ファッションに「イタい」なんてある? 好きな服で生きる「私たちの装い」

文=雪代すみれ
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Getty Imagesより

 私にとっては大切な服なのに、他人から「ちょっと○○が残念だよね」と言われてしまったり、自分が周りの人にそんなことを言ってしまったり、そもそもそんなふうに言われることが怖くて本当に好きな服が着れなかったり……。“装い”について「変だと思われない服装」「浮かない服装」を意識している人は、少なくありません。

 はらだ有彩さんの『百女百様 〜街で見かけた女性たち』(内外出版社)は、好きに装うことを応援してくれたり、本当に自分が楽しいと感じる装いに気づかせてくれたりする本です。

 8月9日にこの本の刊行を記念して、はらだ有彩さんと漫画家の瀧波ユカリさんによる、オンライントークイベント「私が私でいるための「装い」」(@ロフトプラスワンウエスト)が開催されました。第一部では、「ヘンなものハンター」である瀧波さんが好きな装いを獲得するまでのストーリーが明らかに。本記事では第二部の様子をダイジェストでお伝えします!

※第一部の様子はこちら

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はらだ有彩(テキストレーター)
テキスト、テキスタイル、イラストを作る“テキストレーター”。著書に『日本のヤバい女の子』『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』(ともに柏書房)がある。様々なメディアで、小説やエッセイを連載中。

twitter : @hurry1116

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瀧波ユカリ(漫画家)
1980年生まれ。24歳フリーター女性の日常を描いた『臨死!!江古田ちゃん』で2004年に漫画家デビュー。2017年より『モトカレマニア』を連載中。特技は西洋占星術。パートナーひとり子どもひとりの3人家族。札幌市在住。

twitter : @takinamiyukari

「なりたい型に自分をはめても理想の姿になれるとは限らない」という学び

 第二部は、瀧波さんからはらださんへ某ファッション誌風の「30の質問」からスタート。

 トークのテーマは、「百の装いあれば、百の人生あり」。現在は自分のファッションの世界観を築き上げているはらださんですが、過去にファッションで失敗をしてしまったこともあるそうで……。

はらだ有彩さん(以下、はらだ):悩み相談だと思って聞いてほしいのですが……昔から「こうすればこう見えるはず」という予想を全部間違えてしまうんです。一番古い記憶が、5歳頃の出来事で、通っていた近所のバレエ教室に「レッスンの格好のまま行けばラクじゃん!」と思って、レオタードとチュチュと白タイツのまま歩いていって……商店街中に「はらださん家の娘さんなんだか様子がヘンじゃない?」と瞬く間に広まり、連れ戻されました。

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はらださんのバレエの姿

瀧波:かわいい~!! けど、大人から見るとこれで歩いてたら「どうしたんだろう?」って心配になっちゃうね(笑)

はらだ:なぜこの格好で出歩いたかというと、この頃、大きいトレーナーにスパッツを合わせるファッションが流行っていたんです。私はスパッツが大嫌いで、「こんなの変!」って泣きながら親にかけあったんですが、「そういうものだから気にしなくていいんだよ!」と言われまして。「へー!気にしなくていいんだ!!!」となり、バレエの姿のまま出歩くにいたりました。トレーナーにスパッツを合わせる格好と、バレエの格好のシルエットが同じで、違いがわからなかったんです。

瀧波:心配にはなっちゃうけど、本当は「これで出歩くのは駄目」っていうルールなんてないはずなんだよね。

はらだ:この頃、「私に違いはわからないけれども、どうやら何か決まっているルールがあるらしい」ことに気づいて。

 2個目の失敗エピソードは高校の頃、裏原系を間違えていました。左は大人の私で、右が高校の頃の裏原系を間違えた私です。

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『百女百様 〜街で見かけた女性たち』(内外出版社)p223より

瀧波:私は裏原系をよく知らないんだけど、これって間違えてるの? 裏原系の正解ってどんな感じ?

