『サイコだけど大丈夫』が見せてくれた希望——精神疾患をポジティブに描く意味とは

文=みたらし加奈
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みたらし加奈

——LGBTQ+、フェミニズム、家族・友人・同僚との人間関係etc.…悩める若者たちの心にSNSを通して寄り添う臨床心理士が伝えたい、こころの話。

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 この夏、私はある1つのドラマに釘付けになってしまっていた。タイトルは『サイコだけど大丈夫』。Netflixで放送されている韓国ドラマである。

 きっかけは、パートナーからの「ヒロインの性格が、加奈ちゃんにそっくりだから見て欲しい!」という強い推薦だった。実際に見てみた結果、(似ているかどうかはわからなかったものの)精神科病棟を舞台にしたこの作品にどっぷりハマってしまった。

 まだ本作を見ていない方に、簡単にあらすじを説明するとこうである(なお、この記事はネタバレを含んでいないので、最後まで読んでもらえたら嬉しい)。

『サイコだけど大丈夫 | 公式予告編 | Netflix』( Netflix Japan YouTube公式チャンネルより)

ーー孤独を抱えた人気童話作家コ・ムニョンと、精神科保護司として働きながら自閉症スペクトラム症の兄と暮らしているムン・ガンテ。辛く苦しいトラウマを抱えた2人が、さまざまな「傷付き」を抱えた人々と出会って人生を振り返り、そしてそれぞれが抱える「トラウマ」と向き合っていく。ーー

 本作は1話目からムニョンとガンテの恋愛模様を追ってはいるものの、単なる「ラヴストーリー」ではない。すべてのストーリーに「あなたは独りじゃない。私たちは必ず誰かとつながっている」というメッセージが詰め込まれていて、「お守り」のような温かさと安心感を残してくれた。

 「The Asahi Shimbun GLOBE+」が掲載している(元記事は東亜日報)パク・シヌ監督のインタビューで、監督は「ムニョンの奇妙さがむしろ魅力的に、ガンテの平凡さがむしろ特別に、サンテ(兄)の病気はむしろ愛しく感じられるように作った」と語っている。この言葉についても、首を縦に振らずにはいられない。

精神疾患を都合よく利用せず、きちんと描いている

 私たちは日常の中で、社会の規範や偏見によってきつく縛られていて、そこに息苦しさを覚えることがあると思う。全ての人にそれぞれの唯一無二の特性があって、性格や性別やセクシュアリティ……その中には「精神疾患」が含まれることだってあるだろう。自分の所属する集団の中で外れてしまった時、誰かに攻撃性を向けられることもある。

 しかしながら、たとえどんな特性を持っていたとしても(あるいは通常“あるべき”とされてしまうような性質を持っていなくても)、私たちは魅力的で特別で、愛しい存在なのだ。どんなに自分が「孤独だ」と感じていたとしても、実は誰かに支えられているかもしれない。

 また、支えられていなかったとしても、自分の考え方次第では「つながり」は持てるようになる。その「つながり」こそが“痛み”から解放される鍵になる時だってある。それを押し付けがましくなく、優しく教えてくれた気がした。

 本作品に対する思いはいくつもあるものの、私がもっとも感動したのは「メンタルヘルスについて丁寧に触れている」という部分である。ドラマには、精神疾患に関する専門用語が散りばめられており、その一つひとつがテロップで説明されているのだ。

 ストーリーの中でも精神疾患というものが“利用”されすぎず、きちんと理解を踏まえた上で描かれている。「ドラマ」という1つの世界観の中で、彼らが遭遇する偏見や、自分との葛藤が本当に丁寧に描かれていた。

 実際に精神科で働いていた身としては「わかる〜」「そうだよね〜」と共感することも多かった。ガンテの保護司という職業は、日本では「犯罪をした者の改善及び更生を助けるとともに、犯罪の予防のため世論の啓発に努め、もつて地域社会の浄化をはかり、個人及び公共の福祉に寄与することを、その使命とする」(全国保護司連盟の解説より)職務で、基本的には犯罪や非行のスペシャリストとして活躍している。なので、例えばそういった医療チームの構成についても、韓国と日本の精神科医療の違いという面で大変勉強になる作品でもあった。

