ジェンダー学習会に来る「ジェンダーのことはよく分からないけど」という人たち

文=遠藤まめた
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 先週末、久しぶりにオンラインではない講演会に呼んでいただいた。主催は日本共産党千葉県委員会のジェンダー平等チームで、年代も性別もさまざまな60名ほどの参加があった。

 履歴書の性別欄廃止について質疑応答で尋ねられたので、男女雇用機会均等法の話をした。他に、昨年流行語大賞をとった「#KuToo」の話とか(ここずっと講演のたびに話題にあげている)、経団連の役員がみんな男性なのはおかしいという話を地元の政治家の方とディスカッションした。

 日本共産党が、党をあげてジェンダー平等を推進することを決めたことによって、日本各地で、これまで性差別に関心のなかった人たち、特に中高年男性がジェンダーについて関心をもつようになっている。たとえそれが「よくわからない」という戸惑いの声であったとしても、一緒に集まって知り合いどうしが語り合えることは大切なことで、政党が地域の中でその役割を果たしていることの意味は大きい。私は特定の政党を支持しているわけではないが、政党が支持者たちと一緒に勉強していこうという姿勢は素敵だと思うし、他の政党でも同様の試みがあってほしいと思う。

 この間、トランスの権利をめぐっては、女性の権利をおびやかすものだという主張をしている人たちがおり、その中にはトランスジェンダーの生活実態を省みないものも残念ながら多くみられる。先日はWANにトランスジェンダーを排除するエッセイが掲載されたので、その批判記事を書いた。

 トランスジェンダーの存在は女性差別を正当化するものではないし、強化するものでもないのだが、そのような主張が100回されれば、そう信じてしまう人も出てくる。しかし実際には少なくないトランスが性差別に反対し、フェミニズム運動に加わり、これまでも女性差別に反対する声をあげてきた。先週末のイベントはそのひとつにすぎない。

 DVや性暴力被害の現場で働くトランスたちを知っている。年始にひらかれた医学部不正入試に抗議する国会議員会館での集会で私はタイムキーパーをしていたが、このような女性差別に関する集会にはこれまでにも少なからずトランスやクィアの人たちがいた。同じ属性やバックグラウンドだから共感し、わかりあえるのではない。ちがうバックグランドを持っていても話が通じたり、一緒に問題解決したいと考えたり、フェミニズム運動を前に進めることはできる。

 先にあげた共産党のイベントでは 、自分ごととして性差別のことを考えるために勉強会の主催側になったという男の子が閉会のあいさつをしていた。医学部不正入試の院内集会でも、現役の医学部の男子学生ふたりがわざわざ遠方から来てスピーチをしていた。LGBTQ当事者じゃなくても、差別をなくすために一緒に考えてくれる人は増えている。以前、よっぱらって「同性愛者は異常動物だ」とツイートして炎上した議員を排出してしまった海老名市では平均年齢70代の市民グループが学習会を企画してくれた。よくわからないからほっておくのではなく、よくわからないから勉強しようとしていた。このような場をあちこちで作ることが世の中を良くしていくと信じている。

 差別について人々が語る場所がオンラインに移行してから、ひとつの失言は謝罪しても許されることがなく、それが5年前のものでも10年前のものでもひっぱりだされることが当たり前の光景になってしまった。人が変わることを前提としていない反差別運動は、いずれ行き止まる。私たちには代替になるものが必要だが、インターネットを使いこなしている人たちほど案外それが苦手なのかもしれない。ハッシュタグは断絶も生んでいる。 

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