はらだ:裏原系の正解、難しいですね(笑)。 2000年より少し前に東京で裏原系が流行り、その波が大阪に遅れてやってきました。当時、少年を目指していた私は「裏原系になろう」と思い、変な柄のパーカーを買い、裏原系を気取っていたのですが、そこで自分の体型が男の子みたいではないことに初めて気付き、すごいショックを受けたんです。

瀧波:「裏原系」という形に自分が寄っていけば理想の状態になれると思っていたけど、目指していた男の子っぽくもなれず、しっくりこなかったんだね。

はらだ:はい、でも今考えれば裏原系じゃなくてもいいし、「裏原系の正解とは」と聞かれてもわからないくらいで、そんなに入れ込んでいたわけではないんです。けれども、雑誌を見て「裏原系を目指せば理想の自分になれる」と思って。

 「こんな記号を纏えばこういう印象の人になる」というのは、ある程度、既に社会で共有されているイメージに則らないとダメで、それに合わせるのも楽しさの一つだと思います。ただ、自分の理想がそのイメージに合っていなくても「合わせなくてはいけない」と考えていると、なかなかしっくりくるところに辿り着けない。大人になってからそんなことに気づきました。

「○○なら・・・なはずだ」と決めつけてしまう「ジャッジカルチャー」

 既にファッション迷路を乗り越えた瀧波さんは、あるべきとされているイメージや周囲の目は気にしていない……のですが、数年前に考えさせられるエピソードがあったそう。

瀧波:子どもを産んでから、「胸=子どもにミルクをあげるためのゾーン」の方程式が何年間か続いて、あるとき「胸って綺麗にして見せてもよくない?」と思ったの。そんなときに友達の結婚パーティーがあって、フォーマルな感じというよりは楽しい感じだったので、ちょうどいいなと思って谷間を作っていったのね。自己流なんだけど、肩が結構隠れている服で、テープで胸を寄せた後に、ちょっと小さめなノンワイヤーブラを付けて潰すと綺麗に谷間ができるの。

はらだ:すごい! そんな方法があるんですね!

瀧波:実際に谷間を作って参加したら女友達からはすごくウケがよくて、「どうやってるの?」「触ってみてもいい?」と興味を持ってもらえてすごく嬉しかった。一方で男子がドン引きしていて……。

はらだ:え!!  なぜ!?

瀧波:パーティーの後の二次会で飲んでたら、神妙な顔付きで「もう結婚してるんだから、お前その格好はないだろう」って言ってきて。「別に私は男に見てほしいと思ってないし、私が谷間を作ったところであなたたち私とヤりたいと思うの?」って言ったらムニャムニャし始めて。そこで彼らの中には「女性の谷間=何かしらのセックスアピール」という固定観念があったのでは、と気づいたんです。

はらだ:「結婚パーティーなのになぜ俺たちにセックスアピールしてくるのか? 心配してあげてるんだよ」と、善意な感じで聞いてくるんですね。

瀧波:女性は「簡単にヤレる女と見られないファッション」といった情報、男性も「ワンナイトしやすい女性はこういう服を着ている」みたいな情報を浴びている。だからそういう思考回路になっちゃうのかもしれない。こうやって「○○なら・・・なはずだ」と決めつけてしまう慣習を「ジャッジカルチャー」と呼ぼうと思って。

はらだ:瀧波さんがこのイベントをきっかけに考えてくださった言葉ですよね! すごくしっくりくる言葉だと思います。

瀧波:「ジャッジってよくないよね」って認識は広まってる。でもそれだけだと「ジャッジという現象」に目を向けられなくて、「ジャッジする人がよくない」という個人の問題に矮小化されちゃうんだよね。

 2014年に出した『女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態』(筑摩書房)で「マウンティング」という言葉を広めたときも、マウンティングはよくない→マウンティングする女性がよくない→マウンティング女子増殖中!みたいになっちゃって……。ジャッジカルチャーでは、同じことを繰り返したくないなって思ってる。例えば、誰かのファッションをジャッジすることが、トレンドや物を売ることと繋がっている、その仕組みや風潮、文化がよくないのでは……ってことを言いたい。