精神疾患をテーマにしたラブストーリーの難しさ

 個人的な感覚ではあるが、日本で「精神疾患」がテーマとされているラブストーリーは少ないように感じる。近年、メンタルヘルスそのものがテーマとなっている作品はちらほら見かけるようにはなってきているものの、「2人の人間が出会い、恋に落ち、そしてともに人生を歩んでいく」というドラマの中で、直接的にメンタルヘルスが関わっていく展開はどうしてもネガティブな要素を含みやすい。仮にそういったストーリーがあったとしても、2人で崩れ落ちていくように悲しい結末を迎えてしまったり、結果的に離別してしまうような話の流れになりやすいのだ。

 『サイコだけど大丈夫』の新しさとは、その人の日常の中に「精神疾患」が溶け込んではいるものの、周りのサポーティブな姿勢によって「自分の人生」に向き合い、そして愛について知っていくという過程である。「精神疾患」というものをネガティブな要素として捉えるのではなく、自分の人生の一部であることや、その人の「魅力」につながるものとして扱っている。そこに専門的な知識が加わりながらも、“エンタメ作品”としての姿勢が崩れないところも革新的だった。

 日本と韓国における自殺率の高さは大きな社会問題であり、同時に、共に精神疾患への偏見も多い国だと感じている。その事実に対して、どんなに心の専門家が「専門機関に行きましょう!」と伝え続けたとしても、「精神疾患への偏見」を解かない限り、当事者が専門機関に行くことは難しい。ましてや家族に偏見がある場合、精神科やカウンセリングに通うことを否定されてしまう恐れだってある。それでも私は、「専門機関にいこう!」と伝え続けていきたいと思ってはいるが、やはりエンタメの力は偉大なのだ。

 韓国がこういった形で「精神疾患」に触れるドラマを制作してくれたことは、私にとっても希望の1つとなった。現在『サイコだけど大丈夫』は、Netflixのなかで人気ランキングの上位に入るくらい、日本国内でも熱狂的なファンを増やし続けている。きっとその中には自分自身のしんどさと向き合い、1歩を踏み出そうと感じた視聴者だっているはずだ。

 私たちはいつ、どのようなタイミングで心のバランスを崩してしまうかわからない。「うつ病」に偏見があったとしても、自分自身がうつ病になってしまうことだってある。1番危険なことは、自分自身が「うつ病かもしれない」と理解できないまま、専門機関にかからず、結果的に症状が重くなってしまうことだ。身体の病気にかかった時には抵抗なく病院に行けるのに、心の病を患った時には簡単に病院に行くことのできない現状を、私は変えていきたい。私たちが思っている以上に、私たちの「人生」には“メンタルヘルス”が密接に関わっている。例え自分が精神疾患にならなかったとしても、自分の家族や大切な人が問題を抱えてしまうことだって大いにあり得るのだ。

 本作品だけではなく、海外の作品には「精神疾患」をテーマにしたポジティブなフィクションは山ほどある。そして現代の利点は、そういった作品に簡単にアクセスできること。もしもあなたの周りの人が精神疾患について偏見を持っていそうなのであれば、まずはそういったテーマのドラマや映画を一緒に見てみて欲しい。その上で、「自分がかかってしまったら」「相手がそうだったら」というシチュエーションについて対話することも大切だと感じている。

 上にも書いたように、私たちはいつどこで、自分の心の健康を保っていられるか分からない。私たちが「からだの病気」を予測することが不可能なように、心だって病気を患う時もある。外に出るのが億劫になって家に閉じこもってしまった、なんとなく気持ちの浮き沈みが出てしまうようになった、無理なダイエットをするようになった、人目が異様に気になるようになってしまった……症状の出方は人それぞれ様々だ。

 新型コロナウイルスの影響によって「普段なら我慢できることもできなくなってしまった」人だっていれば、死にたい気持ちが浮かんでしまう人だっているだろう。そんなふうに自分の「負の感情」をコントロールできなくなってしまった時には、第三者や専門機関の存在が必要になる。誰だって。だからこそ、「精神疾患」というテーマを自分と切り離して考えてしまうのではなく、当事者意識を持って触れてもらえたら嬉しく思う。

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