目黒虐待死事件 「最先端の医療が示す事実」と「司法が認める事実」の谷間を追う

文=杉山春
【この記事のキーワード】

司法に馴染まない「記憶の回復」

 『結愛へ』は、優里被告が逮捕後書いていた日記や、さらに事件について向き合って記した著作だ。二審の裁判で証拠申請したが、裁判所側は却下している。加茂医師は、この執筆そのものに治療効果があった、と言う。

「著作を書く前までは解離症状にとっぷりと浸かって、痛みも感じられなくなっていたわけですから。事実に直面したことで、現実感覚が戻ってきていたはずです。その前に、(一審で意見書を書いた)白川美也子医師が心理鑑定として治療的に聞き取りをしていますが、その効果もあったと思います。
 ストーリーが繋がってくると、トラウマとなった記憶は紐づけられて出てくるんです。ただ、今、優里さんは現実感覚が戻ってきているので、現実と向き合わなければならず、とても苦しい状態だと思います」

 優里被告は、逮捕後、『結愛へ』の印税を一部寄付した、DV被害者支援団体の女性ネットSaya-Sayaの代表理事、松本一子氏、白川美也子精神科医と面会し、DVの仕組みを学び、それを自分自身の体験と客観的に重ね合わせる心理教育を受けた上で、一審の裁判に臨んでいる。さらに、『結愛へ』を書くことで、事実に向き合えるようになってきた。

「ただ、雄大からのコントロールは、まだ抜けきっていないと思う。雄大への恐怖は無くなりましたが、まだ、怒りが出ていません。相手が怒りの対象になると、治ります」

 二審の法廷で優里被告が過呼吸と闘いながら証言したのは、PTSDと解離性障害を病みつつ、現実に直面しなければならなかったからでもあるのだ。加茂医師は言う。

 「家族に起きた、一番大きな事件は2月24日の浴槽閉じ込め事件です。優里さんは、この時の記憶が完全に飛んでいます。それ以降、記憶がつながっていない。浴槽に蹲っている結愛ちゃんを見た時、完全に死んでいると思ったのではないかと思います」

 確かに優里被告のその後の行動は、証言を聞いていてもチグハグだ。例えば、結愛ちゃんの腕に赤い斑点が出ていて、それが何かとネットで調べ、高齢者によく見られる栄養不足の斑点だとわかった。親としてみれば、重大な事態だとわかるのではないかと思われるが、それ以上の対応をしていない。

 一方、結愛ちゃんが亡くなる直前、自分が添い寝をしたことなどは思い出している。

「PTSDは一般的に言う記憶喪失とは違うので、記憶の一部は残っていることがあります」

 加茂医師によれば、優里被告は、医学的にはこの時、深い病理性を抱え、「最重症のストレス反応」を起こしていた。だが、その文脈を理解しない人たちには、それが優里被告の本来の能力であり、おかしな行為だと感じられ、人格の欠落にもみえる。

 加茂医師は、次のように言う。

「PTSDや解離性障害の実態は、司法が歴史的に作ってきた枠組みから外れてしまいます。
 重いDVや性被害を体験した人がこのクリニックに来ますが、そうした人たちの話は、わかりにくい。時間軸に従って話を組み立てられない場合もあります。その人に本当は何が起きていたのかを掴むのに、何年もかかる場合があります。トラウマ体験は累積して症状は重くなっていくので、長期反復的な暴力に晒された場合、そこからたとえ逃れることができたとしても、社会生活を送ることにとても大きな困難を抱えることになります。」

 加茂医師によれば、トラウマを抱えている患者たちは、最も重たいトラウマ体験を最後に思い出すと言う。一審では出てこなかった記憶が二審で出てくる。だが、そうした現実は、司法に馴染まない。既に紹介したように、雄大の裁判の判決では、この、結愛ちゃんの事件に関わる最も重い事件は、なかったこととして判断されている。

医学と司法で異なる「事実」

 家庭の中で何が起きていたのかは、今は、優里被告と雄大の記憶の中にしかない。だが、その記憶自体が、不鮮明だ。

 加茂医師によれば、2月24日の雄大の暴力、つまり結愛ちゃんは真冬の浴室で冷水をかけられて、その後少なくとも3時間、浴槽に閉じ込められて過ごしていたことにより、低体温症を引き起こした可能性があるという。翌日25日、結愛ちゃんはお腹が痛いから食べたくないと言って、その後、食事を受け付けなくなる。体重が急激に減った。それが、免疫力低下に繋がり、敗血症を引き起こし、死に至ったとも考えられるという。

 医学的に見れば、2月24日の事件は結愛ちゃんの死因に直結した可能性もあったのだ。しかも、優里被告はこの事件で重篤なPTSDを発症した。

 だが、一審の優里被告の判決文には、「被害児の衰弱の状況は明らかで、これを助けるために雄大による心理的影響を乗り越える契機があったと言うべきであるから、この点を被告人の責任を大幅に減じるほどの事情と見ることはできない」とある。

 PTSDやトラウマに関する精神医学の知見をもったとき、優里被告にとって、「被害児の衰弱の状況は明らか」だったとは言えない可能性がある。

 トラウマやPTSDについて世界的に研究が始まったのは、1970年代後半のベトナム戦争の帰還兵への対応からだとされる。日本社会でこの考え方が広まり始めるのは、1995年の阪神淡路大震災以降だ。まだ、十分に社会的に共有できていない新しい知見である。

