2020年6月に東京都大田区で起こった、3歳女児の放置死事件。娘を自宅に閉じ込めたまま何日間も家を開けていた母親が、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された。その後の報道では、虐待の連鎖なども明らかになっている。
虐待や育児放棄により幼い命が失われる事件は、今になって始まったことではなく、「鬼畜母」などと責め立てたところで、誰も救われはしない。倫理や規範だけでなんとかなるようなことではないはずだ。
日本では、妊娠・出産・育児は家庭の問題とされ、特に母親となる女性に丸投げされていないだろうか。「ワンオペ育児」に奮闘する女性も決して少なくはない。また、女性が妊娠を誰にも相談できず、たった一人で産み落とし、育てられず赤ちゃんを死なせてしまうケースもある。そして罪に問われるのは女性だ。
監視と管理の是非は議論になるところだろうが、スウェーデンでは妊娠・出産・育児まですべて無料で、行政の継続的な支援があるという。前編に続き、大阪大学言語文化研究科の高橋美恵子氏に、同国の性教育について聞いた。
高橋美恵子(たかはし・みえこ)
大阪大学大学院 言語文化研究科 教授。ストックホルム大学大学院 社会学研究科修了(Ph.D.)。スウェーデン社会、家族政策、ジェンダー平等、ワーク・ライフ・バランスなどに詳しい。
日常の教科の中で性教育をする
ーースウェーデンというと「フリーセックスの国」というイメージを持つ世代もいると思います。
高橋:自由奔放で全てフリー、ということではありません。お互いの意思確認があれば、結婚する前にそういう関係になっても、それは個人の自由だという意味のフリーです。そういう感覚が60年代以降、すでにありました。そうなると早い段階で性教育をしなければいけない。男の子は相手を妊娠させてしまうかもしれない、女の子は望まない妊娠をしてしまうかもしれない、そうした事態を予防する必要があるので、きちんと教えないといけないという流れになりました。ですからスウェーデンでは性教育をすごくしっかりしていて、子どもたちも知識を持っています。
――日本では早期の性教育に反対する声が根強いです。東京では2003年、日野市の都立七生養護学校(現在は都立七生特別支援学校)で行われていた性教育を都議会が問題視し、都教委が授業に使用されていた教材を没収、校長への懲戒処分や教員への厳重注意処分を下すという“事件”がありました。2018年にも、都教委は足立区の中学校が「性交」「避妊」「中絶」について授業で扱ったことを問題視しています。スウェーデンの性教育は、どのようなことを教えるのですか。
高橋:スウェーデンでは「性交」「避妊」「中絶」についても扱いますし、イベント等で若者にコンドームが無料で配られることもあります。でも避妊の手段としてコンドームの割合は高くはなく、女の子はピルや子宮内避妊具を使用します。ピルが最も一般的で、20歳までは無料です。
ーー性教育は男女一緒に受けるんですか?
高橋:一緒に受けます。日本も学校によって色々だとは思いますが、私が日本で受けた性教育は、体育館に女子ばかりが集められて、生理や妊娠の話を聞いて、その間、男子は外でサッカーかなんかをしていたんですよね。スウェーデンでは「今日この日に性教育をやりましょう」ではなくて、日常の教科の中で「性とパートナー関係」について学びます。主に理科系の授業で扱いますが、社会科系や道徳、保健といった科目でも学ぶようです。
ーー女性にしか生理や妊娠について教えないとなると、女だけが負担を負うべきもののように感じられます。男性にももっと、性交に伴う妊娠などのリスクについて当事者意識を持って欲しいですね。
高橋:性交に関していえば、スウェーデンでは2018年7月に世界で初めてお互いの意思確認がない性的関係が犯罪になりました。例えば、女の子が酔っぱらっていて、そのまま雰囲気で関係を持ってしまうことがあるとします。それを女の子がよしとするならいいのですが、意思確認できていなかった場合は、相手を訴えることができます。
恋人関係でもこの法律は適用されるので、「付き合っている者同士で、雰囲気がよくなってもう一度確認するのは恥ずかしいよね」という話もあります。
ーー性的同意については、パトリック・ハーラン氏に取材したことがありますが、彼は「確認することがカッコイイ、大人だ、という常識を作っていけばいい」と言っていました。まずは映画やドラマ、小説でそういうシーンがどんどん出てくるようになれば、それが当然という社会になるだろうとのこと。性についてもオープンでイーブンな社会になればいいと思います。
「女性が社会進出すると出生率が下がる」とは言わせない
ーー日本の出生率は年々減少する一方で、2019年の出生数は前年より5万3,166人少ない86万5,234人。1899年の調査開始以来、最低となりました。2020年上半期の出生数も43万709人で、前年同期比で8824人減です。スウェーデンの出生率はどうなのでしょうか。
高橋:2019年、日本の出生率は1.36ですが、スウェーデンは1.70ですね。1980年代くらいには一般的に「女性が社会進出すると出生率が下がる」と言われていましたが、そう言っていた人口学者たちを震撼させたのがスウェーデンなんです。
スウェーデンは1970年代に世界でもいち早く共働き社会になりました。もともと共産圏の中国や当時のソ連も共働き社会なのですが、資本主義社会の西側諸国で「うちの国は共働きモデルにします」と声を挙げたのは、スウェーデンが初めてでした。
ーーそのような動きになったのはなぜでしょうか?
高橋:社会の風がどの方向に向いているかを察知して、国益のための選択をした、と言えると思います。スウェーデンには環境問題で有名になったグレタ・トゥーンベリさんのように、国民が要望を声に出す社会の土壌があります。それに共感した人が集まって波を作り、それがうねりとなって大きな活動になっていきます。男女平等を目指す運動なども大きなうねりになって、その声を聞かざるを得ない状況になりました。重要なのは、ちゃんと人々の声を聞いてくれる政治家がいつの時代にもいることです。
ーースウェーデンも昔は豊かな国ではありませんでしたよね。
高橋:100年前のスウェーデンは、ヨーロッパで1、2を争う貧困国でした。フィンランドの次に貧しかったと言われています。北の果てで寒く、土壌も豊かではない。貧しい中で社会運動や労働運動が起こりました。ブルジョア階級出身の政治家もたくさんいましたが、庶民の声を聞いて福祉国家を作り上げたと言えます。
福祉国家ですから、税金は高いです。1930〜40年代からスウェーデンは、完全雇用政策を始めました。国民に能力向上と労働を求める理念のもと、積極的に就職機会を拡大していったのです。これは国民を自分の足で立って税金を払う個人に育てることが最終目標でした。
国が豊かになり始めたのは、1950年代の終わり頃からですね。スウェーデンは第二次世界大戦は中立を守って参戦していないので、戦後、他の国々が疲弊しているときに、鉄鋼や木材といった天然資源を活用し、機械産業等で経済的に力を伸ばしていきました。
そうした中で、労働者の環境整備に加え、子どもを持つ労働者に対する支援も充実させていったんです。
1939年には「結婚・出産を理由にした女性の解雇を禁止」、1970年代には男性も対象とした「親休暇制度」を導入しました。現在は、最低1年は両親が仕事を休みます。ですから0歳児保育はスウェーデンにはありません。インタビュー調査をしていて一番多いのは、最初の1年を女性が休暇を取り、後半の半年を男性が取るというもの。合計1年半、自宅で子どもを見ます。これが社会規範になってきていますね。自治体は子どもを受け入れる席を絶対に設けなければいけないので、待機児童はいません。
ただし、皆が望む保育所に入れるとは限りません。家から遠いかもしれないし、上の子と下の子が違う保育所ということもあり得ます。
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