
GettyImagesより
美容院で渡された女性誌「VERY」(光文社)をパラパラめくっていたとき、「we should all be feminist(みんなフェミニストじゃなきゃ)」と書かれたTシャツを着たひとりの女性が目に止まりました。
「VERY」というと、セレブな主婦層に人気がある保守色強めの雑誌だと思っていた私は、フェミニストを自称する女性が一面を飾っていることに、少しの驚きと嬉しさを感じたものです。
家に帰ってからその女性についてググったところ、その女性は、申真衣さん(通称シンマイ)といって、企業の役員を務めるかたわら、「VERY」の専属モデルも勤めているということでした。
フェミニストを公言することについて、「VERY」のウェブサイト上で「サポートしたいと思っているから、安心して話してね、というメッセージです。年下の女性に対して勇気づけたいという気持ち」と語っている様子も拝読し、フェミニズムを支持している私としては「わーい。時代が変わりつつあるっぽいー」と嬉しくなったものです。
ところがつい先日、「VERY」公式サイトに転載された、シンマイさんとアーティストのスプツニ子!さんによる対談記事が炎上し、公開後すぐに記事が取り下げられる、という事件がありました。
シンマイさんが、アメリカで代理母出産するセレブがいることをとりあげ、<費用的にはなかなか手軽にはならないのだと思いますが、選択肢が増えることは良いことだと思います>と述べると、スプツニ子!さんが<そもそも男性って女性のパートナーに産んでもらって、親として認められているのに、女性だけが自分で産まないと認められない、なんておかしいですよね。大事なのは子どもに愛を注ぐことではないでしょうか>と応えたくだりが、特に厳しい批判を集めました。
スプツニ子!さんは、医学部入試において女性の受験者だけ不当に減点されていた事件を取り上げてアート活動を行うなど、女性差別を許さないという姿勢の方です。シンマイさんもスプツニ子!さんも、女性差別をなくそうとするパワフルで発言力のある女性であり、その姿が一般の女性たちをエンパワーしている側面もあるでしょう。
しかし、彼女たちの対談での発言は、多くのフェミニストから問題視されました。生殖のタイムリミットが女性を制限していることは確かで、女性だけが否応なくキャリアを途切れさせることの不公平はわかります。ただ、パワーのある女性として「代理母」という選択肢を語り合う彼女たちには、「代理母となる女性」も自分と同じ女性であり人間であるという視点が欠けているように見えたからです。
「代理母となる女性」とは誰か? 現状、貧困国の若い女性たちです。貧困女性のために富裕層の女性やキャリアウーマンが代理母となることは、まずありません。
フェミニズムとはなにか。問題は性差別と家父長制
ところで、「フェミニズム」って誤解されがちな言葉ですよね。よく誤解されるのは、フェミニズムは男性嫌悪であるとか、フェミニストは男性嫌いの女性であるとかいうものです。
これはちょっと考えれば間違いであることがわかります。元アメリカ大統領のオバマさんや、カナダ首相のトルドーさんなど、男性であってもフェミニストを自称し、国政に取り入れようとする人もいます。フェミニズムは女性のためだけの思想ではありません。
私は、フェミニストとは「性別による差別をなくそうとする人」であり、「自分の中の性差別意識に敏感であり、変えてゆこうとする人」だと思います。
ベル・フックス著『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』(堀田碧訳・エトセトラブックス)では、フェミニズムの定義がよりわかりやすく解説されています。
<フェミニズムとは、性にもとづく差別や搾取や抑圧をなくす運動のこと>(P.8)
ベル・フックスは、私たちはみな男であれ女であれ、生まれてからずっと性差別的な考えや行動を受け入れるように社会化されているのだから、男女関係なく性差別的でありうるとし、「問題は男性ではなく、性差別であり家父長制(制度化された性差別の別の呼び方)である」と繰り返し述べています。
家父長制という言葉には父という漢字が入っているために、男性だけの問題であるように誤解されています。しかし家父長主義的な考え方とは、<力のある者はないものを支配する権利があり、そのためにどんな手段でも使えるとする支配の論理>(P.118)であるため、女性が家父長主義的になることも十分ありえるのです。
