のPTSDの原因とされた)、時々、優里さんの解離症状やPTSDの根っこになる出来事はでていましたけれども。
 それが、2018年1月に優里さんが先に上京した雄大を追って、子どもを連れて東京に出てきてからは、トラウマ体験が重なるごとに彼女の解離症状はどんどん強まりました。。2月ごろのことは、記憶があいまいで時系列に並んでいない。
 2月には、ふたつの大きな事件が起きています。6日に雄大が結愛ちゃんの顔面を手拳で殴ってアザを作る。そして、24日の浴槽閉じ込め事件が最大でした。ところが、その後ずっとその記憶はない。一審の直前にようやく、証拠に上がっていた雄大とのLINEのやりとりを見て、結愛ちゃんが浴槽の中で倒れている様子を一枚の絵のよう思い出す。でも、それを弁護士には言えない。その後、雄大の公判での彼の証言が「卑怯」だと思い、ようやく弁護士に話す。さらにその後、『結愛へ』を書いている間に記憶が戻ってきたのです」

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