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女性たちを並べて、「誰が一番綺麗? かわいい? タイプ? セクシー?」と比較する行為、ランクづけする行為、そのランキングを見る行為を、快楽に感じる人は少なくないようです。
たとえば「世界でもっとも美しい顔」というランキングは、ある男性が勝手に発表しているものなのに、なぜかしばしば記事化され、拡散されます。当然、勝手にジャッジされる側にとっては有難い現象ではありません。2020年6月には、モデルの水原希子さんが、「2020年にこんなことやってるなんて狂ってる。(略)勝手にノミネートされて勝手にジャッジされている方にも失礼だし自分が知らない間にルッキズムの助長に加わってしまっているのかもしれないと思うと困る」と、批判しました。
「勝手にルックスをジャッジされる」。これほど不快なことはありませんよね。では、自ら望んでジャッジされにいっている場合はどうでしょうか?
「ルックスで順位づけされる」ための手っ取り早い方法としては、ミスコンへの参加が挙げられます。ミスコンの候補者たちは自らの意思で参加しているのだから、「ルックスでジャッジされて不快だ」と思うことはないでしょう。ジャッジされたい側としたい側、それを娯楽にしてお金にしたい側がいるのだから、一見すると何の問題もない構図です。
しかし近年、大学ミスコンについては、廃止を決定する大学も出てきています。ミスコンが大学の理念と一致しないと判断したことを発表した大学もありますし、大学によってはミスコンが不祥事の温床となったところもあります。
ミスコンに出場するということは、実質、容姿を比較されてランク付けされることを意味します。ミスコンでは、特技や将来の夢などを語ることもありますし、世界四大ミスコン(『ミス・ワールド』『ミス・ユニバース』『ミス・アース』『ミス・インターナショナル』)でも建前上は、「知性と美を兼ね備えた女性を選ぶ」ことにはなっていたりしますが、実質は美人コンテストにほかなりません。そのため、ミスコンで優勝した女性は、「この人が優勝者? もっと綺麗な人は他にいたのに」などと品評されることもしばしばあります。
繰り返される慶應大学ミスコンでの不祥事。セクハラ・性犯罪が明るみに
近年もっとも不祥事が目立っているのは、慶應義塾大学で行われているミスコンでしょう。
慶應大学で行われるミスコンは、元フジテレビの中野美奈子さんや、元TBSの青木裕子さんなど、数々の人気アナウンサーを輩出していることから、「女子アナの登竜門」とも言われています。
しかし慶應大学の不祥事からは、大学のミスコンに参加することは、容姿を貶されたりすること以上のリスクがあることが伺えます。
近年、慶應大学のミスコンでは、以下のような事件が、立て続けに明るみになっています。
・2009年、主催団体の広告学研究会に所属する男子学生数人が東急東横線日吉駅内を全裸で疾走し、公然わいせつの疑いで書類送検された。
・2016年、広告学研究会のメンバーが女子学生に飲酒を強制し、集団強姦した。(事件後、女子学生が被害届を出し、男子学生3名は無期停学処分、ミスコンは中止になった)
・2019年9月、ファイナリストの女子学生が、ミスコンのプロデューサー(40代の男性)に、無理やり頰にキスされたり、スカートの上からお尻を触られたり、「ラウンジ嬢ごっこしよう」と囁かれたりしたことを告発した。(※1)
被害にあった女性全員が告発する勇気を持てたとは考えにくいため、これらの被害は氷山の一角であり、ミスコンがセクハラや性犯罪の温床になっていると考えられます。
かつて、ミスコンは、女性を「単なる性の対象」として見るコンテストだった。今は?
ミスコンがなぜセクハラや性犯罪と親和性が高いのか、それは、ミスコン自体に「女性を性の対象として見る」コンテストだ、という側面があるからです。
『ジェンダーとセクシュアリティ 現代社会に育つまなざし』(大越愛子・倉橋耕平編集 昭和堂)では、ミスコンの問題点と、ミスコンがフェミニストから批判されてきた理由を以下のように総括しています。
<多くのフェミニズムは美人コンテストに反対をしていた。それは、美人コンテストが、女性を『性の対象』として見るだけで、感情や知性を持った個人の存在として見てこなかったからだ。そこでは男性が要求する『美』だけが求められていた。もちろん、『白人』の体だけが重視され、黒人やアジア人などの『カラード』の美は無視されていた。」(※2)当時(引用者註:1960~70年代)のミスコンテストでは男性から見た「性の対象」としての女性だけが存在し、白人だけが肯定されていた。白人社会の中では黒人・アジア人など「カラード」が「美」の枠組みの中に入ることはなかった。「美の問題」は女性の問題だけではなく、民族や階級問題など、他の問題も含んでいたのだった。>(P.64)
つまり、かつての欧米のミスコンは、女性を「性の対象」としてランク付けするだけではなく、権力者であった白人の美を絶対的なものとし、それ以外のマイノリティ(黒人やアジア人)を劣ったものだとする政治的たくらみをも含むものだった、というわけです。
日本の大学で行われているミスコンの場合、アジア人だらけですから、アジア人が劣った存在として下位に位置付けられることはありません。ですが、依然として、「単なる性の対象として見る」機能は残っています。
ミスコンのプロデューサーである40代男性がファイナリストである女子学生に対し際どいセクハラをしたという事件について「なんでそんなことができたのか」と常識を持った大人なら思うはずです。しかし40代男性が女子学生を、「ひとりの尊厳のある人間として見ているのではなく、性の対象としてしか見ていなかった」と考えれば合点がいきます。
「男は性欲を抑えられない生き物」という性欲自然主義の捏造。暴力は「仕方ない」ものじゃない
「男の性欲は女とは違う」「男は浮気する生き物」「レイプされそうになった? 夜中に男の家にひとりで行った方が悪い」……こういった言説を聞いたことがない人…
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