 千葉大学大学院社会科学研究院教授(刑事法)の後藤弘子氏は次のように言う。

「人は自分の行動を自分の意思でコントロールができるということが、そもそもの基本的な近代法の考え方です。被告人はやってはいけないことを分かったうえで、自由意思によって選択したので、そのことを非難するというのが、近代刑事司法の仕組みです。
 統合失調症で「殺せ」と言う幻聴が聞こえてきて、逃れられず殺してしまったということであれば、責任能力がないと判断されます。その場合は、そもそも起訴されません。起訴されたということは、責任能力があると判断されたことになります。PTSDでも、日常生活はできていて、斑に記憶がない状態だと、司法はその人に残っている健康な部分を取り上げて判断する。
 PTSDが司法で取り上げられるのは、被害者であるケースです。加害者がPTSDを理由に罪が軽減されるという裁判例はそんなに多くありません。DVの被害者という側面があっても、意思をもっている人間は、自分の行動をコントロールできるという考え方が大前提ですから、裁判所が被告人の責任能力との関係でPTSDを取り上げることは難しいです。弁護士側は裁判所が『なるほど』と思う証拠を提出しなければいけない。
 一審の判決では、優里被告はDVで支配とコントロールをされていたということは認めましたが、「最終的には、自らの意思に基づき、雄大の指示を受け入れた上で、これに従っていたと評価するのが相当である」としていた。責任能力が減退しているとは言いませんでした。 
 医学的な判断に基づく事実と、裁判が認定する事実の間には溝があります。
 刑事裁判は事件を調査するわけではありません。検察側の言い分が合理的かを弁護側の言い分と照らし合わせて判断するところです。弁護士は法廷で、世の中のPTSDについての理解はこうなっていますから、その考え方に基づいて、判断してくださいと言い続けないといけない。この人のPTSDはこんなふうに重いので、取り調べは、その点を考慮して欲しいと言わなければならない。そうでなければ、刑事司法は、その人が意思決定に問題がない人として扱い、その言葉通りに判断します。法的判断が、精神医学のメインストリームの判断に基づく事実と違ってなぜ悪いと言うことになります」

「医学的な判断に基づく鑑定書が必要だと考える弁護士はそんなに多くありません。国選弁護士の場合、自白事件ではほとんど何もしない場合も少なくない。裁判所が鑑定書を証拠として取り上げ医学的な事実に沿って判断するようと説得するには、一つの事件で弁護士が頑張るだけでは難しいと思います。
 裁判所も責任能力や因果関係の判断に関して、科学的な知見を重視するようにならなければならない。しかも、ジェンダー視点も不可欠です。そのためには、欧米のアミカス・キュリエのように、刑事裁判に「正義を実現したい」という人たちが意見を述べるという形でかかわれる制度も必要かもしれません。しかし、日本では刑事裁判は判決も一部しか公開されないし、証拠も公共財になっていません。」

「このまま行くと刑事司法は社会の進歩から取り残される、ということになるかもしれない。もっとも、司法精神医学会でも、PTSDと責任能力について、しかもジェンダーの視点から説得的な鑑定書が書ける医師はあまり多くありません。
 日本の刑法は、1907年(明治40年)4月に公布され、翌年10月に施行された。規範違反に刑罰を科すという枠組みが基本です。医学会も法曹界も、未だに19世紀型の近代自己決定中心主義の人間観から抜け出せないのではないか。
 人を殺すと言うことはトラウマチックなことです。加害者は、人を殺した時の記憶がないという研究もある。記憶がないのに、自白させられる。トラウマがどのように人の記憶に影響するのか。規範違反を中心とする刑法では余計なこととなります。
 医学判断に基づく事実と司法判断に基づく事実の間の溝が深くなった時に、一番損をするのが被告人です。医学的知見の一部だけをつまみ食いされて、司法に、「人にはすべての行為を自己決定しており、記憶があるはずだ、あなたはこういうことができたはずなんだから、責任を取りなさい」と言われても、被告人は自分がやったことが何だったのか確認できないだろう。だが、医学的知見にしたがって、その時、自分がどういう状態だったのかをきちんと知らせてもらえれば、記憶がないことの理由も理解できるようになります」

社会はDVと虐待死にどう向き合うか

 雄大は、自分自身の裁判の最終陳述で、前に組んだ手でお腹を押さえ、前屈みになり、弱々しく、泣きながら「本当に申し訳ありませんでした」と詫びた。深く悔いていると思わせられた。すでに述べたように、懲役13年の判決に、控訴せず服役した。

 刑務所に移送される前、優里被告の代理人を務めている大谷弁護士は拘置所で雄大に面会した。もし、雄大が心から反省しているのであれば、優里被告がどのような暴力を目撃したのか、証言してほしいと考えていた。

 拘置所の面会室に顔を見せた雄大はその依頼を断ったそうだ。雄大は大谷弁護士に「離婚しろと言ったのか、何で裁判を分離した。天皇の口にも上るような大事件なのだ、自分と一緒に戦わなかったら負けるに決まってる、あの子は話しができない、自分なら話せた、ベテランに見えるがこんな大事件はやったことがないんだろう」と言ったそうだ。雄大は、自分の言うとおりに一緒に裁判をやっていれば有利になったはずだと、優里被告を弁護する弁護士を見下し、今なお自分が、優里被告をコントロールできると信じているのだろうか。

 「最先端の医療が示す事実」と「司法が認める事実」の谷間で、本当は何が起きていたのかをリアルに知ることは、被告人が自分を知るために必要であるだけでなく、社会がDVと虐待死のリアルに向き合うためにも必要なのではないだろうか。

1 2

「目黒虐待死事件 「最先端の医療が示す事実」と「司法が認める事実」の谷間を追う」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。