 実は大学時代に「ドリカムが好き」って言って笑われたことを未だに引きずっていて……でも笑ってきた人たちのことを全然憎んではいないんだよね。自分も別のことを笑ってきたし、そこにあったのは風潮だったなと思って。「ジャッジカルチャー」という言葉を皆が共有すれば、何か言われたときに「それってジャッジカルチャーに染まっているんじゃない? そういうの古いからもうやめてこうよ!」って言いやすいし、言語化されていると、自分でも言っちゃいそうなときに気づけるからいいと思う。文化や風潮の問題だと明らかにすれば、私は個人を責めなくて済むんだ! とも気づいたから。

はらだ:“カルチャー”だと「ジャッジしてもいいというムードが蔓延っている世の中」を可視化することができるから、自分も責任を負えるし、言ってきた人だけを黙らせるだけでは解決できないアプローチもできて、すごくいい言葉だと思います!

 「他人をジャッジしていいという感覚が漂う社会」は、現実を生きている人と乖離していると思います。ファッション誌や広告で「~歳すぎたらかわいらしい格好は望ましくない」みたいなことが唱えられて、そういう人は「いない」「いてはいけない」ことになっているけれども、私たち巷の人々は案外好きな格好をして過ごしている。にもかかわらず「~したらだめ」「~はイタい」という空気感を発する記事は絶滅せず、「他人のファッションをジャッジしてもよい」という空気が漂い続けている。『百女百様』はそんな“ジャッジをしてジャッジ通りに人間が動くと思っている文化や雰囲気”にカウンターを出したい! 「いない」ことになっている人が実は全然普通にいることを描き残したい!という思いで書いています。

瀧波:「他人の服に言及しちゃダメだよ!」って言ってもピンとこない人も多いんだよね。「良いブランドだけど、形はちょっと流行遅れだよね」とか、人のファッションをジャッジ目線で話すことが当然になってしまっていると思う。はらださんの『百女百様』は街で見かけた女性について見て感じた真摯な思いや、願いを書いているけれども、それは全然ジャッジではないんだよね。だから「ジャッジしなくても人の姿について話せるじゃん!」って思った。

はらだ:『百女百様』の執筆では「見ること」に気を付けています。街で見かけた女性達を書くことは楽しいけれども、同時に危ないことでもあって、一歩間違えれば自分もジャッジをしてしまう。「その人がどうか」ではなく、「その人を見て自分がどうしたいと思ったか」を書いています。

 でも私も他人をジャッジしてしまった経験はあって……懺悔をします。私がある媒体の取材をお受けするとき、その取材に編集者さんも同行してくださって事前に待ち合わせをしたんです。そこで編集者さんがビーサンを履いてきて、「これからかっちりしたところに行くのに、なんでビーサンやねん!?」と思い、つい口に出してしまって。でもよくよく考えたら、なぜビーサンがだめなのか、とことん突き詰めると実は説明できない。しかし反射的に「おかしくないですか」と言ってしまった……。

瀧波:言っちゃったことは絶対みんなあるし、そのとき凹んだならもう反省しなくていいよ!

はらだ:ううっ、優しい……。自分を正当化するわけではないんですけれども、この現象に「ジャッジする人もされる人も両方victim(犠牲)現象」と名前を付けました。人の装いに何か言っていいということを内面化していて、言っている人も言わされている側面があると思うんです。良かれと思って「谷間を見せない方がいいよ」と言ってしまうことも、それが瀧波さんのためになると思っていることも、蔓延している空気によって引き起こされているのではないかと。なぜそういう空気が蔓延しているのかことを考えていきたいですね。

 この後も、はらださんが「ジャッジカルチャー」という言葉に出会うまでに使っていた、失礼な言及を撃退する方法が語られたり、質問コーナーでは「“ジャッジカルチャーはダサい”と指摘することはダサくなってしまう?」「物理的な制限がなかったらどんな装いをしてみたい?」などの質問が寄せられ、予定時間をオーバーしてトークは盛り上がり……その様子は次回お伝えします!

(取材・構成/雪代すみれ)

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東京で、大阪で、パリで、中国で…、さまざまな場所で見かけた女性たちとその自由な装いを、はらだ有彩が独特かつ繊細で美しい文章とイラストで描いた一冊。

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