SEVENTEEN、BTS、BIGBANG…作詞作曲を手がけるK-POPアイドル、「自作ドル」の系譜

文=DJ泡沫
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SEVENTEEN『24H』

 SEVENTEENの日本2ndミニアルバム『24H』(9月9日発売)が初週24.7万枚を売り上げ、オリコン週間ランキング初登場1位を獲得した。

 SEVENTEENといえば、作曲からダンスの振付までメンバーが関わっている「自作ドル」として知られている。実は、SEVENTEENだけではなく、メンバー自らが制作に関わっている事を掲げる韓国のアイドルは今では珍しくなくなっている。そこで今回は「自作ドル」の系譜や、制作スタイルについて歴史を紐解いてみたい。

「自作ドル」の源流

 自作ドルの潮流を辿るには、まず韓国における「アイドル」誕生の歴史を見る必要があるだろう。

 80年代までは国家の政情が不安定だった事もあり、「10代〜20代の若者向けの音楽」というものが国内では不足していた。しかし90年代に入り、若者の間で爆発的な人気を得るグループが誕生した。韓国初のヘヴィメタルバンドと言われているシナウィのベーシストだったソ・テジとナイトクラブで働きながらダンサーをめざしていたヤン・ヒョンソクが結成し、後に梨泰院で活動していたダンサー、イ・ジュノを迎えて3人組になった「ソテジと子供たち(ソテジヮアイドゥル/Taiji Boys)」である。

 ソ・テジは元々ロックをやっていたが、シナウィの解散後、世界的に流行していたが韓国ではまだ馴染みのなかったラップ・ミュージックに傾倒するようになり、ラップジャンルをベースにしたダンスグループを結成したいと思うようになったという。音楽やコンセプトなど制作活動の大部分をソ・テジ本人が関わって決定し、ダンスの振付はイ・ジュノが行っていた。

 「ソテジと子供たち」自体は「アイドル」という位置づけではなかったようだが、若者の間で熱狂的なファンドムを形成していたという点では「アイドル的な人気があったグループ」で、なおかつパフォーマンスにおいては、それ以前の韓国の大衆歌謡界は大人向けの歌謡曲やバラードが中心だったのが、それ以降10代が好むような「ダンスミュージック」が大きな主流になっていくきっかけを作ったと言える。

 また、ソテジと子供たちが当時他のアーティストやグループと異なった点は、「私の人生は私のものだ」と歌っただけで禁止曲に認定される事すらあった(「私の人生は私のもの」ミン・ヘギョン)、それまでの保守的な世相に反抗するような、若い世代にとっては「これは私たちの話だ」と共感できるような歌詞を自ら作って歌った事にある。後述するが、「自作」である事が歌詞に込めたメッセージのリアリティを強化する=聴く方にとってより共感と感情移入を強めるという部分は、この時代から明確に作用していたと言えるだろう。

韓国での「アイドル像」の形成と定着

 ソテジと子供たち以降、Roo’Ra(ルーラ)やDEUX(デュース)など若者向けのダンスボーカルグループは増えたが、1996年にソテジ〜が解散した年にデビューして爆発的な人気を得た男性グループが、SMエンターテイメントからデビューしたH.O.TとDSPメディア(当時。復帰後はYGエンターテイメント所属)からデビューしたSECHSKIESである。

 この2組は当時自作グループではなかったが、ソテジ〜の頃に芽吹いた大人世代への「反抗アティテュード」は初期の歌詞やパフォーマンスへと継承されていた(デビュー当時のBTS「学校三部作」の歌詞やコンセプトは、H.O.T「戦士の末裔」SECHSKIES「スクールソング」のリファレンスと言われている)。

 韓国がIMF危機による不況に見舞われた1997年〜2000年というのは、同時に「アイドル」という概念が韓国内で徐々に定着していった期間とも言える。その後しばらくはRAINやSE7ENのようなソロアイドルや東方神起やSS501、SUPER JUNIORといったグループが人気を博していたが、2006年に現在の「自作ドルブーム」の直接的な源流となるグループがデビューする事になる。前述のソテジと子供たちのメンバーだったヤン・ヒョンソクが作った芸能事務所、YGエンターテイメント所属のBIGBANGである。

「自作するアイドル」BIGBANGのデビュー

 2000年代前半までには、韓国でもある程度「アイドルグループ」というものが定着していた分、「事務所に作られた傀儡の歌手」というようなアイドルに対するステレオタイプな偏見も定着しつつあった。

 その中でデビューしたBIGBANGは、デビュー前のサバイバルプログラムから作詞作曲のできる中心メンバーであるG-DRAGONの存在を前面に出していた。

 G-DRAGONは元々「ちびっこRoo’Ra」としてTVに出演していた経験があり、小学生の頃にラッパーとしてデビューするためにYGエンターテイメントの練習生になった。当時YGエンターテイメントはヒップホップやR&Bなどのブラックミュージック系のアーティストが所属している事務所の印象が強く、それまではSE7ENなどのソロ歌手や1TYMなどもアイドル的な人気はあったとはいえ「アイドル」を標榜したグループはBIGBANGが初めてだった。

 実際、直前までは現BIGBANGのメンバーであるSOLとヒップホップユニットとしてデビューする予定だったと本人がTVで話した事もある。

 当時、韓国でのアイドル文化の発展やYouTubeなどの動画系ウェブサイトの登場と共に、若年層向けの音楽やパフォーマンスをするのであれば「アイドル」という形式が最も商業的な成功を収めやすいという流れも韓国のメジャー音楽シーンでは定着していった時期である。

 おそらくは「自作」やヒップホップに強いこだわりがあったというより、その時代に一般的だった「アイドル像」との差別化を図る過程で音楽的な「リアリティ」を持たせるために、元々メンバーがやってきた音楽ジャンルである「ヒップホップ/ラップミュージック」をベースに、ヒップホップをやるのであればラッパー本人がリリックを書いてトラック制作にも関わるべきだろうという考え方のもとで「ラッパーである中心メンバーによる作詞作曲」というスタイルのグループが誕生したのではないかと思われる。

 YGエンターテイメントの男子グループでは、以降WINNER・iKONと作詞作曲のできるメンバーをコアとしてグループを形成するという流れが主流になっていった。

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