実際、家父長制が温存されている背景には、女親も家父長制を疑問視しておらず、家父長的な価値観を子どもに受け継がせている、という側面は否定できません。
炎上したVERY対談。何が問題なのか
もう一度、「VERY」の炎上に話を戻しましょう。
シンマイさんは、「選択肢が増えることは良いこと」と述べていますが、そこには、「権力・資金のあるものが代理母を利用するという選択肢が増える」という視点しかなく、「貧しい女性たちが、生活のために自分の体・子宮を売らなければならない、という“選択肢”が増える」という視点が抜け落ちています。
シンマイさんもスプツニ子!さんも、自分たちが代理母になるという選択を考えたことは、ないのではないでしょうか。実際、おふたりのような経済力があれば、「代理母になるなんてありえない」ことでしょう。その格差こそが、問題視されています。
経済力の差を利用して、他者の体を利用すること。これは、「権力を持つものが、弱いものを支配・搾取する」という家父長制主義的な考え以外のなにものでもありません。
今現在、日本では代理母という選択のリアリティが薄く、女性が代理母になる可能性を考えることもほとんどないと思います。けれど何かの拍子にガラッと世の中は変わるものです。今後、代理母ビジネスが日本で横行しないとも限りません。
日本の女性たちが今よりもっと貧しくなって、経済成長を果たした新たな富裕国のセレブたちが、日本の若い女性を「代理母」として雇う時代。あり得ないとは、言い切れないですよね。そもそもすでに日本の女性の貧困は深刻で、シングルマザーのふたりにひとりは貧困ライン以下の収入しか得られていません。
自分の子どもを養っていくため、また自分自身が生き延びるために、文字通り体を売らなければならないかもしれない。これを、「選択肢が増えるのは良いこと」の一言で片付けてよいものでしょうか?
スプツニ子!さんの<女性だけが自分で産まないと(親として)認められない、なんておかしいですよね。大事なのは子どもに愛を注ぐこと>という意見には同意します。たとえば、養子やステップファミリーなど、自分が産んでいない場合であっても、親として認められることは重要です。しかし、だからといって「他の女性の体、命、尊厳をお金で買っていい」ということにはならないと思うのです。
フェミニズムは「搾取と権力による支配にあらがう、すべての人のためのもの」
私自身、自分ではない誰か他のひとが産んでくれたらいいな、とか、男性は産まなくても親になれるからいいな、と思うことはあります。だって、出産ってめちゃめちゃ痛そうだし、命をかけてするものですよね。怖すぎます。「こんなに科学が発達しているのに、出産だけ原始的すぎるのおかしくない?」とも感じます。
ですが、じゃあ、「貧乏人に産ませよう」とはなりません。表現が直接的すぎるかもしれませんが、でも、そういうことですよね。お金持ちは絶対に代理母にはならないので。
シンマイさんの「年下の女性を勇気付けたい」というフェミニスト宣言や、スプツニ子!さんの医学部入試女性差別に対しユーモアを交えて問題視し世界に問う姿には、私自身、勇気をもらいました。
女性差別を許さないと示すこと。これはとても大切なことです。影響力のある女性の発信は、多くの人を勇気付けます。
しかし、フェミニズムは「女性差別を許さない」だけのものではありません。女性差別を許さないことだけを目標とし、男性を加害者、女性を被害者として固定してしまうことは、現実に即していません。当然ながら、女性が性差別をすること、権力を用いて他者を支配することだってあれば、男性が家父長制に苦しめられることも少なくありません。
<力のある者はないものを支配する権利があり、そのためにどんな手段でも使えるとする支配の論理>(P.118)こそが問題であり、フェミニズムは「搾取と権力による支配にあらがう、すべての人のためのもの」なのです。
僭越ながら、シンマイさん、スプツニ子!さんには、フェミニズムが一部の特権的女性のためだけではなく、性別、社会的階級、セクシャリティを超え、すべての人に資する思想であることことなどを学び、考え、その影響力を、分断ではなく連帯のために使っていただけたら…すごく、いいなと思います。
そのためのテキストとして、『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』は、最適な一冊です。ぜひ、ご一読を。
(原宿なつき)